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この作品には 〔残酷描写〕が含まれています。
苦手な方はご注意ください。

人喰い鬼と花喰い少女

作者: 三雲零霞

※この作品は2021年11月に文芸部の部誌に掲載したものです。ネットに投稿するにあたり表記を変更しています。




蝋燭の炎のゆらめく、薄暗い広間。


僕の目の前のテーブルには、美味しそうな肉が載っている。


ナイフとフォークで一口大に切ると、真っ赤な血が滴る。


──うん、美味しい。ついさっき捌いたばかりのようだ。


そのまま、全部食べてしまった。

骨だけ残して。内臓も脳味噌も、綺麗さっぱり。


ああ、この娘も美味しかった。

でも、──『美し』くはなかったなあ。


 ***


人間は、僕のことを「人喰い鬼」なんて呼ぶ。


実際に人を喰らって生きているのだから、その呼び名に特に不満があるわけではない。

森の奥深くにある、先祖代々の古城に一人ぼっちで住んでいるけれど、誰かと会えなくても寂しくはない。

身の回りの世話はすべて〈見えぬモノたち〉という実体のない存在がやってくれているから、不自由もない。


人喰い鬼は、同じ種族の親から生まれる。僕の一族は大昔からこの城に住んでいて、かつては何十人もの人喰い鬼たちがここで暮らしていたという。

しかし、そんなに大量の食料が賄えるはずもなく、みるみるうちに衰退していった。今残っているのは僕一人だ。

 

