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元伯爵子息様、「おれたちの関係はもうおしまいだ」と仰いますが、もうおしまいなのはあなただけですよ。

「おれたちの関係はもうおしまいだ」


 その日、まるで災厄のように現れた。


 わたしの名ばかりの夫が。訂正。名ばかりの元夫が、である。


 しかも、彼は「真に愛するレディ」とやらを同伴していた。


 というか、彼が自分に妻がいるということを知っていた、あるいは覚えていたということに正直驚いてしまった。


 それはともかく、彼ことダニエル・オルティスは、開口一番そう言った。その隣には、彼の「真に愛するレディ」が勝ち誇ったような、もしくは悪意のある笑みか、とにかく彼女はニヤニヤ笑いつつ突っ立っていた。


 それは、オルティス伯爵領にあるオルティス伯爵家の屋敷の玄関での話である。


「あの、旦那様……。わしもこれから王都まで帰らねばなりません。はやいところ、馬車代をいただけませんかね?」


 なんとも言えない空気感の中、背の曲がった街馬車の馭者が急かした。


「ああ、そうだったな」


 元夫は、馬車代のことなどすっかり忘れていたらしい。もしかすると、忘れたふりをしていたのかもしれないないけれど。


「おい、そこのおまえ。こいつに払ってくれ。いくらだったか?」


 彼は、わたしのうしろに立っているオルティス伯爵家の執事のフラビオ・キロスに命じてから馭者に尋ねた。


「旦那様、最初のお約束では金貨一枚です」

「ったく、ぼったくりもいいところだな。ガタのきた馬車、それから老いた馭者と馬に金貨一枚とはな」

「そうよね。ずっとガタガタ揺られっぱなしで体中が痛いわ。ねぇ、ダニエル。はやくお風呂に入りたい。バラの花びらを浮かせて南国産のバスソルトを入れれば、少しは疲れが取れるかしら? 疲れすぎてへとへとよ」

「きいたか? おまえ、ノエリアの言う通りにしろ」


 彼は、わたしに命じた。


「まっ、そういうわけだから、今日からおれと彼女はしばらくここですごす。おまえ、いつでも出ていっていいぞ。離縁状は、適当にしておいてくれ。それにしても疲れたな。おいっ、どけよ。中に入れないだろうが」


 なにか言いたそうにしている執事のフラビオ・キロスを始めとしたオルティス伯爵家の使用人たちには、目線で彼の言う通りにするよう合図を送った。


 彼が屋敷の中に入れるよう、場所をあける。


 なんの罪も関係もない馭者は、フラビオから金貨一枚を手渡してもらって去って行った。


 愛人と大声で話をしながら屋敷に入っていく彼の背を見ながら、笑いをこらえるのに必死にならなければならなかった。



 わたしがオルティス伯爵子息ダニエルに会ったのは、たったの一度だった。


 わたしたちは、貴族間でよくある「親どうしが決めた」婚約者の関係だった。


 それは、強制的に定められた運命の人だった。


 本人の意思や希望は関係ない。とにかくおたがいその年齢に達してそのときがきたら婚儀を行い、以降オルティス伯爵領にある伯爵家の屋敷で、彼の両親つまり先代の伯爵夫妻と暮らすことを決められていた。


 わたしの実家であるサンティアゴ伯爵家は、もともと宮廷貴族で領地を持っていない。だから、わたしは生まれも育ちもずっと王都である。ダニエルは、生まれたのはオルティス伯爵家領。物心ついたときに王都に移り、以降王都で生活をしている。


 それまでのわたしたちに、接点はまったくなかった。


 同じ伯爵家でありながら、公式の場はおろか社交の場でも顔さえ合わせたことはなかった。


 もっとも、それはわたしが出来うるかぎりそういう場を避けていたからだけど。


 それはともかく、わたしたちの初対面は婚儀のときだった。厳密には、彼は式には現れなかった。そのあと予定されていたパーティーにフラッと現れたのだ。そのとき、彼は当時付き合っていたレディと腕を組んでやって来た。


