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孫子の基礎資料

 このエッセイを読んでいらっしゃる方には、釈迦に説法かもしれませんが念のため孫武の概要です。

 孫子の兵法の作者「孫武」は、紀元前五百年ごろの中国の人です。

 当時の中国は大小さまざまな国がしのぎを削る、時は正に大戦国時代。

 (゜Д゜)ノ(正しくは春秋時代ですけど、こまけぇ事はいいんだよ)

 各地で多くの戦いが繰り広げられていました。

 小さな国は大きな国に飲み込まれます。それが嫌なら自らが他の国を飲み込まねばなりません。

 各国は色々な手を尽くしたでしょう。 


 その中に呉という国がありました。長江下流域にあった国です。

 たぶんですけど日本に稲作を教えてくれた人たちの出身国の一つです。

 呉は大きくはないけど小さくもない、中規模な田舎の国だったと思われます。

 田舎の国とは言えのんびりはしていられません。時は乱世です。富国強兵は喫緊の課題でした。強い国を目指さなければなりません。その為には優秀な人材が必須な訳ですが、悲しいかな田舎の呉には優秀な人がいませんでした。

 そこで考えたわけですな。


 「よし。国内にいないのなら外国人選手をいれよう」


 日本の球団と同じです。

 そうして、召し抱えた助っ人外国人の一人が孫武だったのでしょう。

 この人は呉の北側、現在の山東半島辺りに勢力を張っていた「斉」の国出身です。

 斉の国といえば、軍師太公望が冊封された当時の一流国です。

 軍事的にも経済的にも田舎の呉とは比べ物になりません。そんな国で一流の兵法を学んでいたのが孫武でした。

 助っ人外国人としては資格充分でしょう。


 孫武は呉王との面接で著作を進呈したそうです。

 私が知りうる限り世界最強の自薦文だと思います。ある意味、世界征服をする方法が書いてあったようなものですから。

 著作に感心した呉王は孫武を雇い入れ、彼はその期待に大いに応えました。

 孫武が加入した呉は、瞬く間に軍事大国へと上り詰めます。

 普通なら実地経験のない理論家は、現実社会では役に立たないことが多いのですが、この人は例外です。

 役に立たないどころが、古代中国でもトップクラスの名将の一人です。

 それとも実地経験があったのかな。

 何はともあれ、南の「越」の国を下し、当時の超大国「楚」の国を侵略し首都を陥落させました。

 ほぼ負けなしの戦績です。

 特に楚の国を相手の戦勝は偉業です。

 楚の国は、今でいうならロシアです。広い国土と強力な軍隊を持っていた国です。

 斉の国のような強国でも、楚の国と戦う時は連合軍を結成して戦うのが普通でした。連合軍を組んでも負けることもしばしば。

 孫武が指導する呉は、そんな国にほぼ単独で勝利しました。

 国力は言うに及ばず、純粋な軍事力でも呉の国の方が低かったはずです。弱い軍隊で、強い軍隊を撃破して見せたのです。

 孫子の兵法書は、このジャイアントキリング、負け知らずの名将の著作です。これ以上の説得力は無いでしょう。

 私のような口だけ人間とは違います。実績を残しているのです。

 弱いチームで強いチームに勝っちゃったのです。孫武将軍の生まれ変わりの方がいらっしゃったら、是非と我らがサッカー日本代表の監督に就任していただきたい。

 ブラジルもフランスもドイツだって目じゃありません。


 その後、孫武の消息は歴史の闇に消えます。

 そのまま、呉に仕えたのか、母国の斉に戻ったかは分かりません。


 私の勝手な想像ですが、助っ人外国人の例に漏れず孫武は斉に戻ったと思います。

 なぜか?

 孫子の兵法書を完成させるためです。

 採用試験で呉王に提出した著作は、孫子の兵法の草稿のような物で、完成版は斉に戻った孫武が自らの経験も踏まえ、人生の集大成として纏めたのでしょう。

 なぜそう考えるのかというと、孫子の兵法書の完成度があまりにも高すぎるからです。

 どれ程高いかといえば、二十一世紀の世の中でも普通に通用するレベルです。

 若いうちにこれほどの著作を物に出来たとは考えにくい。

 多くの経験を積み重ね、人には言えない失敗を踏まえた結果たどり着いた境地だと思います。

 

 さて、この孫武という人の本質は「科学者」だと思います。

 孫子の兵法は、主観を排し客観一本鎗な内容です。

 個々の状況の説明は一切なく、原理原則のみで構成され、紙面は合理的精神で塗りつぶされています。

 この人は紀元前の人間でありながら、悪霊や占いといったものを一顧だにいたしません。徹底的に無視します。

 当時としては相当な変態だったでしょう。

 この人が結婚式場や火葬場を運営したら、仏滅も友引も普通に営業しています。

 (。-`ω-)//「そんなの関係あるか」って言いそう。

 呉王はよくもこんな危ない人を雇い入れたものです。それほどまでに人材不足だったのでしょうね。


 かつて私は、孫武が呉の国で栄達もせず、かといって粛正もされなかったことが不思議だったのですが、この人が科学者であったのであれば納得です。

 自分の理論の実践と証明にこそ興味があるのであって、立身出世が望みではなかったのでしょう。

 実験が終わったので家に帰って研究論文を仕上げたのだと考えると、ちょっと笑えます。

 実験台にされた越や楚の国の人たちにとってしてみれば、これほど迷惑な科学者はいないでしょう。

 自軍が完膚なきまでに叩き潰されたわけですから。

 孫武将軍には、元祖マッドサイエンティストの称号を授けましょう。



                  続く

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