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もし、明智光秀が秀吉の援軍に向かったら? 101 天正十一年春 15

秀吉が忍城の包囲戦に参加し、水攻めの準備をしている頃。

史実ではこの時期に「賤ケ岳の戦い」で秀吉に敗北し滅びる柴田勝家は東北地方で無双ぶりを披露していた。

実際に起こった「賤ケ岳の戦い」では戦いの最中、勝家を裏切る前田利家や金森長近も勝家の指示に従って戦っていたし、勝家とも消える佐久間盛政もふたりと功を争っていた。

もちろん信濃からやってきた森長可も。


そして、その柴田勝家軍の猛攻を受けていたのは最上義光。

すでに新しく手に入れた庄内地方は奪還され、さらに旧領もほぼすべて占領されて残る山形城ほかわずか。

本来であれが白旗なのだが、そうはいいかない。

なにしろ義光が大宝寺義勝の父義興を攻め滅ぼしたことが織田軍の東北遠征のきっかけ。

その張本人の助命など特別な事情がないかぎりありえない。

城攻め開始。

そして、最上家滅亡。


史実ではこの年の四月にこの世を去る柴田勝家が、上杉景勝に続き最上義光という関ヶ原以降の生き残る猛者を滅ぼしたことになる。

だが、勝家軍の無双ぶりはここで終わるわけではない。

最上氏を滅ぼしたことにより、織田軍は、芦名氏と伊達氏に続き、さらに由利衆、小野寺氏、大崎氏という東北の大名と国境を接することになるのだから。


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