何者
世界はこんなに変わっているかもしれませんね。
「サトウサン、ジカンニナリマシタ。オキテクダサイ」
私は、鉛のように重い体を起こす。
「もう、そんな時間か」
昨日は同窓会の二次会。夜遅くまでやったせいか気持ちが悪い。
「パピルス、すまないが水を持ってきてくれないか」
「カシコマリマシタ」
妻と離婚してはや十年。今は、お手伝いロボットと二人だけの生活をしている。不満はないが満足もしていない。死にたいとは思わないが生きている実感が無い。ズルズルとおじさんになっていく自分の姿に、虚しいだけの日々を送っているそんなヘンテコおじさん状態なのだ。
「オミズデス」
「ありがとう」
パピルスが持ってきた水を飲むと、少しは楽になった気がした。体を起こし洗面所に向かう。パピルスもそれに反応して私につい
てきた。移動中のガシガシという機械音が、何とも言えないレトロ感を醸し出す。私はこの音が好きだ。
目を擦りながらも洗面所に着き、鏡越しの萎れたおじさんを見る。
「髪伸びたな」
寝癖なのか、髪はあちらこちらに逆立っていて、まるで古びた竹箒のようだ。
そんな侘しい自分を見た後、ふと今日の天気が気になり、パピルスに質問をした。
「パピルス、今日の天気は?」
歯磨き粉と歯ブラシを手に取り情報を聞く。これが私の日常風景なのである。
「キョウノテンキハ、クモリノチアメ。ヘイキンキオンハ、2℃デス」
「おいがおう」
口いっぱいに泡を溜めながら話してしまった。
パピルスは無表情。この一連の流れも随分と長い。十年も同じ空間にいると、それはまるで一つの家族のようなもので、絆のような物がそこにはあると考えている。
――それが例えロボットだったとしても。
情報科学と技術の発展により、この世界の九八パーセントの人類はロボット、現在はヒューマロイドって言うらしいのだが、人間の姿をした機械と一緒に暮らすのが当たり前になっている。
パピルスはその初期のロボットであり、私が離婚のストレス解消にと、家事全般をしてくれるロボットを探索した事が、出会いのきっかけである。
とは言え、相手は0と1によって制御された鉄の塊。四十を超えた私にとって、人の温もりが欲しい。
「ガラガラ、ペッ……パピルス、タオルをくれ」
「ワカリマシタ」
タオルを受け取り口を拭く。そして、ある決断をする。
「なあ、パピルス」
「ハイ、ナンデショウ」
――「俺、婚活しに行くわ」
太陽の日差しが痛い。蝉の音もどこか苦しそうに聞こえる。しかし、こいつらも頑張って生きようと努力しているのだ。このクソ暑い中、必死に。
俺は高層ビルに入り、ロビーにいる係員に話しかけた。
「予約していました。高木誠です」
「はい、高木様ですね。十三時のご予約で承っております。イベント開始まで少々お待ちください」
辺りに見える長椅子に座り、時間になるまで待つことにした。勿論のことパピルスは留守番をしている。よって、久しぶりの一人での外出なのでソワソワしている。
それにしても人が多い。四十人以上はいるのではないか。まさか私が最後の参加者なのでは! この歳でドベとかやめてくれよ。
私は心の中で不満をぶちまけた。点在する気まずさが静電気のようにチクチクと体を攻撃する。
そんな中でも時間は経つ。イベントの関係者のような人物がロビーに登場し、開始の連絡を行った。
「十三時になりました。イベントを開始します。二十三階のイベントホールへお越しください」
ロビーにいる愛を求めし戦士たちが一斉に動き出し、大型のエレベーターへと移動した。このエレベーターの許容重量は一トンだそうなので、今回の参加者のスタイルを見る限り、男性女性関係なく十人以上は乗れそうだ。
私は四番目の組、つまり最終組の列に並び、エレベーターの順番を待った。
ゾロゾロと人間がエレベーターに吸い込まれていく。
二十分ぐらい経った後に、私たちの組が呼ばれた。私たちは関係者が言われるままエレベーターに乗った。
エレベーターの中は意外にも快適で、まだ五人程度は入れるスペースがある。男女比としては男が三に対し、女が七と言ったところか。やはりこの時代、皆考えることは同じなんだな。
「二十三階に着きました」
同じ組に同行していた関係者の言葉から、続々と参加者が降りていく。私もそれに続いて降りた。
会場風景としては、いわゆるホテル会場のようなものであって、空間の至るところにテーブルがあった。しかし、椅子が目に当たらない。多分、立ち話などをメインとするのだろう。
「会場にお集まりの皆様。大変長らくお待たせいたしました。今から、イベントを開催いたします。テーブルに置かれているお酒・ジュース類、どれでもお好きな物を手に取って、会場にいる参加者と楽しい会話を繰り広げましょう」
私は目の前にあったオレンジジュースを手に取った。別にこの飲み物が好きだからという訳では無く、ただ酔いたく無かったからである。
