もし、明智光秀が秀吉の援軍に向かったら? 37 四国編
信長による四国平定後の四国についてその概要を述べておこう。
すでに決定している信孝が支配する讃岐十七万五千石と三好康長がその大部分を治める阿波十八万石はすでに決定している。
土佐二十万石は和議を受け入れた長曾我部元親に残された。
敵対した者に対してはやや甘い処置にも見えるが、元親は信長に人質を差し出し、さらに近々臣従の証しを示す出兵を誓っている。
そして、伊予。
西園寺公広は宇和郡十万石を安堵。
来島通総は本領安堵。
ここまでは決定している。
和気郡は九鬼嘉隆に与える。
これは九鬼水軍の拠点という意味合いが強い。
そして、和議直後、四国平定戦に加わった毛利輝元には喜多、浮穴の二郡六万九千石を与えられる。
七万石。
中国の覇者だった毛利にとっては微々たるものかもしれない。
だが、これは大幅な厳封処置を受けた毛利にとっては大きいといえるだろう。
ただし、ここには河野氏をはじめとした移封される旧伊予の豪族たちの所領が含まれるので単純に喜べない数字といえるだろう。
伊予の残りは蜂屋頼隆の支配となる。
なお、長曾我部降伏に尽力した斎藤利三には土佐または伊予の一部を分与し独立大名という地位を与える話は利三がこれを固辞している。
これで四国については凡そ終了。
次は対上杉戦。




