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もし、明智光秀が秀吉の援軍に向かったら? 58 天正十年十月の現在地
天正十年九月末時点での織田家の勢力範囲を確認しておこう。
北は越後。
それから上野と甲斐、
そして、三河、遠江、駿河の三か国を支配する同盟者徳川家康。
紀伊と高野山については完全支配には至っていないが、それ以外の中央はすべて織田領。
中国の雄毛利も織田の軍門に下り、四国の差配を終了。
ということで、織田の勢力の外にあるのは東北と九州。
それから、関東の諸勢力。
もちろんこれらも色の濃さはあるものの、巨大勢力となった信長と繋がりを持とうと多くの使者がやってきている。
そのなかで次に狙いをつけたのは関東。
つまり、北条との全面対決である。
また、上杉討伐に積極的協力した芦名、最終盤に兵を出した伊達、加わらなかった最上。
どう扱うかについても思案中というところである。
さらに、史実にもあった三職推任に決着をつける必要がある。




