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もし、明智光秀が秀吉の援軍に向かったら? 110 天正十一年春 24
中核部を包囲した二日後。
信長から開城勧告が出される。
開城し信長に臣従するならば上総二郡十万石の領有を認める。
開城を拒否するならば、老若男女問わず城内の者すべてを殺す。
それがその概要となる。
史実にある秀吉の北条氏に対する仕置きに比べるとはるかに穏便であるが、これは北条氏が明確に信長に敵対していたわけでなかったことに由来する。
ただし、再度反旗を翻すことも考慮し小田原城は召し上げ、北条領とはなっていたものの、それほど影響力のない上総に移すというところだろうか。
二日後、開城。
関東の覇者はどうにか名を残すことはできたものの、完全に力を削がれることになる。