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もし、明智光秀が秀吉の援軍に向かったら? 40 北国編
続いて、織田軍。
史実にあるものとして、柴田勝家に率いられた北陸方面軍総勢四万八千人。
天正十年六月に越後への抑えなっていた越中魚津城を落とし、すぐにでも越後へ侵攻できる体制になっていた。
五千の兵で越後を攻めた海津城城主森長可。
それから上野から越後に侵攻した滝川一益の臣滝川益重が三国峠から越後に侵攻した。
さらに北越後で新発田重家が織田に通じて反乱を起こした。
そのため、周辺の上杉勢はその対応で手一杯となっていた。
さらに史実では参加していないが信濃には深志城を中心に二千人ほどの兵を持つ木曽義昌。
南信濃を治める毛利秀元三千五百が控えており、上野国には滝川一益一万二千が控えていた。
もちろん本格的な上杉攻めとなった場合は、ここに徳川家康と穴山信君の一万人以上の兵が加わることになるほか、織田本隊もやってくるだろう。
では、天正十年六月二日から少しだけ時間を戻したところから話を始めよう。




