表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
本能寺の変~もし、明智光秀が京都ではなく秀吉の後詰めに向かっていたら(パイロット版)  作者: 田丸 彬禰


この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

27/118

もし、明智光秀が秀吉の援軍に向かったら? 27 四国編

白地城を出発して三日目。

今日中に織田軍と接敵ところまでやってきた元親のもとに喜岡城からの急報が届く。


羽柴秀吉率いる織田の別働部隊二万五千が屋島に上陸し周辺の城を攻撃し始めた。

救援請う。


だが、元親がその報を受け取った頃には喜岡城は落ち、続いて香西城も落城する。

元親は西長尾城(国吉城)までで下がり軍議を開く。


こちらは敗残兵を合わせても二万も満たぬ数。

それに対し、植田城を攻める信孝隊六千、それに羽柴軍二万五千。

予定どおり植田城を救援に向かえば、背後を羽柴軍に襲われる。

では、羽柴軍と対峙すればいいのかといえば、そもそも数は相手の方が多い。

確実に圧勝するという保証がない。

というより、負ける公算が高い。

多くは撤退を主張するものの、元親は羽柴軍との一戦を主張する。


羽柴軍は上陸してすぐ戦いを始めているため疲労がある。

織田本隊は植田城に張り付いて動けない。

今こそが戦う好機。


それがその根拠となる。


長曾我部軍はここを決戦城とし陣を整える。


評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