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もし、明智光秀が秀吉の援軍に向かったら? 112 天正十一年春 26

史実では北条氏の旧領の大部分を徳川が受け継ぐ形で転封し、その徳川の旧領への転封を拒否した織田信雄を秀吉が改易、織田家の重鎮織田信包も同じく改易し、秀吉は自身の旧主家を完全に排除したのだが、ここではそれは起こらず。


信長は九鬼嘉隆に与える下田周辺を除く伊豆国を家康に与えるにとどまる。

そして、安房の里見氏に上総の約半分を与え、開城条件を履行し北条氏直は十万石を与える。

氏直が退いた小田原城には次男信雄が信長の弟である織田信照とともに入る。

信雄は相模一国と武蔵半国を領有するほか、残る部分も事実上支配化におくことになる。


佐竹氏はその自身に対する積極的な協力姿勢を見せない戦いぶりに信長は不快感を示し、予定通り常陸一国、しかもその一部を削られた残りを安堵されるという冷遇を示す。


下野の大まかな支配権は、北は那須氏、中央は宇都宮氏、南部は滝川一益とされる。


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