 ちなみにそのときのレディは、領地に同伴したレディとは違う気がする。おそらく、だけど。


 彼は、自分の婚儀さえ認識していなかった。どこかの屋敷のパーティーに飛び入り参加する感覚だったのかもしれない。


 無精髭だらけで髪もボサボサ、カジュアルなシャツとヨレヨレのズボンを着用して会場にやって来た。


 が、会場の入り口で揉めた。当然である。会場のスタッフや参加者たちは、まさかレディ連れのこの男が主役である新郎などと想像出来なかっただろう。


「出ていけ」「料理を食わせろ」で揉めているとき、彼の両親とわたしが駆けつけた。


 怒り心頭な彼の父親、つまりオルティス伯爵である義父は、その場で彼と親子の縁を切った。


 ああ、そうそう。義父は、ダニエルがたった一回スキャンダルを起こしたからといって縁を切ったわけではない。


 彼は、控えめにいってもすべてがひどかった。とにかく、どうしようもないろくでなしだった。


 訂正。現在もだから、ろくでなしである。


 義父母は、そんな彼でも決め事通りの妻を娶り、家庭を築けばどうにかなるかもしれないと考えた。というよりか願った。だから「チャンスが欲しい」と頼まれ承諾したのである。


 が、彼のひどさはわたしたちの予想や期待をはるかにうわまわっていた。もちろん、悪い意味でである。


 結局、彼は会場を追い出された。婚儀じたいがなくなったのだ。


 それが五年前のこと。そのとき、わたしはすでに両親を亡くしていた。当主の座を父の弟である叔父一家に奪われ、帰るべき場所、いるべき場所を失っていた。義父母は、そんなわたしを誘ってくれた。そして、わたしはその誘いにのってオルティス伯爵家でお世話になることにした。


 オルティス伯爵領では、義父母を始めたくさんの人たちによくしてもらった。さまざまなことを学び、領地経営も積極的に行った。


 そのお蔭で経営は上向き、領地はますます発展し潤っている。


 が、悲しいこともあった。


 義父母があいついで亡くなったのである。


 ふたりとも、ダニエルのことは口に一度も出すことはなかった。


 ふたりの中では、彼の存在そのものがなくなっていたのだ。


 だから、わたしもあえて話さなかった。



 そのダニエルが突然現れたことは、想定内ではあった。もっとはやく現れてもおかしくはなかった。


 ダニエルは、絶縁されて以降レディたちのところを渡り歩いていた。それは、調査済みである。


 彼は、顔はすごくいい。それは、わたしだけでなく万人の認めるところ。レディにたいする気遣いも抜群である。


 もっとも、それは自分がモノにしたいレディにたいしてだけど。


 それはともかく、彼は絶縁後も伯爵子息を装ってレディたちのところですごしていたのである。


 つまり、ヒモ状態だった。


 それにしても、レディたちの親はよくもまぁ許したり援助したりしたと感心していたけれど、彼は情報に疎い親や裕福な商人や有力者の親たちを言葉巧みにだましていた。そして、バレるとつぎのレディに乗り換える。そういうことを繰り返していたのである。


 今回同伴しているレディはメンブラード男爵令嬢だけど、現当主は三十年以上自室にひきこもっている彼女の兄で、ふたりで財産を食いつぶして没落しかけている。あ、そうね。ダニエルも含めて三人で食いつぶしているのね。


 というわけで、ふたりがここにやって来た理由は明白というわけ。


 オルティス伯爵家の使用人たちに迷惑をかけるのはしのびない。ちょうど収穫期の事務作業や手配が終ったタイミングなので、わたしも余裕がある。


 出来るかぎり、わたしが彼らの対応することにした。


 彼らの理不尽で強烈なまでのワガママや指図に従うことにしたのである。


 ほんの束の間、彼らの領主ごっこに付き合ってもいい。


 一応、彼らはお客様。それが、当主の妻であるわたしの務めであるから。



 ダニエルとノエリアがここに来て以来、自堕落でワガママ放題な日々をすごしているのはいうまでもない。


 彼らは、基本的には昼すぎまで眠り、昼すぎにゴソゴソ起きてきて食事を要求し、ダラダラ食事をする。それから、居間の長椅子や主寝室の寝台の上でダラダラすごすか人目をはばからずイチャイチャしてすごす。


