もし、明智光秀が秀吉の援軍に向かったら? 17 中国編
では、仕切り直しの中国平定編の締めとして主な仕置きをしておこう。
毛利輝元。
安芸一国十九万四千石。
例の軍役表を使用すれば、四千八百五十人を抱えるだけの大名に成り下がる。
羽柴秀吉。
備後一国、備中と美作の半国を領する。
さらに備後も与力に分与。
ただし、近江国内の領地を召上。
これによって、宇喜多領を含めた事実上領国は播磨、備前、備中、備後、美作、但馬、伯耆、あわせて百四十三万一千石あまりとなる。
明智光秀。
直轄地として現在の丹波に石見を加えた二か国を領有。
細川藤孝。
周防を領有。
丹後召上。
池田恒興、高山右近、中川清秀ら、細川藤孝と筒井順慶以外の光秀の与力衆。
旧領を召し上げ、代わりに出雲、長門国内に加増された領地を与える。
こちらは与力等全部で八十五万七千石あまり。
秀吉のそれに比べて半分ほど。
ただし、領内にある石見銀山の管理は光秀に任せられるので、実際の収入はこれ以上に大きい。
これは生野銀山領内に抱える秀吉と同等の措置と言っていいだろう。
むろん、秀吉、光秀にはこれから九州平定事業が待っている。
あわせて、四国遠征軍の副将のうち、褒美が決まっていなかった丹羽長秀と津田信澄の褒美も決定される。
丹羽長秀は領有する若狭に隣接する丹後一国、津田信澄は河内半国が与えられる。
むろん予定通り四国平定がおこなわれたらということが条件になるのだが。
摂津、河内、和泉の大部分は連枝衆の支配地となる。
これによって、すでに織田家の領土のようになっている尾張、美濃、近江、伊賀とともに、信長の政策の基本姿勢が見えてくる。
中央は織田家、遠方を配下が治めるという。