もし、明智光秀が秀吉の援軍に向かったら? 4 中国編
明智光秀率いる二万一千対吉川元春の一万。
光秀軍には、明智秀満、斎藤利三など山崎の戦いで光秀とともに消えることになる直臣のほか、与力として細川藤孝・忠興親子のほか、池田恒興、高山右近、中川清秀などが名を連ねる。
一方、吉川元春はいくさ上手として有名であり、七十六回戦い、無敗だったとされる。
羽柴秀吉率いる二万対小早川隆景を中心とした一万。
羽柴軍は羽柴秀長、黒田孝高、蜂須賀正勝、加藤清正、山内一豊。堀尾吉晴、宇喜多忠家など光秀軍以上にそうそうたる名前が並ぶ。
それに対する小早川隆景の強さはその軍歴を見れば歴然であろう。
そして、あまり知られていないが、実際に隆景は布陣後秀吉軍と戦い、破っている。
調略によって羽柴軍に奪われた日幡城を奪還しているのがその戦いとなる。
さて、数の上で上回る明智、羽柴軍と、猛将と知将の組み合わせのような両川の戦い。
ゲーム、または、映像の世界であれば、どちらかが全滅するまでここで戦うのだろうが、そうはならず。
勝ち目なしとした毛利軍はしばらくにらみ合いをしていたものの引き始める。
これはほぼ全軍を率いている自分たちがここで消えれば、残りは輝元率いる本隊のみ。
その後どうなるかは火を見るよりも明らか。
当然の選択といえるだろう。
もしかしたら、こう考える人もいるかもしれない。
無敗の将吉川元春が目の前に敵がいながら引き上げるわけがないと。
だが、無敗の将には強さ以外に無敗でいられるこのような理由があると考えればどうだろうか?
勢いだけではなく、状況判断がよく出来、勝ち目のないいくさはしない。
さて、退却を始めた毛利軍に対し、もちろん織田軍は追撃に入る。
だが、そこは殿を務める無敗の将吉川元春が隆景とともに万全の体制で追手を払いのけ、輝元がいる猿掛城までたいした損害を出すことなく下がる。
だが、援軍の退却で開放される可能性がなくなった高松城は陥落する。
そして、織田対毛利の戦いは新しいフェイズに入る。