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もし、明智光秀が秀吉の援軍に向かったら? 16 中国編
信長、信忠親子までやってきているのだ。
当然数か月前の武田の運命を彷彿させる。
ただし、毛利と武田とは決定的な違いがある。
領土割譲による和睦がほぼ成立しかかっていること。
毛利としては武田と同じ運命にだけはなりたくない。
さらなる領土割譲と臣従を条件に毛利家存続を願い出る。
そして、その旨を伝える毛利方の交渉役であった安国寺恵瓊に信長が申し渡した条件。
それは……。
安芸一国の領有。
両川のうちのひとりを人質として差し出し臣従する証とする。
そして、それが嫌なら滅ぼすまでと脅す。
回答期限は翌日。
ない場合は拒否とみなす。
六月十四日。
毛利輝元、条件を飲み、小早川隆景と吉川元春の息子元長を人質として差し出すことを申し出る。
それは史実にある山崎の戦いの翌日であり、これによって信長に続き、光秀も史実では存在しなかった時間を歩み始めることになる。
なお、包囲されていた高松城の清水宗治であるが、信長の直々の命により許されたうえ高松城を与えられ、彼もまた史実とは違う時間を過ごすことになる。