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102/118

もし、明智光秀が秀吉の援軍に向かったら? 102 天正十一年春 16

史実通り忍城は持ちこたえているなか、同盟関係にある千葉氏の命運も尽きかけていた。

だが、信長の関東征伐は千葉邦胤が滝川一益による信長への臣従を拒否したことから始まったもの。

つまり、邦胤の死と千葉氏の滅亡は信長が軍を動かした時点で確定していたのである。


すでに北から佐竹軍、南からは里見軍によって下総国は圧力がかけられていたのだが、遂に西からも敵が現れる。

八王子城陥落に続いてその南に位置する津久井城等の攻略をしていた川尻秀隆と毛利長秀の両将が率いる軍である。

むろん川尻秀隆と毛利長秀のもとにも信長の小田原参陣の命はあった。

だが、それにもかかわらずふたりが小田原ではなく下総に向かったのはもちろん「邦胤の首を取って来い」という信長からの指示があったから。


江戸城を落とした秀隆と長秀の軍は千葉氏の本拠地本佐倉城へと向かう。

むろん自らの武勇に自信のある邦胤は国府台城付近で迎撃するものの大敗し敗走。

やむなくあてもない籠城戦に切り替える。


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