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もし、明智光秀が秀吉の援軍に向かったら? 35 四国編
さて、信長による最終勧告。
しかも、それを示したのは明智光秀の家臣斎藤利三。
実はこの斎藤利三と長曾我部元親はまったくの無関係というわけではなかった。
いや。
深いといえるかは微妙ではあるが、とにかく繋がりはあった。
元親の正室、その姉の夫である石谷頼辰の弟が斎藤利三。
そして、石谷頼辰は光秀と長曾我部氏との交渉役として元親と顔を合わせていた。
このことが本能寺の変の原因のひとつと主張する研究者もいるが、この程度の関係を気にしていてはどこも攻めることはできなくなくなるし、親兄弟でも殺し合いをおこなう戦国時代では生きていくのは難しいように思える。
さて、史実を披露したところでここでの話を続けよう。
利三と元親の関係を知っていた信長は面倒な土佐侵攻を避けるためにそれを利用した。
それが四国に遠征する光秀軍の将を利三にするよう信長が命じた理由。
そして、それを自分たちへの配慮ととった光秀と利三は当然力が入る。
これがここまでの裏事情を含めての流れとなる。




