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もし、明智光秀が秀吉の援軍に向かったら? 113 天正十一年春 27
小田原での仕置きが終わった頃、出羽で最上残党を掃討している柴田勝家から出羽を平定したことを伝えられる。
あわせて、東北地方の仕置きの方針も尋ねる。
実をいえば、ここまで北陸から東北へ遠征してきている勝家にとって補給が厳しい状況になっていた。
つまり、これはその指示とともに援助も頼むというものであった。
信長としてはここに勝家を任せたいところであるが、そのためにはふさわしい肩書が必要だ。
滝川一益に与えた「関東御取次役」ような。
そして、東北にはそれにふさわしい役職があった。
欧州探題。
大崎義隆が長である名門大崎氏が代々所有していたが現在は伊達輝宗がその肩書を称している。
素直に勝家に譲ればよし。
そうでなければ強引に頂く。
目標は決まった。