 夜になると、葡萄酒を飲みながら食事。そのあと、明け方まで飲み続けるかイチャイチャする。


 よくも飽きないものだと、わたしだけでなくみんなが感心している。


 この日も、朝の遅い時間にもかかわらず主寝室から高鼾がきこえている。


 ダニエルは、突然ここに現れた日から当たり前のように亡き義父母がすごしていた主寝室に入って行った。


 ふたりが亡くなってから、そこは使わずにいた。


 いずれにせよ、わたしだけでは広すぎる。わたしは、最初に提供された部屋が大好きなので、ずっとそこですごしている。


 それはともかく、彼らの高鼾を確認してから畑の手入れをすることにした。とはいえ、農家の人たちに教えてもらいながらの素人の畑だけど。それでも季節ごとにいろいろ収穫出来、そのたびにみんなでありがたく味わって食べている。


 もう間もなく畜舎や鶏舎が完成するので、いまいるウマたちだけでなく、ニワトリやウシやさらなるウマを増やす予定である。


 これは領地経営をする上で、わたし自身がよく知っておく必要があるからである。


 ちなみに、三年前に異国で出回り始めたという新種のイモの種や苗を仕入れて自分で育て始めた。それを二年前に領地内に流布した。今年、大成果を収めることが出来た。


 これからも、こうした新種や特殊ななにかを試作し、よければ改良などを行って流布していきたいと考えている。これは、この領地内だけのことではない。周辺の領地、ひいてはこのアルバラード国で流行ってくれれば、なんて野心を抱いている。



「ワオ! 土臭いと思っていたんだ」


 雑草を抜いていると畑に影が差した。


 バカにする嫌味ったらしい声は、顔を上げて確認するまでもない。


「申し訳ありません。そうですね。土臭いですよね」


(あなたたちのお腹を満たしているこのイモは、土の中で育つのよ)


 顔を上げないまま誠意のない言葉を返しつつ、心の中で苦笑する。


 彼は、そのわたしの謝罪を無視した。そして、自分の言いたいことを言い始めた。


「親が死んだ以上財産をいただく。ここで何不自由なく暮らすか、あるいは何不自由なく暮らせるだけの金貨を渡すか、どちらかにしろ。そうすれば、おまえはもう自由だ。おれたちの関係はそれで終わりだからな。出ていこうと土いじりをしようと勝手にしろ。とにかく、おれと彼女が一生暮らせるだけの環境を整えればそれでいい。さもなくば、どうなるかよく考えるんだな。しょせん不器量で土臭いおまえに選択肢はない。散々、ここで甘い汁を吸ったんだ。少しは世間の厳しさを知るといい」


 驚くべきことに、彼はバカすぎた。バカすぎるというよりか、異世界の住人かもしれない。


 いまの彼の言葉すべてにツッコんだり反論したり野次ったり嘲笑したりしたい。


(いまは、まだダメ。いまじゃない。とにかく、いまはダメ)


 何度も同じことを、呪文のように繰り返す。


 すぐに落ち着いた。


(ずいぶんと落ち着いたし、心が広くなったわよね)


 自分で自分を褒めておく。


 王都にいた頃、「悪女」と呼ばれていたのが懐かしいくらい。


 これも実や義理の両親だけでなく、ある人の教えがあったからこそね。



「おい、顔だけでなく耳まで悪いのか? なんとか言ったらどうなんだ?」


 彼は、短気らしい。そこらじゅうの土塊を革が剥がれ落ちた靴先で蹴りつつ、イライラした声で言った。


「申し訳ありません。わたしの一存では決められませんので、関係者に相談してみます」

「さっさとしろよ」

「はい」


 そのときに初めて、顔を上げた。


 彼のバックで陽が眩いばかりの光を放っている。


 手をかざして陽光をさえぎりつつ、満面に笑顔が浮かぶよう努力した。


「……」


 彼は目を見開き、こちらを見おろしている。


(気味悪い笑顔とか言われるかしら?)


 予想したけれど、意外にも彼はなにも言わなかった。


「ランチにしますね。ノエリアさんの分もすぐにテラスに準備しますので、いっしょに来てください」


 そう言いながら立ち上がり、彼を置いてすたすた歩き始めた。


 彼の存在が、作物たちにストレスを与えるかもしれない。


 わたしにとって、彼よりも作物たちの方がずっとずっと大切なことは言うまでもない。


 


 畑でのやり取り以来、彼はことあるごとにわたしにつきまとい、絡んでくるようになった。


(一刻もはやく金貨が欲しいのね)


