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孫子の兵法は偽書だ

 どんな説にも異論や反論はあるべきですけどね。

 「孫子の兵法は偽書だ」と言われていた時代がありました。

 それも、つい最近まで。

 偽物説、最大の根拠となったのは、孫子の兵法には原本も写しも現存していなかったことです。

 引用として語られることはありましたが、「孫子の兵法」のテクストそのものが存在しなかったのです。

 「原本は仕方ないにしても、写しもないとはどういうことだ。これ、もしかしたら孫子の名を騙って、他の人間が書いたんじゃねえの」という疑いを持たれたのです。

 中国の兵法書では、作者が古代の有名人の名前を借りて著作を発表することは珍しくないので、説得力のある説となりました。

 では、誰が書いたんだといえば、容疑者は二人います。

 



 孫臏(そんぴん)


 紀元前四世紀ごろ、中国戦国時代の斉の国の兵法家。

 孫武将軍の子孫と考えられるお人です。

 実戦経験ありの兵法家でして、ややこしい事にこの人も著作を残していました。

 それが「孫臏の兵法」

 祖先の兵法を研鑽した内容ですので、内容は孫子の兵法に類似していたようです。

 さらに事態をややこしくしたのが、この「孫臏の兵法」も散逸してしまい、どっちがどっちか、よく分からなくなってしまったのです。

 ですので、孫子の兵法は孫武が書いたのか、孫臏が書いたのかで議論になりました。



 曹孟徳


 皆さんご存じ、三国志の曹操です。

 孫子の兵法は散逸しましたが、21世紀の現代においても孫子の兵法は本屋に並んでいます。

 散逸したものがどうして本屋に並んでいるのか不思議ですが、孫子には注釈書があったのです。教科書は後の世に伝わりませんでしたが、注釈書は後世に伝わりました。

 その注釈書を書いたのが曹操です。

 この人がいなかったら、孫子の兵法は次の世に伝わりませんでした。

 曹操は歴史的偉人ですが、文化面においても偉人です。

 文才においても当代一流であった曹操が残したものが、孟徳新書の名でお馴染みの「魏武注孫子」です。

 この注釈は、普通の注釈とは違い、解説を付け足したのではなく、不要な部分を削って分かりやすくした注釈だそうです。

 簡便に改訂したからこそ、多くの人に読み継がれたとも言えます。

 「魏武注孫子」が後世に伝わったので「ワンチャン。孫子ってのは曹操のペンネームじゃね」説が生まれたのです。

 曹操の実績と文才を考えると、説得力のある説となりました。


 私はこの話を聞いたときに、深く感銘を受けました。

 どれぐらい受けたかというと、それまで劉備や諸葛亮といった蜀推しだった私が、蜀の応援を切り上げて魏国に寝返るレベルです。

 ( ̄▽ ̄)//いや前々から凄いとは思っていたんですよ。曹操さん。やっぱり貴方は大したもんだ。ってな感じです。

 手のひらドリルです。すいません。




 解決編


 存在の信憑性に疑惑が出た孫子の兵法ですが、偽物説は仮説の一つで留まり、定説にはなりませんでした。

 なぜなら、写しは見つかりませんでしたが、「魏武注孫子」以外にも数多くの解説本が出ていたからです。

 オリジナル不在の作品に、こうも多くの解説本が出ることは不自然です。

 また、作者不詳説も、有名人の名を騙るにしては孫武将軍というチョイスは微妙です。


 孫武は兵法書で有名になった人で、実績で有名になった人ではなかったからです。

 兵法書が無ければ、同僚、もしくは上役であった、死体に鞭打ちおじさんでお馴染みの伍子胥(ごししょ)や、これまた、お魚殺人事件の主犯格、呉王 闔閭(こうりょ)の二名には、エピソードのインパクトで負けています。


 いや、負けているかな。(;´・ω・)?

