もし、明智光秀が秀吉の援軍に向かったら? 30 四国編
西長尾城が奪われたことにより白地城から讃岐の主要出口を押さえられた長曾我部軍。
次の防衛ラインを讃岐と伊予の国境、それから白地城と決めて再編成をおこなおうとしたところでさらなる悪い知らせが届く。
毛利軍の伊予上陸である。
史実では毛利軍は三原の港から現在の新居浜市垣生や西条市氷見に上陸する。
そして、東伊予を押さえていた長曾我部側の将金子元宅らが籠る高尾城(西条市)と高峠城を攻める。
ふたつの城を落とし、東進し川之江城を攻めている最中に長曾我部元親が秀吉に降伏するという流れである。
実は毛利軍が上陸した場所というのは敵の城近く。
言い方を変えれば、敵前上陸。
今治辺りに上陸して南下したほうはいいように思うのだが、それをしなかったというのは相応の合理的理由があると考える。
ということで、ここでも史実を踏襲し、織田・毛利連合軍は史実と同じ場所に上陸し周辺の城を落とし始めるところから始めることにする。
当然ながら天正十年夏には長曾我部氏の四国統一はまだなされていないので、多くは城を明け渡し織田への臣従を誓うということになるはずである。




