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もし、明智光秀が秀吉の援軍に向かったら? 15 中国編
六月七日。
姫路を立った織田の大軍は六月九日に高松城の後方に位置する沼城に到着する。
そう。
史実では中国大返しで東に進んでいた秀吉軍が姫路に到着した日に、ここでは信長、光秀もいる大軍が西へ進むわけである。
六月十一日。
前日後方に下がってきた秀吉と黒田官兵衛が戦況をしたことところで全軍が配置につく。
一方、援軍の光秀だけではなく信長率いる織田本隊まで現れたことで毛利側が狂乱状態に陥る。
もちろん信長を討ち状況を一転させる好機と主張する吉川元春のような者もいるが多くは退却を主張。
方針が固まらぬまま夜となる。
六月十二日。
光秀軍に続き秀吉軍も攻撃を開始。
毛利軍は持ちこたえられず退却を開始、追撃戦に入る織田軍であるが、ここで吉川元春と小早川隆景の両川の直属部隊が立ちはだかる。
勝利は確定している以上、無用な損害を避けるため織田軍は追撃を一時停止。
結局毛利方は損害を受けながらも、猿掛城までの撤収に成功する。
そして、再布陣した織田軍とにらみ合いが始まり、交渉を再開させる。