巻き戻ったら大好きだった婚約者が生理的に無理になった件
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「スリュサレヴァ侯爵家、令嬢アナスタシア! そなたとの婚約を破棄する!」
そう宣言したのは、ドングザシビリ公爵令息。
私の愛する婚約者様。
大好きだった婚約者様にそう宣言された私は反論の声をあげました。妹を虐めた? 平民出身の聖女に暴漢をけしかけた? 全く身に覚えのないことです。
私は次期公爵となる婚約者様のために、王妃教育と同等の教育を受けていました。
王太子妃様と一緒に勉学に励んでいたのですもの。そんなことをしている暇などありません。
そう言ったとたん。
「口答えするな!」
腰に帯びていた剣を抜き、私に向かって降り下ろしてきたのです。
真っ赤に染まる眼前。婚約者様の顔も真っ赤で、しかも憎い魔獣でもいるかのように睨み付けています。
ああ、私のどこがいけなかったのでしょう?
初めて会ったときから、その美しく金色に輝く髪が、凪いだ湖面のような澄んだ瞳が、私の心を離さないのです。
人形のように整った顔は神が作り給うた奇跡のよう。
低く、体の芯に届くような声色がかけられるたび、ときめきが溢れて止まりません。
あなたのためならどんなに辛い目にあっても構わなかったのに。
あなたの側にいるためなら、難解な勉学も、謂れのない誹謗中傷も耐えられたのに。
なぜ、愛するあなたにこれほど怨みの籠った目を向けられなくてはならないの?
胸から溢れだした血を庇うように、倒れた私の目は、愛する婚約者様の、ただただ穢らわしいものを見ているような眼を見つめたまま、滲んでいきました。
気がつけば、自室のベッドの上でした。
あの後で帰されたのかと、起き上がった所で違和感を感じました。
何に対して感じたのか一瞬わかりませんでしたので、回りをぐるりと見渡します。
すると、部屋の中が子供の頃のように模様替えされているのです。
さらに、けっこう大きく切りつけられた筈なのに、胸に全く痛みがありません。
その胸にあてた手から着ている寝間着が子供の頃に着ていたようなフリルがたくさんついたものだと気がつきました。
なぜ? と思ったとき部屋のドアが小気味良く叩かれました。
「お目覚めですか、お嬢様」
しわがれた声は私が九つのときに亡くなった乳母の声です。
「ナーニャ……?」
「はい、お嬢様。今日はずいぶん早く起きていらしたのですねぇ」
この年老いた乳母、ナーニャは、正確には私の母の乳母で、三つのときに亡くなった母の代わりに私を育ててくれた人です。
だから、ずっと自分の祖母のように思っていてお父様に相談できないことも彼女にはたくさん相談していました。
でも、でも彼女はもういないはず……。
「ナーニャ……ナーニャ!」
私はベッドから降りてナーニャに掻きつきました。
夢でもいい。辛かった時にいつもいつも、相談したい相手は彼女でした。
彼女が死んだあとにつけられた侍女は厳しい方で、弱音を吐こうものならずいぶんと叱りつけられたものです。
彼女のスカートにかじりついて、わんわんと泣きました。
ナーニャは優しい声で、私の頭を撫でてくれます。
「まぁまぁ、怖い夢でもご覧になられましたか? もう七歳のお姉さんなのに、困ったものですねぇ」
と、ぜんぜん困っていなさそうな声で慰めてくれます。
そして、はたと気づきました。
七歳?