 サイコパス度でいえば、孫武もかなりのものです。

 呉王を前に行ったデモンストレーションで、女性を二人殺していますからね。かなりやべー奴です。

 こんな人間を採用した呉王も相当やべー奴です。この頃の呉の国はサイコパス天国だったのかもしれません。それともこれがこの時代の普通だったのかな?

 わかんねぇ。(。´・ω・)?


 話が逸れましたが、騙るんだったらもっと有名人の名前を騙るでしょう。

 斉の国の有名人で言えば、周の武王の元で軍師を務め、殷周革命を成功に導いた太公望。斉の国の黄金時代を築き、軍事、政治両方を治めたオールマイティー政治家の管仲。史記の作者司馬遷をして「彼の御者になりたい」とまで言わしめた名宰相の晏嬰(あんえい)などなど、歴史上のスーパースターが揃っています。

 わざわざ、インパクトに劣る孫武を出す必要はないでしょう。



 様々な憶測が出た孫子の兵法ですが、1972年にすべてが解決しました。

 なんと、前漢の時代のお墓から「孫子の兵法」「孫臏の兵法」両方の写しが発見されたのです。世紀の大発見です。千年にわたる議論に終止符が打たれたのです。

 いやー考古学って凄いですね。

 現物は、あらゆる学説を一撃で粉砕する力があります。

 こうして、孫子の兵法はその価値、存在が確定いたしました。

 二名の容疑者も無事釈放です。( ̄▽ ̄)//めでたい。


 思いますけど、陵墓とかを盗掘する場合に、宝石、貴金属を盗むのは三流の仕事ですね。

 孫子の兵法の写しなんてものは、同じ重さの金よりも何倍も価値があったわけですから。

 いや、別に竹簡の方を盗めと言っているわけではありませんが。物の価値は、分かる人にしか分からないものだと言いたいのです。

 私が盗掘の話しで一番腹が立ったのは、盗掘犯が墓室内での灯りの為に、手近にあった竹簡とかを燃やして、お宝を探した形跡があったという逸話を聞いた時です。

 「お前が燃やしている、それがお宝だよ。金銀パールより何千倍も価値があるんだぞ。金にはならんけど」

 小汚い竹の短冊に書かれた墨の文字は、貨幣に換算できない価値があるのですよ。まぁ、分からん奴には分からんよね。

 物の良し悪しが分かるには、ある程度の知能が必要だと思うのですよ。

 ただ、最近は情報化社会。盗掘犯も勉強しているらしい・・・

 喜ぶべきなのか、悲しむべきなのか複雑です。



 孫子の兵法の現物の発見で、密かに株を上げたのが史記の作者、司馬遷です。

 彼の記述の正しさが、またもや立証されてしまったからです。

 話は逸れますが、史記には一定数の懐疑派という学者が存在します。

 理由としては、史記は年表が無茶苦茶ですし、伝説、伝承などの嘘みたいな話が大量に挿入されているからです。

 その為、昔から史記の信憑性は疑われていました。ですが、近年の考古学はこれら懐疑派に鉄槌を下すことがあります。

 孫武の存在もその一例でした。

 この人は著作の存在が疑われていたので、自身の存在そのものも疑われていたのです。

 可哀そう。(/ω\)


 史記を高く評価している私としましては、懐疑派の皆さんに、「ねぇねぇ。今どんな気持ち。今どんな気持ち」って煽りたいです。

 小説家になろうでは「ざまぁ」が流行っているんですから、史記の懐疑派をざまぁする作品を、どなたか書いてくれませんかね。

 こういう「ざまぁ」なら喜んで読みますよ。

 お願いします。<(_ _)>


 ともかく、20世紀に入り孫子の兵法偽物説は完全に否定されました。

 めでたしめでたし。



                続く

 段々、長くなっていくんだよなぁ。

 このシリーズは、サクッと二千文字以内で、気楽にやるつもりだったのに・・・

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