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もし、明智光秀が秀吉の援軍に向かったら? 109 天正十一年春 23
当然ながら、秀吉軍、家康軍も開けられた突破口から次々に侵入を始め、掃討戦が開始される。
その日のうちに全軍の半数以上を失った北条軍は水堀に囲まれた中核部に押し込められる形になり、周辺はすべて織田方に埋め尽くされる。
再びの包囲戦。
だが、こうなると難攻不落の総構えというより単なる平城の包囲戦である。
むろん何年も籠城できるつもりでいた北条側にとっては予想外の出来事であり、この状況で勝利を収めるのはほぼ不可能。
決断の時はそう遠くない状況だった。