⑬ 主人公、未亡人と契約を交わす
俺は自分の察しの悪さを謝罪しつつ、シズカさんに問われた質問について考える。
正直言えば、毒を抜くだけならあと二、三回もすれば問題ないと思われる。しかしそれで終わっては、なんだ。俺が面白くない。
ついでに言えばさっきまでの様子や、俺との繋がりを保ちたいという気持ち。さらに『してもらえるんですか?』という聞き方を鑑みれば、向こうもまんざらではなさそうなんだよな。
ならば、俺も乗ろう。その大波に。
「そうですね。まずこれから二か月の間は一週間に2~3回ほど診察をしましょう」
「一週間に2~3回、ですか?」
「えぇ。その間は恋愛禁止、とは言いませんが、他の男性との性的な接触は控えてください」
「それは……わかりました」
ん? 不満そう。とまではいかないが、なんとも微妙な感じだな。もしかして足りないのか? このいやしんぼめ。ならば追加をしてやろう。
「ただし」
「?」
「体調が優れなかったり、何か体に違和感を感じたらその都度シズカさんから申し入れてください。こちらも時間を取りますので」
「わ、私から?」
上目遣いに俺のことをチラチラ見てくるけど、そうだよ。
「シズカさんの体のことですからね」
俺には違和感とかわからないからな。
「そ、そうですよね。……私から言わせるのね」
ぼそっと小声で何か言っているけど、あたりまえだよなぁ?
そもそも俺には違和感とかわからないからさ。
「当然二か月過ぎた後も経過観察は必要ですから定期的に診察を受けて貰います。頻度については……とりあえず一週間に2回~3回を維持しましょうか?」
あくまで医療行為。これ大事。
「あ、それなら……はい! よろしくお願いします!」
どうやらシズカさんも俺に二か月で捨てられたりしないと理解してくれたようだ。これにて問題解決。実にめでたい。
つーか、端からみたら普通に愛人契約だな。
……もしもこの話を今生の母親が聞いたらどうなるかねぇ? まぁ、あの人のことだから叱りはしないだろうが、間違いなくニマニマされるだろうな。
父親の方は、ヒューと口笛を吹いて「やるねぇ」とでも言われるかも。
なんにせよ自分で稼いだ金でやってることだから、たとえ両親であっても他人に文句を言わせる気はない。
しかしながら、師匠とはいえ、同い年の男子生徒が自分の母親とそういう関係になっているってのが弟子の育成にどう関わってくるかがわからないのが微妙なところではあるよな。
うーむ。まぁいいや。未来の事は未来の俺に任せよう。それに、だ。
「あ、そうだ」
「えっ?」
親の事を考えていたら唐突に思い出した。
弟子と言えば金だよ。金。そっちの話もしておかないとな。
「貴女が抱えていた借金についてです。まだお話をしていませんでしたよね?」
「……はい」
怯えている? あぁ、勘違いしているのか。安心したまへ。
「お金を借りていたギルドの支部にでも問い合わせてみればわかると思いますが、貴女が抱えさせられていた借金はすでに俺が全額返済しています」
「え?」
「毎月決まった金額を返済する形でも良かったかもしれませんが、それだと時間がかかりますよね?」
「え、えぇ?」
「その間に件のギルド職員が何かしらの細工をしないとも限りませんので」
「えぇぇぇ?」
知り合いを騙して殺して、その知り合いが残した借金を奥さんに背負わせ、借金で身動きが取れなくなった奥さんやその娘を囲おうとするような輩だからな。人間的に信用できん。
俺が保護することになった以上、そんな奴に時間的な余裕を与えるような真似はしないぞ。
「そういうわけで対処しました。これに対する一連の行動は私が勝手やったことなので、書類の上では私に対しても借金はありません」
よかったね。もう綺麗な体だよ。
「えぇぇぇぇ!?」
ポンポンと進む話に付いてこれないのか、シズカさんはただただ驚いている。
そんな彼女を見て愉悦するのも悪くはないのだが、本題はここからである。
「で、問題はこのことを娘さんに伝えるかどうか。ということでして」
「っ! え、えっと、それはどういうことでしょうか?」
流石は母親。と言うべきだろうな。つい数秒前までは驚き過ぎて思考回路がショート寸前になっていたようだが、娘が絡むと言われて即座に冷静さを取り戻した。こういう親だからこそ、弟子も命懸けで支えたいと思ったのだろう。それはそれとして。
「元々彼女は自分たちにお金が無いことを自覚しているからこそ必死で強くなろうとしていました」
「はい」
「で、あればこそ。ここで金銭的な余裕ができたと知ってしまえばどうなります? 彼女のモチベーションが下がることになると思いませんか?」
「それは、そうかもしれません」
ただでさえ彼女は娘が探索者になることに反対していたのだ。今だって娘に危険な真似をさせたくないと思っているはずだ。その気持ちは理解できる。だがそれだと俺に得が無い。
「はっきり言いますが、私としては意欲の下がった娘さんを鍛えるつもりはありません」
やる気のないやつを鍛えてもつまらんし。
「……はい」
「当然弟子ではなくなった娘さんがどのような道を辿ろうとも、私は関与しません」
「その場合は私、も?」
「えぇ。彼女のサポート役として雇った貴女の価値も消失します。つまりは雇い止め、ですね」
「っ!」
ハウスキーパーが必要ならいくらでも雇えるしな。弟子のメンタルケアの仕事もないならそうなるさ。で、だ。
「かと言って借金が無くなったことを知らないままだと、私が見ていないところで無理をするかもしれません」
俺が見てるところなら何とかなるが、俺だって常に見ていられるわけじゃないからな。具体的には学校の実習とか。
「なので借金については『俺に雇われることで多少問題は解消したものの、まだ完全に片付いていない』といったくらいが丁度良いと思っているんですよね」
全部なくなった。と思えば弛緩する。
全く改善してない。と思えば無理をする。
ならその半分ならどうだ? と考えたんだが、どこまでいっても俺は他人だからなぁ。判断ができんのよ。
「その辺はどう思いますか?」
師匠としてはどうかと思うが、一人で考えるよりも本人のことを一番よく理解しているであろう彼女に聞いた方が早いと思うんだ。文字通り他人事じゃないから、真剣に考えるだろ?