 調査の報告では、ダニエルには借金があるらしい。彼は見栄を張るだけでなく、レディに美貌以外でも餌を巻かなければならない。そういうとき、軍資金が必要になる。しかも彼は自分自身の置かれた立場や状況を把握していないので、贅を尽くすことをやめなようとしない。昔のままのでいる。昔、まだ絶縁される前までの自分のままで。だからよりいっそう困窮してしまい、知り合いどころか街のヤバい金貸しにまで借りなければならなくなる。


 彼がここにやって来たのは、そういった金貸したちに追われ、逃げるという目的もあるに違いない。


 金貸したちも、彼が絶縁されたことは調査済みのはず。それがわかっていても、いつかはここに取り立てに現れるかもしれない。


 そういうことも想定済みである。


 そういうわけで、彼はここで一生すごしてもいいと言っていたけれど、まずは借金を返したいはず。ということは、喉から手が出るほど金貨が欲しい。


 だから、彼はわたしにつきまとい、プレッシャーをかけているに違いない。


 屋敷内や敷地内はもちろんのこと、町や村へもついてき始めた。


 鬱陶しいことこの上ない。


 オルティス伯爵家の執事のフラビオや料理人のイケル・ルシエンテス、管理人兼相談役のエミリアノ・ペラレスと話していてもそうだけど、町や村の人たちや商人や各生産者の人たちと話をしているとしゃしゃり出てきてはみんなに不快な思いをさせてしまう。


「低能で粗野な領民どもめ」


 彼は、まずそう相手を貶める。


「こいつに話しかけるな。触れるな。親しくするな。なにをしている。離れろ」


 そんなことを言いつつ、割って入ってきては物理的にも邪魔をしてくる。


 仰天するどころの騒ぎではない。


 わたしたちは、いったいだれのお蔭で生きていけるのか?


 ダニエルは、そこのところをまったくわかっていない。


(というよりか、彼はいったい何様のつもり?)


 さすがにカチンときた。わたし自身への誹謗中傷などはいっこうにかまわない。右から左に流せばすむことだから。しかし、他の人へのそれらはそうはいかない。


 不快な思いをさせてしまった人たちにすぐに謝罪するのはもちろんのこと、暗に「どうしようもないろくでなしだから」だと告げる。


 たいていの人たちは、「大変ですね」とか「仕方がないですよね」とか、かえって同情してくれる。だけどあからさまに蔑む、というよりか人を人と思わぬその言動に傷ついたりへこんだりする人もいる。


 そういう人には、あらためてフォローしなければならない。


 というわけで、しだいに外出するのも億劫になった。が、どうしてもしなければならないときがある。


 そのようなときは、こっそり隠れてするようにした。


(なにも悪いことをしているわけではないのに……)


 モヤモヤ感が半端ない。


 自分が連れてきた「真に愛するレディ」ノエリアを構えばいいのに。


 彼女は、放ったらかしにされている。そして、彼女はその腹立ちや苛立ちをわたしや使用人たちにぶつける。


 なるべくわたしが理不尽きわまりない言動を受けることにしているけれど、彼女はわたしのいないところで使用人たちをあからさまにバカにしたりこき使ったりする。


 使用人たちのガマン、当然わたしのそれも限界がある。


 もう充分ではないかしら、と考えていたタイミングで事件は起きた。


 ダニエルが執事のフラビオをナイフで傷つけ、逃走したのである。


 その日、わたしは隣接するマルケス侯爵領を訪れていた。



 ロレンソ・マルケス侯爵は、義父母亡きあと一番身近にいる領主としていろいろ助けてくれた。可愛らしい奥様と三人の息子、五人の娘たちに囲まれ、とても自由で有意義な領主生活を送っている。


