第二話 風の街・ホルン
魔王イヴェルヴォルザーク3世が、こちらに手をかざす。その瞬間、ラインハルトは凄まじい爆風に吹き飛ばされた。
「くっ……」
手も足も出ない。振り向くと、パーティの仲間たちも苦しそうに膝をついていた。
「興醒めだな」
イヴェルヴォルザーク3世が、マントを翻して背を向けた。
「待て、逃げるのか……!」
ラインハルトはその背中を追いかけようとするが、脚に力が入らない。
「貴様なぞ殺す価値もない。どうしても死にたいと言うのなら、魔王城に来ることだな」
魔王はそう言い残すと、不敵な笑みを浮かべながら闇の中に姿を消した。
魔王城、謁見室。
ぐにゃりと空間が歪み、そこから魔王が現れた。
「おかえりなさいませ。魔王様」
イヴェルヴォルザーク3世が無言でローブを脱ぐ。従者が、うやうやしくそのローブを受け取った。
「とどめを刺さなくて良かったのですか?」
「よい。私は休むぞ。退がれ」
従者が深々と頭を下げ、謁見室から退出した。
魔王は従者が去るのを横目で見た後、玉座へと歩み寄りどっかりと腰掛けた。
「もっと強くなれ、勇者よ。強くなって、ここまで辿り着け」
魔王が、首から下げたロケットを開いた。そこには──ラインハルトの写真が嵌め込まれていた。
少しだけ頬を紅潮させ、うっとりとした目でロケットを見つめながら、魔王が呟いた。
「そして、その時お前は、私のものになるのだ。勇者ラインハルトよ──」
⭐︎
「暇だな……」
首から下げたロケットを指先で弄りながら、イヴが呟いた。ここは小説『ラグナロク・ダークネス』に登場する魔王城。イヴとハルトは、そこに登場する魔王と勇者だ。二人は、最終決戦を目前にして、物語の更新を待ち続けていた。
「物語が更新されないことには戦うわけにもいかねぇしなぁ」
ソファの上で手の爪を眺めていたハルトが、退屈そうに返した。
「てか、暇ならその辺にある魔導書読めばいいのに」
「とっくに読んだわよ。内容を丸暗記するほど何回もね」
謁見室には魔王が所持する魔導書が並ぶ本棚があった。だが、あまりに長い時間を過ごしているイヴにとって、それらはただのインテリアと同然になっていた。
「アンタは読まないの?それなりに暇潰しになると思うけど」
「俺、魔界語読めないからなぁ」
ハルトがソファから立ち上がり、本棚に並ぶ本を無造作に手に取った。パラパラとページを捲ると、そこには見慣れない言語が並んでいた。
「てか、なんで魔界語の設定あるのに普通に話せてんの?俺ら」
「知らないわよ。作者に聞いて」
「その作者が居ないから困ってるんだよなぁ……」
ハルトが本を棚に戻し、再びソファに寝転がった。
「設定と言えばさ。なんでイヴって急に女の子になったわけ?」
『ラグナロク・ダークネス』第二話。そこでは、冒険を始めた勇者の前に、初めて魔王が姿を現すシーンが描かれていた。
その時の魔王イヴェルヴォルザーク3世は、ローブで顔を隠した2メートルほどの大男だったはずなのだが──数話後に再登場した際には、何故か美少女という設定になっていたのだ。
「さぁ……作者の気紛れじゃない?」
「設定纏める前に書き始めるから……」
「設定ばっかり考えて書かずに終わるよりはマシなんじゃない?」
「その結果エタってんじゃねーか」
ハルトが天を仰ぎながら溜息をつく。イヴはハルトをチラリと横目で見ると、コホン、と小さく咳払いをして、普段よりも少しだけ小さな声で続けた。
「まぁ、女になったのはいいわよ。今の姿、気に入ってるし。問題は、その……ハルトのことが、す、すき……って設定よ」
「え?なんて?聞こえなかったわ」
「アンタのその“好意を向けられた時だけ難聴になる”みたいな設定もホントむかつく」
「あ、またやっちゃった?」
イヴが半ば呆れるようにハルトを睨む。ハルトはごめんごめん、と軽い調子で謝った。
