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もし、明智光秀が秀吉の援軍に向かったら? 55 北国編
天正十年七月中旬。
春日山城包囲戦が始まる。
すでに参戦していた芦名軍に加え、伊達軍も越後北部入ったところで万事休す。
揚北衆は新発田重家がその旗頭になり、軍を率いて春日山城へ参陣する。
滝川一益も清水城と樺沢城を抜いたのに続き、周辺の城や砦を落として回り、包囲戦の地ならしが完了したところで包囲戦に加わる。
そして、信濃から越後へ入った織田・徳川軍。
その数八万。
それに対する上杉軍は包囲が完成する前に入った兵たちを合わせても一万。
ただし、春日山城は難攻不落。
攻め上がってくればこれ幸い。
すべて討ち取る気満々で待ち受ける。
相手が上杉軍である限り内応はありえない。
そうなれば、力攻めか包囲し干上がるのを待つという二択になるわけだが、冬がやってくる前にケリをつける必要がある。
最終的には力攻めになるのは必定。
そのような中、遂にあの男が春日山城を包囲している織田軍のもとに姿を現す。




