もし、明智光秀が秀吉の援軍に向かったら? 5 中国編
今度こそ激突。
と言いたいところなのだが、ここである疑問を提示したい。
毛利方から出されていた、五国(備中・備後・美作・伯耆・出雲)割譲しての和議、つまり停戦という話である。
この案はその代わりに高松城の城兵の開放という条件がつく。
それに対し、秀吉は和議に応じる条件として、五国(備中・備後・美作・伯耆・出雲)割譲に城主清水宗治の切腹。
つまり、自身が出した条件を飲めば和議に応じるならば和議に応じるとしたということだ。
たとえば、五か国の割譲を秀吉が出したのならわかる。
だが、秀吉が追加の城主の切腹のみで割譲部分については承知したということである。
これは非常におかしい。
おかしいというか、これまで戦っていた敵と前線の指揮官が単独で和議の話をするなどあり得ぬもの。
真偽はわからぬものの、光秀は丹波で同様のことをやりしっぺ返しを食らってたとされているし、秀吉も北国での戦いの際に無断で戦線離脱して信長に叱責されている。
しかも、この毛利との和議は戦線離脱などとは比べようがないくらいの大きな出来事である。
秀吉がこれを信長に伺いを立てていなかったとは考えられない。
となれば、秀吉が要求した条件は信長の意向ということは十分にあり合える。
または、援軍到着のための時間稼ぎ。
とりあえず、ここではその折衷案を提示したい。