 このオルティス伯爵領同様にマルケス侯爵領も豊かで平和である。大きな湖があるので避暑地としても有名なところである。


 そのマルケス侯爵領を訪れ、侯爵に例の新種のイモのプレゼンを行ったのである。


 プレゼンはうまくいった。具体的な打ち合わせは後日ということになり、そうそうに侯爵家をあとにした。


 その帰宅途中で一報を受けたのである。


 ダニエルは、わたしの不在をいいことに執事のフラビオに金庫を開けるよう命じた。金庫に保管しているであろう金貨やさまざまな権利書を手に入れたかったらしい。


 当然、フラビオは拒否した。というか、彼は金庫の暗証番号を知らないから開けようがない。


 が、これも当然のことながらダニエルはそれを信じなかった。


 あとは想像に難くない。


 ダニエルは、思いつきや突発的に行ったわけではなかった。計画的、まぁそれも不完全な計画だけど、とにかく彼なりに計画を立てて犯行に及んだのだ。


 準備していたナイフでフラビオを脅し、それでも埒が明かず、とうとう傷つけてしまい、そのあとノエリアを連れて屋敷から逃走した。


 その一報を届けてくれたのは、馭者兼雑用人のグラシアノ・レンドイロである。この日、わたしは馬車ではなく馬に乗って来ていたので急いで戻った。


 戻ったときには、すでに陽が地平線に沈んだ時刻だった。


 屋敷の前庭にはいくつもの篝火が焚かれ、大勢の人たちがいる。


 町や村の人たちだ。隣人の姿も見える。


 彼らは、逃走中の男女を捕まえ連れて来てくれたのだ。


 ダニエルとノエリアを……。


 シャツにフラビオの血痕を付着したまま町をフラフラ歩いていたダニエルと、そのダニエルを甲高い声でなじり続けているノエリアを見た町の人たちは、不審に思ったらしい。


 わたしは知らなかったけれど、ダニエルは町や村の人たちに「領主様の命令だ」とか「領主様に貢ぐのが当たり前だ」と脅したりすかしたりして金品を巻き上げようとしたらしい。それもひとりやふたりだけでなく、大勢の人たちにしていたというから驚きである。


 彼の評判は、もはや地に落ちたどころか地中深く潜ってしまっている。


 町の人たちは、すぐにダニエルとノエリアを捕えた。そして、屋敷に連れて来てくれたのだ。


 みんなにお礼と謝罪をする前に、まずはフラビオの様子を知りたい。


 さいわいにも、彼は刃先が手の甲をかすった程度ですんだ。


 心の底から安心した。安心しすぎて、両脚から力が抜けてしまった。


 フラビオに謝罪し、それから集まった多くの人たちにも謝罪とお礼を伝えた。



「おいっ、この縄をほどけ」

「ちょっと、いい加減にしてよ。縄が食い込んで痛すぎるわ」


 ダニエルとノエリアは、わたしの姿を見るなり叫び始めた。


 彼らは縄で縛られ、人々の輪の中で両膝を折った姿勢で喚いている。


「それは出来ません」


 篝火の灯りの中、わたしのやわらかい笑みはたいそう不気味に見えているはず。


「なぜだ? おまえはおれの妻だろう? 夫の言うことをきくのが当たりまえだ。それに、おれは自分の権利を行使しただけだ。それをなんだ? まるでおれが盗賊か山賊みたいな扱いをしやがって」


 ダニエルは、支離滅裂な言葉を吐き続ける。


「領主だぞ? 領主のおれが金庫の中身をどうしようが勝手だろうが。だいいち、おれが帰って来た時点でおまえが差し出すべきだったんだ」


(ふーん)


 そんな程度にしか感じない。


「領主、領主って、あんたが領主なものか。ここの領主様は、それはもう立派な方だ。そこにいらっしゃる奥様だってそうだ。領主様以上によくしてくださっている」」

「そうだそうだ。奥様がこの領地を守り、ますますよくしてくださった」

「あんたは領主じゃない。領主様は、奥様と旦那様だ」


 周囲で人々が口々に叫び始めた。


 うちの使用人たちも含めて。


「なんだと? どういうことだ?」

「あなたってほんとうに面倒臭いわね。せめてもう少しの間放置してあげようかと思ったけれど、これだけ問題を起こしたのでは、そうはいかなくなったわ。あなた、覚えている? わたしとの婚儀の際、絶縁されたわよね。わたしたちの婚儀はなかったことになったの。つまり、夫婦にならなかった。あなたは、『おれたちの関係は終わりだ』って宣言したけれど、そもそも始まってもいなかったというわけ。まぁ、勘違いでも自分が結婚していたと意識があったのは褒めてあげるけれど。というわけで、あなたは領主ではないし、オルティス伯爵家とも伯爵領とも無関係なの」

「だったら、なぜおまえがここにいる? おれと関係がないのなら、どうしておまえがここにいる?」

「ああ、そこ? 簡単よ。わたしは、オルティス伯爵家の子息と結婚の約束をしていたの。厳密には、親どうしの約束事ね。最初はあなたとだったわけだけど、あなた亡きあと、失礼、あなたが絶縁された後は、もうひとりのオルティス伯爵子息と交際し、それから結婚したわけ」

