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もし、明智光秀が秀吉の援軍に向かったら? 46 北国編
上杉軍が籠城というのはあまりにも消極的すぎると思うかもしれないが、例えば柴田軍四万を一万以下の軍勢で殲滅できる自信があるのなら、魚津城で城攻めをおこなっているときに背後から攻撃していたはず。
つまり、いくら強いといっても限度があるということである。
そして、籠城イコール敗戦というイメージがあるが、必ずしもそうではない。
まず、景勝が籠る春日山城が難攻不落。
しかも、強兵は一万近くいる。
さらに城攻めは守りが有利。
最低でも数倍の数が攻撃側に必要となる。
四千の兵で守ったあの魚津城が三か月耐えたのだ。
春日山城なら半年はもつ。
そうなれば雪の季節がやってくる。
織田は雪が積もる前に撤退をしなければならない。
野戦よりも勝算のある、策としては順当なものといえよう。
つまり、織田側は四か月、最悪でも五か月で春日山城を落とさなければならないということになる。
逆にいえば、その期間耐えれば上杉の勝ちとなる。




