もし、明智光秀が秀吉の援軍に向かったら? 115 天正十一年夏 2
まず、新しく織田領になり大宝寺義勝が治める庄内地方の北には由利衆と呼ばれる国衆が混在していたが、大宝寺義勝とも彼らの北に位置する領主安東から姓を変えた秋田愛季とも対立していた。
当然彼らは討伐の対象となる。
さらに秋田氏の北で対立関係にある津軽半島周辺を領していた大浦氏も当然織田の敵となる。
それは秋田氏の南東で領地を接する戸沢氏、北東に国境を持つ南部氏も同様である。
旧最上領の北に領地を持つ小野寺氏は先代より信長と友好関係にあることからすでに本領安堵が決定している
そして、その東側で勢力を伸ばす葛西氏、大崎氏は討伐対象。
そうなると、やはり問題は蘆名氏と伊達氏。
それによって周辺の国衆も措置も決まる。
もちろん両者とも一応は臣従するとしている。
この両者の力を温存させたくない信長としては攻める口実が必要だった。
まず蘆名氏には臣従の意を示さなかった二階堂氏を攻める軍に加わるよう命じる。
だが、この二階堂氏は蘆名家当主蘆名盛隆の実家。
当然攻められるはずがない。
さらに伊達氏には正式に奥州の覇者の証である奥州探題の肩書を柴田勝家に譲るか、米沢城とその周辺を明け渡すよう要求する。
こうして、東北各地で次々に戦端が開かれる。