もし、明智光秀が秀吉の援軍に向かったら? 25 四国編
むろん長曾我部元親もただ手をこまねいたわけではない。
元々讃岐中央までやってきた織田本隊を叩く。
その際に大将である信孝を堪えれば交渉材料にする。
そうならなければそのまま逆進して阿波まで攻め入る。
もちろんその時は土佐に控えている軍も動かし、土佐から阿波へ攻め入り一挙に攻め入り阿波全土を占領する。
このような大まかな策を用意していた。
だが、中国攻めをしていた織田軍と織田に臣従した毛利軍が攻めてくるとなれば話は別。
織田軍が中国からやってくるのであれば讃岐。
そして、西進している織田本隊と合流を狙っている。
臣従したといっても、毛利が信長の言いなりになって動くことはないだろうないだろうから、様子見が妥当。
つまり、もうひとつの兵力とされる毛利は、讃岐の結果が出るまではやってこない。
そうならなくても、毛利が四国にくるのは七月。
毛利と領地引き渡しから本拠地に引き上げ準備をしなければならない織田軍も同じようなもの。
となれば、まず織田本隊を粉砕し、続いて中国からやってくる織田別動隊を迎撃し追い返す時間的余裕がある。
そうすれば、毛利は動かず、それどころかもう一度反織田に動く可能性がある。
ということで、最初に叩くのは織田信孝率いる織田本隊。
そのためには土佐で待つ兵たちを急いで呼び寄せる。
白地城で全軍の指揮を執っていた元親は、織田と毛利の和議が締結されたという情報を掴んだ直後の六月十五日土佐岡豊城に急使を送る。