辺りをぶらつく。周りを見ると、今更なのだが、こんなおじさんはどこにも見当たらず、若い男女ばかりであった。
「勝機無いな」
私が軽くぼやいていた時、ふと女性の声がした。気のせいか名前も呼ばれている気がする。
「高木君?」
その女性はまるで、私のことを知っているように君づけで呼んだ。
意識をその女性に向けると、面影のある人物像が脳裏に浮かんだ。
「長谷さん?」
「そうだよ、高木君も婚活イベントにいるなんてビックリ」
中学校の同級生が、こんな最後の砦のような交戦区域にいるなんて思いもしなかった。しかし、相変わらず綺麗だ。三十代前半と言っても誰も気づかないだろう。
「俺こそビックリだよ。良く俺だと分かったな。こんなおじさんの姿で」
「同窓会の写真を偶々片付けていた時に、何か見たことある顔だなって思って、つい話しかけてしまったわ」
同窓会。その写真の私はどんな顔をしているのだろう。
「そう言えば、一昨日に確認するのを忘れてしまったんだけど、高木君って結婚していたよね。どうして、ここに?」
触れたくない現実。しかし、言わなければこの場がしらけそうなので、恥ずかしいが言った。
「俺、十年前に離婚しているんだよね」
「ええ! そうなの」
長谷さんは驚いた顔で私を見た。だがその直後、なぜだか安堵の表情を見せる。
「よかったわ。私だけじゃないのね」
長谷さんは意味深な言葉を発した。そして、個人的に衝撃的な事実を話す。
「実は私もバツイチなの」
「ええ! 本当か。意外だなぁ」
この場にバツイチが二人いる事自体、驚愕な事実なのだが、それが同級生という奇跡に、只々驚くしかなかった。確率論なんて当てにならないのではと思った瞬間だった。
「それにしても本当にビックリ。今は何をしているの」
「今はお手伝いロボットと二人暮らし、仕事はプログラマーだよ」
「ええ、そうなんだ。すごいね。私は食品メーカーの事務だよ」
ただの雑談。しかし、とても楽しい。
雷雲のように厚い心の靄に一筋の光が差し込み、一気に晴天になった気がした。
しかし、長谷さんは少し暗い顔をしていた。
「まあ、最近のあれよ。AIとか発展しているじゃない。だから私の仕事が余り無いのよね。全部やってくれるのよ」
長谷さんは悲しみとも何とも言えない様子だ。それを悲しみと捉えるのならば、自分という存在を否定する事になってしまうと気づいているからだろう。
「そうだな。難しい問題だよね」
私は同調した。しかし、慰めたい気持ちもあったので次のように語った。
「でも、長谷さんなら大丈夫だよ。安心しなよ」
「ホントかな」
「ホントだよ」
慰撫と謙遜が混じり合う。その中で不思議な化学反応が起こったのか、お互いに楽しくなってしまい、ついつい笑ってしまった。
「アハハ、ありがとうね。ここで高木君と会えて良かったよ。一昨日は、お互いに同姓の友達とで飲んでいたもんね」
「そう言えばそうだな。話せる機会は無かったからな」
話題が終わり、私は手に持っているオレンジジュースに口をつける。甘い。私には甘すぎる。後でお茶でも貰おうとするか。
さて次の話題、と思った瞬間、長谷さんに若い男性が一人話しかけてきた。
「すみません。一緒にお話ししませんか」
「いいですよ。じゃあね高木君、またどっかでお会いしましょう。お仕事頑張ってね」
「う、うん」
高木さんの言葉に釣られて、反応的に返事をしてしまった。この返事から高木さんはその若い男性と話し始めた。まあ、婚活イベントである事は承知の上で、仕様がないのも事実なのだが、とても寂しい。
ここから私は、この若草の大地に足を踏み入れなければいけないと思うと、少し嫌になった。既に極相林のような私にとってそれは難易度が高すぎる。
そうして、私は戦略をブラブラと会場を歩きながらオレンジジュースを飲みつつ考えた。
太陽は五時をまわってもその眩しさが弱まる事は無く、燦燦と照らしている。だが私はそれに反するように、会場の近くの喫茶店でコーヒーを飲んでいる。
あの後何度も話しかけたり、作戦を練ったりしたが、上手くいかなかった。結局、何の収穫も無く一時間半近くこの店で落ち込んでいる。
「やはり年齢なのかな」
私はまた軽くぼやく。
コーヒーを飲み干し、これ以上の長居もお店に失礼だと思い、席の番号が書かれたレシートを持って立ち上がる。
レジに着き、会計を済ませようと財布を出す。
「お会計ですね。レシートを提示してください」
店員の言うようにレシートを提示した。それとほぼ同時作業で、カバンから財布を出した。
しかしその後、私は信じられない光景を目にした。
「……スキャン完了です。合計金額は四五〇円になります」
店員はレシートのバーコードを目で読み取り、合計金額を算出したのだ。こんなところにもロボットがいるなんて思いもしなかった。見た目はそこらへんにいる人間と変わらない。声質もだ。
