もし、明智光秀が秀吉の援軍に向かったら? 104 天正十一年春 18
むろん信長も小田原城は簡単に落とせない城であることをすぐに理解した。
それとともに落とせなくもないとも思う。
難攻不落といわれる小田原城を前にしてやや傲慢に思えるが実は相応の根拠があった。
十年にも及ぶ本願寺攻め。
時間だけではなく多くの兵を失い、天下統一の枷となったあの戦い。
あの戦いは内部の強さもあったものの、その外側、つまり城攻めをする者にとっての背後にも敵がいたという状況が攻略に時間がかかった要因だった。
だが、この小田原には味方になる者はいない。
つまり、背後の心配なしに包囲し調略を掛ければ落とせる。
それが信長の読みとなる。
そして、それは籠城する側である北条氏の弱点となる。
そう。
外部に協力者がいるという籠城戦をおこなう場合の大事な要件がこの籠城戦には欠けていたのである。
そうなれば、籠城戦で勝利できるもうひとつの要件である持ちこたえ、攻め手の兵糧が切れるのを待つというものに賭けるしかない。
だが、これについては信長を本願寺攻めで多くの経験をしている。
補給に負担をかけるような大軍で取り囲んでいなくても同様の効果が得られる方法を熟知していた。