「なんだと? 他の子息? 子息は、おれだけだ」

「そう思っているのはあなただけよ。というよりか、覚えていないというのかしら? とにかく、いまはその子息が当然伯爵と当主の座を継いでいるの。そして、わたしの夫。わたしは、夫の代理で領地の経営を行っているのよ」

「はんっ! でまかせだ。だったら、その子息はどこにいる? いや、当主様であり伯爵様は、どこにいるんだ?」


 ダニエルは、縄で縛られながら息巻いている。


 それがまた哀れっぽさを強調している。


「グッドタイミングだったかな? 演出してもらったみたいで悪いね」


 そのよく通るハスキーボイスと同時に、人々が道をあけた。その間を、ゆっくり歩いてくる人がいる。


 将校服姿の美貌の持ち主が。


 彼は、迷うことなくわたしの前にやって来た。


「ハナ、いつもありがとう。寂しい思いや大変な思いをさせてすまない。それから、いつも全身全霊で愛しているよ」


 わたしよりずっと背の高い彼は、人目をはばからずわたしを抱きしめた。それから、再会の口づけをしてくれた。


「遅いわ。というか、まるで見ていたかのようにいいタイミングで現れたわね」

「ああ。ずっと待機していたんだ。きみがお膳立てをしてくれるのをね」


 彼がおどけたように言うと、周囲で笑い声が上がった。


(まったくもう。こんなに美しくて可愛い顔で言われたら、怒ることなんて出来ないじゃない)


 正直、わたしは彼にまいってしまっている。いろいろな意味で。すべての面において。


 だから、彼が不在でもがんばれる。どれだけ寂しくても、会う日のことを楽しみに突っ走り続けられる。


「おまえはだれだ?」


 せっかく久しぶりの再会を楽しんでいるというのに、ダニエルのそのひとことで現実に引き戻された。


「やあ、兄上」


 名残惜しそうにわたしをギュッと抱きしめてから、彼、つまり夫はダニエルに体ごと向いた。


「兄上?」


 ダニエルは、ほんとうにわからないみたい。篝火の灯りの中、彼が眉間に皺をよせて夫を凝視している。


「あなたの義理の弟ですよ。ほら、ひ弱だったおれをよく虐めたでしょう? 殴ったり蹴ったりして。クラウディオですよ。思い出しましたか?」


 夫クラウディオが名乗るも、ダニエルはピンとさえこないみたい。


「仕方がないですね。おれはもとはあなたの従弟、つまり前伯爵の弟の息子だった。両親が不慮の事故で亡くなり、前伯爵夫妻がおれを引き取り、育ててくれました。養子としてね。兄上が絶縁された後、おれが伯爵の地位と当主の座を譲ってもらったわけです。なにより、愛するハナを得たことは、おれにとってはかけがえのない出来事ですがね。とにかく、兄上には感謝してもしきれませんよ。ハナを蔑ろにしてくれたことを。もっとも、ムカついてもいますがね。彼女を悲しませ、混乱させたことについては。おれはこうしてアルバラード国軍の副官として領地を離れていますので、ハナにすべてを頼りきっています。いまも、隣国の災害の復興支援で任期を終えた帰りです。いまから、王都に戻らねばならないのですが、抜けてきました。愛するハナと領地の様子を見る為に。すると、どうでしょう。まさか兄上と再会することになるとは。もっとも、再会していきなり別れのようですがね」