私は芯から驚きながらも、時代の流れに納得しなければならなかった。
「四五〇円ね」
「四五〇円丁度のお預かりです。領収書はいりますか」
「いいえ、結構です」
「失礼いたしました。またのご利用をお待ちしております」
ロボットは丁寧に私を見送った。この店では接客サービスをロボットに任せているらしい。だとすると、調理側も気になるな。まさかこっちもロボットがしている訳ないよな。
私は疑心暗鬼になる。
家に帰る為、駅を目指し、暫く歩いた。
すると、電器屋の店の前の薄型テレビから、日毎夜毎、お茶の間を不安にさせるあるニュースが聞こえてきた。
『次のニュースです。東京都渋谷区の路上で暴走したヒト型アンドロイドの措置について、制作会社デニーの社長川下重明氏は「制御システムの故障と倫理プログラムに異常の発見に気がつかなかった。御社の社員一同、深く反省をしている」と述べています。警察はアンドロイド暴力罪の容疑で捜査を進めているようです。では次のニュースです』
日常の重みが軽減されたこの中に、このような不吉なニュースが流れると大変心が痛い。今の世の中の、効率化を目指す志向は本当にそれでいいのかと心配する日が度々あるのだ。
私はそのニュースを見た後、再び歩き始め、駅を目指した。
街をよく見てみると、無人のタクシーや空飛ぶ運送機が至るところに点在していた。
「そうか、俺が意識していなかっただけで、世界はこんなにも変わっていたんだな」
子供の頃と今の自分の生活を比べる。当たり前なのだが全然違う。便利さと作業効率の速さが比べ物にならない程に勝っている。
だからと言って、昔の生活に不満がある訳でも無い。
長谷さんと話した時のような人間身ある情緒、何かの目的にすぐに辿りつけないもどかしさ。そんな事例が色々混ざり合って、素晴らしい調和を醸し出すのだ。
――今は無き、究極の世界だけど。
私はそんな事を考えながら、てくてくと歩いていくと目的地に着いた。
自前の電子カードで改札を通り、自宅方面の乗り場へと向かった。
広い玄関口の奥に見える階段を降りると、横幅が狭い地下通路に出た。私はその通路を渡り、目的の乗り場のある階段を上った。
「五時二十五分か。あと三分だな」
意外にも丁度良い電車に乗れて嬉しくなった。
時間になるまで気を緩ませていた時、「ビービー」と自分の携帯電話が鳴った。
「お、電話かな」
私は慌てて、カバンから携帯電話を取り出すと、上司の名前が携帯電話の画面上に表示されていた。
私は急いで電話に出た。
「もしもし高木ですけど」
「ああ、高木君。休みの日にすまない。実は君に言わなければいけない事があるんだ」
「何でしょうか」
上司は畏まった口調で話す。一体何の用事なのだろうか。
「……実は、とても言いづらいのだが」
私はその真相に、固唾を飲んだ。
だが、その真相は愉快なものや悦ばしい報告ではなく、私の人生の特異点になるほどの運命的な効力を持っており、とても残酷な報告だった。
「来月から会社に来なくて良いよ」
――冷酷無残な報告の中、乗車予定の電車が着いた。
自宅付近の駅に着いた。私は電子カードで再び改札を通り、自宅へと向かった。
上司からの連絡はパワハラのそれとは程遠く優しさを感じたのだが、同時に存在定義を考えさせられる程の内容であった
重要な仕事は私より上位層の人間がやり、バク処理などの雑務はすべてAIに教えさせるとの事。
どの世界でも、優秀な人材やアイテムは強く、私みたいなデフォルトな存在は、段々とその能力が薄れていく。
このマクロコスモスな概念は、その存在を肯定しているのだ。
「これからどうしよう……あっ、そう言えば、長谷さんも言ってたな」
急に長谷さんの言葉が脳裏に浮かんだ。
大丈夫だと言った自分が大丈夫では無い。そんな状態になるとも思わなかった。
様々な言い訳、後悔が頭に浮かぶ。
「そう言えば、あの婚活イベントも若い奴が多かったな」
よく考えると、あの婚活イベントも異様だった。普通は来ないであろう、社会人一年目のような人間が沢山いたのである。
少子高齢化と言っているが、その他にもっと重大な問題が隠れている気がした。
そのように考えると、ある仮説が脳裏に浮かんでしまう。
――この世界は偽であると。
暫く考えながら歩いていくと自宅に着いた。ベルを押すと家の鍵が開き、玄関の外灯に電気が流れた。
私はドアを開き「ただいま」と言った。すると、パピルスが「オカエリナサイ」と返してくれた。
そんなパピルスに一言言いたかった事を口にする。この言葉は先程考えだした結果生み出された疑問である。
その疑問は量子論の難題ぐらいに複雑で、群青色のように冷めた虚無感を醸し出した。
「俺って何者なんだろうな」
最後まで読んでくださりありがとうございます。