「ナーニャ、私は七歳なの?」
乳母は目を真ん丸にして、しゃがんで私に目を合わせました。
「まぁまぁ、アナスタシアお嬢様。どうなさったのですか?」
その目が心配そうに覗き込んだので、恥ずかしくなった私は、夢の中の出来事だとして、ついさっきの体験を話しました。
曰く、十八歳の私が十年間愛し続けた婚約者様に切りつけられて殺される、という体験です。
優しいナーニャはポロポロと涙をおとして私を抱き締めてくれました。
「なんて恐ろしい! 怖かったでしょう。辛かったですねぇ……夢の中の私は何をしていたのかしら! かわいそうに……」
夢の中の出来事だと言ったにも関わらず、全面的に信じて味方してくれるナーニャに感謝します。
今まで、ナーニャ以外にこんなに私の味方をしてくれる人はいなかった……。
私はナーニャに抱きつきました。
「ナーニャはね、いなかったのよ。どこにも……すごく会いたかった」
「まぁまぁ、ごめんなさい。お嬢様を一人にしてどこかに行ってしまうなんて……乳母失格ですね」
「いいの……ナーニャはここにいるもの。だから、いいの」
頭を、背中を優しくなで続けてくれるナーニャの肩に顔を押し付けます。
夢で……夢でもいい。今だけはただただ甘えていたい。
何となく自分はもう死んでしまったのだと気がつきました。
ですが、だからこそナーニャにまた会えたのだと思うと、離れがたく、また今は子供のようでいたいと思うのです。
たまらずまた、声をあげて泣きました。
泣き疲れて眠った次の日。
私はただ単に死んだのではないと気が付きました。
そうです。だって『次の日』があるのですから。
昨日だって、泣きながら、何か食べないといけませんよ、飲まないといけませんよ、と言われてお茶を飲んだり、スープを飲んだりクッキーを食べたりしたのですから。
「これ、死んだのではなく、同じ人生をやり直しているのではなくて?」
そう考えるに至り、血の気が引きました。
また、また同じ辛い人生を送らなくてはならないのかと。
「いや……いやよ。また……あんなふうに大好きな人に嫌われるのなんて」
必死で努力して努力して。
必死に頑張って、必死に我慢して。
たどり着いた先が、好きな人に殺される未来なんて嫌です。
私はなんとか、この運命から逃れられないかと考えました。
けれども、まだ七歳の子供である私にはなんの力も無く、ナーニャに慰められながらいやいや、運命の場所に赴く事になりました。
そう、あの私の婚約者様に初めて会うパーティーの会場です。
公爵令息である彼と、同年代の令嬢令息を集めたパーティーで、まぁ所謂『お見合い』と『お友達探し』を兼ねたものとなっています。
そこで、私は彼を見て、ひと目で恋に落ちてしまったのです。
ああ、今思い出してもときめいてしまいます。
サラサラと流れるような美しい髪。
キラキラと輝く宝石のような瞳。
会ってしまえば、また私は虜になってしまうでしょう。
――だから会いたくないのに。
パーティー会場に着いてからも、鬱々としておりました。
そしてついに彼が会場にやってきた……。
「……え?」
美しく金色に輝く髪。
凪いだ湖面のような瞳。
少女のような白い肌と、まだ華奢な少年の体格。
人形のように整った顔は神が作り給うた奇跡のよう。
まさにそこにいたのは、前世で恋い焦がれた彼のはずなのに。
「どういう……こと」
私は自分の腕に浮かぶ鳥肌を、知らず擦りました。
私は彼に対して。
気持ちが悪い。
そういう印象しか浮かんできませんでした。
「どういうこと、どういうことなの? 私……私は!」
もう一度、彼を凝視しました。早速誰かと挨拶している彼を。
その瞳は欲に歪んでいるように、微笑みは裏でなにかを企んでいるように見えます。
「……無理……ッ!」
私は青ざめて目をそらしました。背中を悪寒が走ります。
私は、彼の事を全く受け入れられなくなっていました。
「前世の……あの出来事のせい?」
私は婚約破棄を突きつけられ、問答無用で斬り殺された。
あの経験が、彼をよくないものに見せてしまっているのでしょうか。
私は寒気に自分の腕を引き寄せました。
と。
「大丈夫ですか……?」
心配そうな声色の、高く柔らかな声がかかりました。
見ると、ふわふわとしたはちみつ色の髪にピンクのドレスの、愛らしい少女が眉を寄せています。
「あ……ええと」
「ご気分が悪いのでは? どこか休める場所を」
そのはちみつの髪に合う琥珀の瞳を、心配の色で一杯にした少女は、私の肩にそっと手を置きました。
……温かい。
その手にホッとした私ですが、
「ひとまずこちらの椅子に」
と、別の方向からかけられた声に顔を向けました。
黒髪で、翠玉の瞳と精悍な顔つきを持つ、今の自分より少し上と見える少年が椅子を引いてくれています。
さぁ、とはちみつの少女が促してくれるのに、私は戸惑いながらも、彼の引いた椅子にありがたく座らせてもらいました。
「顔色が悪いわ。ねぇ、何か飲む?」
「あまり悪いようなら、家の人を呼んだほうがいい」