 クラウディオは、いっきに語った。あまりにも情報量が多かったので、おバカなダニエルがついてこれているか心配してしまう。


「認めんぞ。おれはぜったいにおまえたちを認めんぞ」


 ダニエルが力のかぎり叫んだ。


 どうやら、彼は自分が不利な立場にかわりはないことは理解しているらしい。


「認めてくれなくて結構」

「認めてくれなくって結構よ」


 クラウディオと同時に言っていた。


 ふたりともやわらかい笑みを浮かべて。


「旦那様、奥様。こいつはいかがいたしますか?」


 執事のフラビオが尋ねてきた。


「そうだな。ここの警察に引き渡してもいいだろうが、どうせ王都に連行されるだろう。ふたりとも、詐欺や窃盗で手配されているから。きみたちに頼めるか?」


 クラウディオが灯りの届かない暗がりにいる方に声をかけると、彼の側近たちが駆けて来た。


「このふたりを王都に連行してくれ。向こうで警察に引き渡して欲しい。おれがあらためて事情を説明しに行く。それから……」

「かしこまりました、閣下。将軍には、奥様の具合が悪いようなので、しばらく領地に滞在されるそうですと伝えておきます」

「さすがはわが友。頼むぞ」

「はっ。奥様、しばし『やんちゃ坊主』を頼みます」


 側近のひとりでクラウディオの親友でもあるカリスト・ベンハミンがニヤニヤ笑いながら言ったので、わたしもつられて笑ってしまった。


「もちろんですとも。なんのお構いも出来ずに申し訳ありません」

「あらためて手料理を食いにうかがいます。そのときには、この前の肉料理がいいですね」

「いや、魚料理も美味かっただろう?」

「煮込み料理だろう?」


 他の側近たちも騒ぎ始めた。


「まとめてご用意しますので、みなさまでぜひいらしてください」


 笑いながら言うと、彼らはいっせいに敬礼した。


 クラウディオにではなく、わたしにたいして。


「チェッ! ハナ、明日からおれのかわりに軍を率いるか? まぁ、将軍閣下のお守りもしなければならないがね」


 将軍ダリオ・バジャルドは、とてもいい人である。


「ちょちょちょ、ちょっと待て。おい、おまえ。いや、ハナ。せっかく好きになってやったのに、こんな仕打ちはないだろう? 助けろ。そうしたら、こんなワガママクソ女より愛してやる」

「な、なんですって? この傲慢クソ男っ! こっちから願い下げよ。だから、わたしは許して。ねえ、そこのあなた。今夜どう? 助けてくれたら、あなたの愛人になってあげてもいいわよ」

「おいっ、なにをしている? ハナ、はやく助けろ」

「うるさいぞ、ふたりとも。おまえたちは、おれたちといっしょに王都に行くんだ。なあに、心配するな。野郎どもが五千人、王都まで丁重に連れて行ってくれるさ」

「冗談じゃない。おい、愛してやるって言っているんだ。はやく助けないか」

「そこのあなたは? どうせレディとヤッタことないんでしょう? 快楽を味わわせてあげるわよ」


 ダニエルとノエリアは、きくに堪えない雑言をバラまき続けている。


(というか、ダニエルがわたしに絡んでいたのは、わたしに興味を抱いていたからなの?)


 まったく気がつかなかった。


 自分の鈍感さに苦笑してしまう。


「ダニエル、あなたに言っておくわ。『おれたちの関係は終わりだ』ではなく、あなただけが終わりだってことを。せっかく興味を持ってくれたみたいだけど、心配しないで。あなたに蔑ろにされ、というよりかまったく顧みてもらえず、悲しい思いをしていたときにまっさきに駆けつけてなぐさめてくれたのがクラウディオなの。その彼が、あなたなんかよりずっとずっとわたしを愛して守ってくれる。わたしを『愛してやる』、ではなくてね。わたしたち、ぜったいにあなたの分までしあわせになるわ」


 わたしの悪女っぷりは、いまだ健在みたい。


 やわらかい笑みを添え、そう宣言してやった。


 ダニエルとノエリアは、きくに堪えない言葉を吐き散らしながら連れて行かれた。


「さて、数日はきみといっしょにすごせる。これからのことも話をしたいし、領民たちにも挨拶をしておかないと」

「忙しくなるわよ。それこそ、夜寝る間もないくらい」

「いや、それは勘弁してもらいたいな。せめて、夜は寝台できみとエクササイズをしたいんだ」

「もうっ、いやらしいったらないわね」


 ふたりでイチャイチャしてしまうのは、ご容赦願いたい。


 使用人たちは、ニヤニヤ笑いながら見ている。わたしたちは、いつもこうだから、彼らも慣れている。


「奥様、旦那様、明日から収穫祭です。いっしょに楽しみましょう」


 人々の中から叫び声が上がった。


 そうだった。明日から毎年恒例の収穫祭だった。クラウディオは、そういう面でもタイミングよく帰ってきてくれたわね。


「ハナ、もう一度いいだろう?」


 その瞬間、彼に抱きしめられた。間髪入れず口づけされたから、許可することも出来なかった。


 

 このときの寝台でのエクササイズが効果を発揮し、双子を授かったということはまた別のお話し。



                                         (了)



 

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