表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

2/118

もし、明智光秀が秀吉の援軍に向かったら? 2 中国編

最初は光秀が援軍にいくはずだった中国地方。

ここは備中高松城を取り囲む羽柴秀吉軍と援軍としてやってきた毛利軍がにらみ合いを続けていた。

そして、秀吉からの援軍要請があった。

ここまでが史実にある状況となる。


ついでに言っておけば、多くの書で光秀は山陰を目指すように命じられていたとしている。

備中に毛利本隊がいたことから空白地帯を狙ってということなのだろうが、これが本当に正しいかはわからない。

目指すは高松城。

そして、毛利本隊を討つべし。

引きこもって出てこない者相手の城攻めを時間をかけてやるより、のこのこやってきた毛利本隊を野戦で叩いた方が効率的。

これが命令のほうがいいように思えるからだ。


まあ、それはともかく……。

天正十年六月に亀山城を出た光秀の軍勢は一万三千とされる。

さらに同行する予定だった細川、池田、高山、中川の諸将を合わせると二万数千になる。


そして、光秀の援軍を待つ秀吉であるが、高松城を三万の兵で包囲していたとされる。


それに対し、敵方となる毛利勢だが、高松城には五千人、援軍として毛利家として動員できる最大兵力五万ほどとなる。


三万対五万。

さらに秀吉は五千の兵が籠る城を包囲した状態。


カタログスペックだけで考えれば、毛利方が圧倒的有利。

それこそ長篠の戦いを逆の形で再現できそうなものである。


だが、毛利方は攻勢に出るどころか自領のうち五か国を差し出すことで和睦したいという提案をしている。

このことから、この五万というのは誇張で三万前後というのが妥当なところではないかと思われる。

ただし、毛利家の当主輝元を始め、吉川元春、小早川隆景も参加していたことから、動員できる最大最強の布陣だったことは確実だろう。


つまり、数字上では有利ではあるものの、実は追い詰められていたのは毛利側であり、ここに光秀率いる援軍が到着した場合は、数字上でも同等以上になる織田方の有利は圧倒的なものになったと思われる。


評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