はちみつの少女の琥珀と黒髪の少年の翠玉の瞳が、心底気遣わしげに私を覗き込みます。
私はほぅと息を吐きだし、そして嬉しくなってきました。
「大丈夫です。とても緊張していたのですけれど、座ったら落ち着いて来ました」
本当? とニコリと笑う少女。とても愛らしい方です。
今の私より少し下でしょうか? しっかりしていらっしゃる。
「ええ、本当に。声をかけていただいてありがとうございます。そのおかげですわ」
こちらも笑い返せば、黒髪の少年の方も大きく息を吐き出して、ふわりと笑いました。
「本当に。今にも倒れそうだったんだ。もう大丈夫なら良かった」
「そうですね……あ、ええと、私はクニツカヤ伯爵家のタチアナと申します。あなたは……」
私が答える前に、黒髪の少年が
「カレンティエヴァ伯爵家のセルゲイです」
と自分の胸に手を当て、目礼します。
ピシリと折り目正しく、きっちりとした礼です。
確かカレンティエヴァ伯爵家は騎士の家系でしたわね。なるほど。
「スリュサレヴァ侯爵家のアナスタシアですわ。本当に、助けていただきありがとうございました」
「まぁ、スリュサレヴァ侯爵家の」
「なるほどそれで」
私の自己紹介に何やら二人は納得した様子でした。
「侯爵家の方々は、ドングザシビリ公爵令息の最有力婚約者候補でいらっしゃるでしょう?」
「それなら緊張していて仕方ないか。家の期待を背負ってきているのだろう……」
なるほど、今回のパーティーの開かれた目的からすれば、そうなりますよね。
「……いえ、うちは……合わなければ拒んでいいと、そういう方針でしたの。……けれど気負ってしまって……」
私が恥ずかしく思いながら言えば、二人は顔を見合わせ、ホッと息をつきました。
「なら大丈夫ですわね。落ち着いてからちょっと挨拶すれば……」
「いや、主催は公爵夫妻だから、入口でお二人に挨拶していればそれ以外に顔合わせしていなくても、礼儀としては問題ないはずだ。このまま気分が悪いと退場して、あとから手紙にでも礼を認めればいい」
私の顔色が本当に悪かったようで、二人は家に帰るよう勧めてくれました。
侍女の待機所まで付き添ってくれた上に、私の様子を説明して送り出してくれます。
「クニツカヤ伯爵家のタチアナさま、カレンティエヴァ伯爵家のセルゲイさま。あなた方にもお手紙を書いてもよろしいでしょうか?」
お礼と共に二人に言えば、もちろん、という言葉と満面の笑顔をいただけました。
最悪のパーティーになりそうだった場は、素敵な友達との出会いの場に変わりました。
時は流れ、私は再び十八歳になりました。
「スリュサレヴァ侯爵家令嬢アナスタシア! そなたとの婚約を破棄する!」
……。
私の前には、ドングザシビリ公爵令息。前世での婚約者。
今、前世と同じセリフを、前世とは少し違う場所で叫ばれています。
前世では、学園卒業後の王宮でのパーティーで。
今は卒業前。学園の生徒がたくさん通りかかる広い廊下でのことです。
そして続く、数々の身に覚えのない罪……。
それらをずっと冷めた目で見ていました。
私が反論も、反応さえもしないのを見て、ドングザシビリ公爵令息は顔を真っ赤にします。
「なにか言うことはないのか?!」
叫ぶのに対して、私は満を持してこう言いました。
「私、貴方様の婚約者ではありませんが?」
「……は?」
ポカンとするドングザシビリ公爵令息にため息が出ます。
「私は、ドングザシビリ公爵令息様の婚約者ではありません。人違いをしておいでです」
「何を言っている。俺は間違えてなどいない!」
するとそこに、近くを警備していた騎士の方が駆けつけてきました。
学園は王立ですので、騎士団から騎士が派遣されて警護をしています。
騎士は黒髪で翠玉の瞳の、精悍な男性です。
「シア! どうした」
「セルゲイ様」
そう、あのパーティーで出会った黒髪に翠玉の瞳の少年……いえ、今はもう立派な騎士となった彼は、今この学園で警護をしているのです。
私は彼の顔を見てホッとして、その姿に寄り添いました。
それをドングザシビリ公爵令息は、胡乱な目で見ます。
「何だお前は」
「こちら、私の婚約者のカレンティエヴァ伯爵家のセルゲイ様ですわ。八年来の婚約で、もうすぐ結婚式を挙げますのよ」
「なんだと……」
そう。カレンティエヴァ伯爵家のセルゲイ様こそ、今の私の婚約者。
あのパーティーのあと交流をしていた私達は、どちらともなく惹かれ合い、私の十歳の誕生日に両親に認められた上で婚約を結びました。
それからずっと、仲睦まじいカップルとして過ごしていて、わりと有名になったと思っていたのですが……。
ええ、周りの方々にも信じられないという顔をしている方が大勢いらっしゃいますわね。
私の説明に、信じられないと首を振るドングザシビリ公爵令息。そちらのほうが信じられませんわ。
「そんなバカな……」
「私、ドングザシビリ公爵令息様にはまだ婚約者がおられないと聞いております。お隣の可愛らしいお嬢様が、婚約者候補でいらっしゃいますの?」
ドングザシビリ公爵令息の横には、前世にもいらした聖女候補の少女……ですわよね?