人喰い鬼たちは、血族に関係なく皆一様に青白い肌、人形のように美しい顔立ち、尖った牙、そして紅い瞳を持っている。

加えて、僕の一族は髪が生まれつき真っ白だ。

このように人間離れした見た目なので、僕たちは基本的に人間には会わないようにしている。

食べるための人間を狩ってくるのも、〈見えぬモノたち〉の仕事だ。

もちろん、人間のほうも食われたくはないので、この城に寄りつこうとはしない。


さらに、僕たち人喰い鬼は長生きだ。

人間は百年も生きられないのに対し、僕たちは長くて千年は生きられる。

鬼によって差はあるものの、ある時から見た目の年齢が上がらなくなり、その先はまさに不老不死だ。

むしろ、人喰い鬼の死因のほとんどは、食料不足による飢え死にか人間の鬼狩りに遭って殺されるかで、老衰で死んだ鬼は聞いたことがない。


もっとも、ここまでの情報は全て、母さんから聞いた話と城に大量にある本から知ったものだ。


僕が物心ついた時には、この城には僕と母さんしか住んでいなかった。

親戚は僕が生まれる前に全員死に、父親は僕がまだ幼い頃に狩りに出かけて逆に人間に狩られたらしい。

人喰い鬼の中には娯楽として自ら人間を狩りに行く者もいるが、父の場合はそれが仇となった。

母さんも、僕が十歳の時に、森に出かけたきり帰ってこなくなった。


人喰い鬼は、人間を喰らい、人間に怯えながら永い時を彷徨う種族なのだ。


 ***


暖かな昼下がり、僕は城の庭園を散歩していた。

庭園には一年中花々が枯れることなく咲き誇り、甘い香りを撒き散らしている。

ちなみに、この花の世話をするのも〈見えぬモノたち〉の仕事だ。


人間の間では、人喰い鬼は日光に当たると焼け死ぬとかいわれているらしいが、それは迷信だ。

実際、僕はこうして午後の日差しの中、外を歩いているのだから。


ちょうど、薔薇が植わっている辺りを歩いている時だった。

花の香りに混じって、ふと、人間の匂いがしたのだ。


人喰い鬼の城までわざわざ来ようなどという人間はいないだろうと思いつつ、辺りを見回す。


今は鬼狩りの季節ではないが、もしも僕を殺そうとする者だったらまずい。

僕は武術の心得はないし、〈見えぬモノたち〉は城の仕事をこなすだけの存在なので戦うのは無理だ。

何かあったら、城から逃げるしかない──警戒しながらもう一度周囲を確認した、その時。


視界の片隅に、何か動くものが映った。

よく見ると、少し離れたところに何か──いや、誰かがいる。

しゃがんでいるのか、花壇に植わった花の上から頭が少し見えている。


不意に、その誰かが立ち上がった。

その姿に、僕は目を奪われる。


まだ年若い少女だった。


花々とともにそよ風に揺れる、長くてまっすぐな黒髪。

軽そうな生地で作られた白いワンピースは髪色と対比をなし、彼女の無垢さを表すようだ。


僕は、無意識に彼女のほうに歩き出していた。

何か、見えない力で引っ張られているようだった。


庭園に敷かれた小径を辿るのももどかしい。

早く彼女を間近で見たい。強い衝動が僕の足を動かす。


彼女は、花壇の霞草をじっと眺めていた。

というよりは、凝視していた、という方が正しいかもしれない。

俯く形になっていて、表情は髪に隠れて見えない。


近くまで来たはいいものの、なんとなく彼女に自分の姿を晒すのが躊躇われて、僕は草花の陰に隠れてしまった。

その時、


ガサリ。


不注意で物音を立ててしまった。


慌てて姿を隠したが、彼女がくるりとこちらを振り向くのがわかる。


「──誰か、そこにいるの?」


鈴の鳴るような声がした。

僕は観念して、物陰から出て行く。


彼女は、幼く愛らしい、人形みたいな顔立ちをしていた。

青みがかった黒の大きな瞳が僕の姿を捉え、その目が驚きに見開かれる。

僕の人間離れした外見を目にすれば、誰でも驚くのは当たり前だ。


だが、それだけだった。

彼女は悲鳴も上げず、逃げ出そうともしなかった。

ただ、その場でゆっくりと立ち上がり、僕を上から下まで眺め回す。


「……僕が、怖くないの?」


おそるおそる話しかけてみる。


「あなたが人喰い鬼?」


その声に、姿に、自分の中で何か強いものが込み上げてくるのを感じた。必死に抑え込みながら答える。


「そう、だよ」


「ふうん……。じゃあわたし、あなたに食べられるのね」


「え?」


少女は、既に人喰い鬼に食われるのを受け入れているような口ぶりだ。

理由は、尋ねるまでもなく本人の口から告げられた。


「わたし、生贄なの。………わたしは、みんなと違うから。わたしがいなくなっても、誰も悲しまないから」


生贄。

本で読んだことがある。

人間が、神や化け物など得体の知れない大きな力を持つものの機嫌を取るために、生きた人を食物として差し出す行為。


存在するかもわからないもののために自らの仲間を殺すなど愚かなことだと思ってきたが、いつの間にか僕もそれを捧げられる側になっていたらしい。

どうりで最近鬼狩りがなかったわけだ。


少女は感情の籠もらない声で言った。


「わたしも、悲しくないわ」


そこには本当に、悲しみも怒りも憎しみも、感じ取れなかった。


彼女を見ているうちに、再び奇妙な感情が湧き上がってきた。

そして僕は気づく。


これは、人喰い鬼の本能だ。


──目の前に、人間がいる。食べたい。


美味しそうだ。首筋に噛みついて、白い手足を引きちぎって食べたい。食べたい食べたい食べたい。


だが、手が出せない。

それは理性とは別の何かが欲求を縛っているからだ。それは何だ?


少女は僕の葛藤に気づいていない。


「ねえ。この花、食べてもいい?」


無邪気な瞳で、傍らの霞草を指差す。


「……食べるって……?」


「うん。わたし、花しか食べられないの」


花しか食べられない人間など聞いたことがない。

僕の困惑に気づいているのかいないのか、彼女はじっと僕を見つめる。


「………いいよ」


「やった」


僕が許可を出すと、少女は初めて、少し嬉しそうな表情を浮かべた。


そして、ふわふわとした花をつけた霞草を一本折り取り、口に運ぶ。

少女は白い花の部分だけを器用に噛みちぎり、もぐもぐと咀嚼した。


その後も、少女は庭園を歩き回ってあれも食べたい、これも食べたいと僕にせがんだ。


大きな花、小さな花。

鮮やかな色の花、淡い色をした花。

彼女はどれも花だけを食べ、茎や葉はその場に残していく。

キラキラと目を輝かせて、嬉しそうに食べるのだ。


──ああ、『美しい』。


そう無意識に思ってから、僕は自分に驚く。


僕は、これまで『美しい』という感覚がわからなかった。


城にある本を読んでいると、何度も『美しい』という言葉に出会う。

『美しい』人、『美しい』絵画、『美しい』景色。

そのどれもが、僕には理解不能なことだった。

辞書で調べても、紙の上に並んだ文字列からは少しもイメージが湧かなかった。


そして同時に、食べたいという欲求を抑えているのが()()だということも、どこかで理解していた。


美味しそう、食べてしまいたい。

でも、『美しい』から触れられない。壊せない。


それは本能と理性ではなく、本能と本能のせめぎ合い。二律背反。


少女が花弁を口に入れるたび、自分の中で葛藤が生まれ、胸が苦しくなる。


その時。


「っう……っ」


少女が口を押さえて膝をついた。ゲホゲホと咳込む。


様子のおかしくなった彼女に僕が戸惑う暇もなく、さらに奇妙なことが起こった。


少女が、さっき食べたばかりの花弁を吐き出したのだ。


「うぇ……けほっこほっ」


色とりどりの花びらが、彼女の口からはらはらと舞い落ちる。

ふと、ある光景が僕の脳裏をよぎった。


口から溢れて止まらない花びら。

気持ちが悪い。

食べても食べても吐き出してしまう絶望感。


──ああ、そうだった。僕は──


「………わたし、最近ずっとこうなの。食べたいのに、食べられない……。ずっとお腹が空いているの」


自らの吐き出した花弁に囲まれて、少女は言った。

白い花びらの上に、ぽたりぽたりと水滴が落ちる。


「ねぇ………どうすればいいと思う? 人喰い鬼さん」


そう呟いて振り返った少女の瞳は、


血の紅色をしていた。


そうだった。思い出した。


あの光景は僕が子供だった頃のものだ。

二百年は昔のことだからすっかり忘れていた。


人喰い鬼は、生まれてすぐの時から人を食べるわけではない。

幼いうちは花を食うのだ。

そして、十五歳前後から次第に花が食べられなくなり、人肉が主食になる。

匂いも、子供のうちは人間と区別がつかないが、成長すると変化する。

と同時に、肉体の成長のスピードががくんと落ちる。


目の前の少女からは、もう人間の匂いはしない。


彼女は、おそらく幼い頃に親を亡くしたのだろう。

それで人間の手で人間として育てられた。

だが、実の家族がいないことと、花しか食べないという気味悪さから生贄にさせられた、という経緯だと思われる。


青白い肌、人形のような顔立ち、(あか)い瞳。


花喰い少女は、人喰い鬼になっていた。



少女が、尖った牙をみせて美しく笑った。






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