もし、明智光秀が秀吉の援軍に向かったら? 100 天正十一年春 14
鉢形城を奇手によって攻め落とした秀吉は今度も奇手で軍神上杉謙信でさえ落とせなかった忍城を落とそうとした。
だが、今回は秀吉の思い通りにはならなかった。
一見すると水攻め向きに思えるこの城だが本丸部分は高台にあるため完全な水没はしない。
これについては黒田官兵衛こそ黒田行城を奇手によって攻め落とした秀吉は今度も奇手で軍神上杉謙信でさえ落とせなかった忍城を落とそうとした。
だが、今回は秀吉の思い通りにはならなかった。
一見すると水攻め向きに思えるこの城だが本丸部分は高台にあるため完全な水没はしない。
黒田官兵衛こと黒田孝高は反対したのはそのような理由であった。
それでも、これで完全に補給は断てるので兵糧攻めと考えればそれでも十分に効果がある。
だが、史実ではなかった問題が忍城を攻めていた秀吉にはあった。
信長の命である。
自分が小田原に到着するまでに関東中の城を落として小田原に集結するように。
これによって時間の制約が忍城攻めに付加される。
もちろんそれまで落とせれば問題ないわけなのだが、城兵に降伏の意志は感じられない。
まさに史実通り。
このままでは信長到着まで忍城は落とせない。
焦る秀吉。
いや、ここは「どうする秀吉」だろうか。
むろん彼は責任をすべて結城晴朝や下野衆に押し付け、小田原へ向かう。