前世の彼女は、儚げでか弱く、お小さく見えましたから、今ドングザシビリ公爵令息の腕に掻きついて、こちらを睨み据える少女とイメージが合いません。
「我が家はそちらのうちとの交流が少ないですから、婚約式や結婚式の招待状なども送っておりませんもの。ご存じなかったのかもしれませんわね。ですが、それでご自分の婚約者と思われるとは……不思議ですわ」
呆れたように首を傾げますと、ドングザシビリ公爵令息は腕の彼女に顔を向けました。
「それは……だが、それならなぜ彼女を!」
……。
今、なにかビクリとなさいましたね?
聖女候補の少女はこちらをすごい目で睨んでいますからね。あ、ドングザシビリ公爵令息が、絡められた腕を外そうとしています。
が、すごい力でかじりついています。あの細腕のどこにそんな力が。
すると、私の頼りになる婚約者様が、口を開きました。
「そちらの……聖女候補だったか。確かあちこちの高位貴族に声をかけている……。俺や友人にも声をかけてきたのでな、婚約者や教師の立ち会いのもと抗議文を送った事ならある」
ああ、確かありましたね。私のセルゲイ様だけでなく、お友達も合わせて4組での連名で、会議室を借りて正式に手渡しました。
教師の立ち会いですので、どんな事が起きたのかはきちんと調査済みですのに、身に覚えがないと突っぱねられましたっけ。
まぁ、その後からは音沙汰がなくなったからと、安心していたのですが……。
「他にも、様々な奇行や迷惑行為をするので、我が婚約者はできるだけ避けていたようだが……。廊下であちらからぶつかって来たら、さすがに苦言をするし、廊下を泥まみれにしていたら抗議するだろう。まぁ、物がなくなったのを周囲のせいにし始めたときには無視したようだが」
周囲というか、わざわざ別のクラスの私にまで抗議に来たのですがね。
また、教師の立ち会いのもと調査をして、身の潔白を証明することになりましたが、彼女自身が最も調査に非協力的で、あやふやになってしまいました。
「確か次に迷惑行為が認められたら退学だと勧告されていなかったか? こちらとしてはもう一度抗議文を送りたいが」
二人を睨むセルゲイ様がかっこいいです。
私は思わず見惚れてしまいました。
その間にたじろいだ聖女候補の少女から、ドングザシビリ公爵令息がついに腕を引き抜いたところで、騒ぎを聞きつけた教師が駆けつけました。
聖女候補の少女は逃げ出しましたが、騎士であるセルゲイ様含む多数の目撃者、さらにその後ろ姿を教師自身も目撃しておりますし、言い逃れできずに退学処分になるでしょう……。
「全くやれやれ。なんなんだアレは」
セルゲイ様のため息をつく姿も素敵です。
「ふふ……そう言ってくれると、なんだかこそばゆいな」
「あっ……」
声に出ていたようで、顔が熱いです。
「ま、気を取り直して。行こうか、婚約者殿?」
「はい。私の婚約者様」
ふたり、笑いあってその場を後にしました。
もう前世のことは七歳の時に見た悪い夢のように感じています。
今はとてもとても幸せですから。
このまま、愛する方たちと共に幸せになれると確信できるのです。
お読みいただきありがとうございました♪
公爵令息のその後について、少し追記致しますね。
とりあえず、この後すぐに彼は貴族社会全体から遠巻きにされるのですが、
そのあと、
公爵(親)に怒られ、謹慎を言い渡され、激怒して刃物を持ち出し、大怪我をさせて、捕まって実刑に処される所までは想像できたものの……
なにせアナスタシアが彼について、思考を割きたくないようで、完全無視に走ってしまいました(笑)
申し訳ないです(ㆁωㆁ*)
彼へのざまぁを期待されてきた方には申し訳ないのですが、脳内補完でお願い致します!