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もし、明智光秀が秀吉の援軍に向かったら? 12 四国編
天正十年六月信長による四国平定戦が始まるわけなのだが、もう一度この時点での四国の状況を述べておこう。
織田領となっている淡路は攻略の起点となる。
また、淡路の大部分と讃岐の東半分ほどを信長に臣従した三好氏が押さえている。
また、伊予は中央を毛利の援助を受けている河野氏、それから南西は西園寺氏が支配しており、長曾我部氏の四国統一は道半ばというところである。
また、讃岐を四国遠征軍の大将である三男信孝に、阿波はその大部分を三好康長に与えたうえ、将来的には三好家を継ぐ信孝領になることになっていた。
この時点で伊予と土佐の仕置きは決定していなかったが、長曾我部氏の滅亡または土佐の一部だけに押し込まれる可能性は十分にあったということになるだろう。
伊予について河野氏と毛利氏は繋がっているが、長曾我部氏と戦っているのも事実。
場合によって現状維持は若干の領地減で済むということはある。
西園寺氏は信長との接点があり、長曾我部氏と戦っているという点で十分に生き残る可能性がある。