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本能寺の変~もし、明智光秀が京都ではなく秀吉の後詰めに向かっていたら(パイロット版)  作者: 田丸 彬禰


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もし、明智光秀が秀吉の援軍に向かったら? 66 それぞれの状況 関東 その2

小田原城。

日本式城郭都市ともいえる「総構え」で有名なのだが、それは秀吉による小田原攻めを対抗するため施されたものであり、天正十年頃の小田原城は十二年前の永禄十二年武田信玄が小田原城を攻めた頃が基本形であろう。

ただし、小田原城の防御力はこの時代も同じであり、武田信玄も落とすことができなかっただけではなく、その八年前には軍神上杉謙信も十万以上の兵で包囲したものの、落とすことができなかった。

当然北条家当主北条氏直や父氏政もその守りには自信を持っていたのはまちがいない。


そして、信長と戦うと決めたところで、当然城の強化がおこなわれたと思われる。

秀吉に対抗してできあがったあの小田原城が、八年前に姿を現す。


そう。

小田原城と信長の戦いが起こるのである。

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