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もし、明智光秀が秀吉の援軍に向かったら? 59 天正十年十月の現在地 その2
さて、次のフェイズに進む前に手に入れた新しい情報から修正を加えて、より現実に近い虚構にしたいと思う。
転封。
旧領地を捨て新領地に移る行為は信長時代にはあまり使用される手段ではなかったとのこと。
基本は加増。
すなわち旧領地はそのまま新たな領地を与えている。
となれば、特別な事情がないかぎり転封はない。
特に国単位で転封というのは困難と考えるべき。
だが、そうなると、領国が繋がっている秀吉はともかく、丹波と出雲・石見という本領とかけ離れた二か国を所有する光秀をどう遇するべきか考慮しなければならない。
さらに光秀の与力として防長に移封した池田、中川、高山らの諸将は完全な与力とは言い難い。
また、信長の直轄領というのはどのようなものかはわからないが、豊臣家の直轄地と同じような蔵入地が各地にあったと思われる。
そして、それは周辺を有している者に管理させていたと思われる。
ということで、これを基本に領地を一部変更する。