「露骨に聞こえなくなるもんだから、逆にわかるようになったわ。あ、今好きって言われてるんだな、って」
「なんか矛盾してない?それ……」
「魔王城に来るまでもよく難聴になってたからなぁ、流石にね」
「出会う女みーんなアンタに惚れてたもんね」
「後半とか、ほぼなんも聞こえなかったわ」
「それは言い過ぎじゃない?」
「いや、マジで」
ハーレム主人公も楽じゃないよ、とハルトが肩を竦める。
「でも俺にはアキホさんが居るからなぁ」
「でた、アキホさん」
「でたって言うなよ。きっと今も俺の帰りを待ってるんだぜ?」
アキホとは、『ラグナロク・ダークネス』第二話で登場した“風の街・ホルン”にて、一人で酒場を切り盛りしている女性だ。ハルトがそこに立ち寄った際、二人はなんやかんやで良い感じの雰囲気になっていた。第二話のラストでは、魔王城に向かうため街を去るハルトを、アキホは「絶対帰ってきてね……!」と言って見送るのだった。ちなみにその後、最新の第十五話に至るまでアキホの登場シーンはない。
「元気にしてるかなぁ、アキホさん」
「待たせ過ぎて忘れられてるんじゃない?」
「そんなわけ……ないよな?」
「いや、私に聞かれても」
急に不安になってきたのか、ハルトがソワソワし始める。イヴはその様子を面白くなさそうに見つめていた。
「……行くか。風の街、ホルン」
「はぁ?ダメに決まってるじゃない。忘れてるかもしれないけど、私達最終決戦の直前なのよ?」
「もう何年も音沙汰ないんだし、ちょっとくらい大丈夫だろ」
「でも万が一更新が始まったら目も当てられないじゃない。さっきまで魔王城で剣を抜いてたのに『俺は風の街にいた──』から始まるのよ?」
「それで言ったら今更新されても『俺は魔王城のソファに寝転がっていた──』じゃねぇか」
「それはそうだけど……」
「まぁまぁ、ちょっと顔出すだけだから、な?」
「えー……」
ハルトはその辺に転がっている聖剣を久方振りに腰に差し、ウキウキで謁見室を後にした。
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「いやー、来たな。風の街、ホルン」
「ここにアキホさんの酒場があるの?」
「おう。てか、結局イヴも着いてきたな」
「魔王城に一人で取り残されたら、いよいよ暇すぎて死にそうだし……」
文句ありげなイヴとは対照的に、ハルトはほとんどスキップをするようにして酒場に向かった。酒場には、第二話の頃と変わらずOPENの看板が掛かっている。
「こんちわー!アキホさん、元気ー?」
意気揚々と扉を開いたハルトが、動きを止める。どうしたの?と後ろから顔を覗かせたイヴの目に、アキホの姿が映った。
上下スウェットの寝巻きのような格好。山盛りの灰皿と咥えタバコ。テーブルの上に乗せられた足。
そう、ハルト達と同じように長い長い暇を持て余したアキホは、完全に──スレていた。
「チッ、なんだてめぇかよ」
「あ、ハイ……」
舌打ちを食らい、ハルトが叱られた子犬のように小声になる。先程までのルンルン気分からのあまりの落差に、イヴは少しだけ同情した。
「勇者サマが何の用だ?あん?」
「いえ、元気にしてるかなーって思いまして……」
「見ての通り暇で暇で死にそうだよクソが。てめぇはいつになったら魔王を倒すんだ?」
「それが俺にもわからなくて……」
「チッ、使えねぇな」
二度目の舌打ちに、ハルトがいよいよ泣きそうになる。
「私は今からネトフリみる予定なんだよ、用がないなら帰ってくんね?」
「あ、ハイ、失礼します……」
ハルトが静かに酒場の扉を閉める。暫く沈黙が流れた後、二人は魔王城への道を歩き始めた。
「……ネトフリとかあるんだね、この世界」
「魔王城、テレビないもんね……」
「……」
「……」
「俺、今ならイヴと付き合ってもいいかも」
「サイテーなんですけど……」
二人の暇潰しはまだまだ続きそうだ。