「……私としてもそれが良いと思います」
「ほう。シズカさんもそう思いますか」
(もう少し悩むかと思ったんだけどな)
そんな俺の予想とは裏腹に、シズカさんは思ったよりも早く、というか少しだけ考えてからそう口にしたのであった。
―――
(もう、ない? 借金が?)
借金が全部無くなっているという事実を知らされて一時呆然とし、次いで「これで娘に借金を背負わせずに済む」という思いがこみ上げてきて、思わず泣きそうになったシズカだが、続けて提起された問題を受けて真剣に考え込むことになる。
(……確かに。彼のいう通りかも)
全部なくなった。と思えば弛緩する。
全く改善してない。と思えば無理をする。
直情径行の気質がある娘の顔を思い出し、シズカは思わず苦笑いを浮かべる。
(今のあの子なら借金関係なく彼に付きまとうと思うけど、ね)
強い雄に惹かれるのは女としての本能のようなものだ。現時点でアキラがそれを自覚できているかどうかは分からないが、間違いなく影響を受けているはずだ。
(だって、私がそうだから)
初対面の自分がこうなのだ。10日も一緒にいたアキラが影響を受けていない筈がない。それを考えれば、借金のことを聞いたからといってアキラが緩むとは思えないが、緩む可能性があるというだけでも問題である。
(私やアキラの気持ちはさておくとしても、現実問題として借金が無くなったからといって彼から離れる訳にはいかないわ)
『法律上の債務がなくなったのならあとは知らない。私たちとは関わらないで欲しい』と言って関係を絶つことも可能かもしれない。
(けど、もしそんなことを口にしたら、彼は多分……)
あっさりと自分たちを見捨てるはずだ。いや、自分から『関わるな』と言っているのだから、見捨てるとは違うかもしれないが、間違いなく関係は絶たれることになる。シズカはそう確信していた。
(そもそもマイナスが無くなっただけでプラスに転じた訳でもないのよ。それに恩を仇で返すような真似は慎むべきよね)
相手が恩人気取りで散々自分たちから搾取してきた件のギルド職員ならばまだしも、行太は本当の意味での恩人である。
(恩は返さないと、ね。私だけでは足りないでしょうから、アキラと一緒に……)
恩人としてだけではない。純粋に頼れる異性という意味でも今のシズカには『行太から離れる』という選択肢はない。
故に行太からの質問に対するシズカの答えは決まっていた。
「……私としてもそれが良いと思います」
「ほう。そう思いますか」
「はい。たとえ書類上の債務が無くなったとしても、私は行太さんに立て替えてもらったと思っています。そうでなくても、最低でも元からあった分はお返しするべきだと思うんです」
「ふむ」
「それにアキラも、行太さんが仰ったように油断をして怪我をする可能性がある以上、今のままの緊張感と使命感を持っていた方が良いと思います。かといって焦って怪我をされても困ります。なのでアキラには『ローンの債権者が行太さんになったので、返済の催促も無いし利子を支払う必要も無くなった。だから無理をしないで欲しい』とだけ伝えたいと思います」
受けた恩はきちんと返したい。そういう形であれば彼との繋がりを継続できる。当然、娘が油断をしたり無理をして傷付くのも嫌だ。それが人として、女として、そして母親としてのシズカの偽りなき本心であった。
また『恩知らずとして彼の不興を買うよりも、少しずつでも律儀に返済することで彼から好感を得る方が良い』という、常識の上に打算を乗せた思いもある。
そういった様々な思いを込めたシズカからの返答を聞き、行太は一つ頷いて話を進めることにした。
「なるほど。シズカさんに異論が無ければそうしましょう。では後ほどそちらについての契約書も用意します。当然これは強制力のないものです。あくまで娘さんを納得させる為の書類ですから、書かれてる金額等は気にせずとも大丈夫です。まぁそれでもサインする以上、内容を確認するのは当然なんですけどね」
ジョークめいた言い方をする行太だが、内心は大マジである。
契約書にサインする際は相手の言葉を聞いてはいけない。書面の内容だけを見ろ。
話を持ってきた相手を信用するな。内容を見ずに契約を結べば必ず損をする。
書類は一度持ち帰り、専門家に聞け。そうしないと騙される。
大昔から伝わる常識だが、これらの確認を怠ったからこそ今の木下一家があるのだ。
「は、はい。わかりました」
行太の目が笑っていないことを見て取ったシズカは『これは、本気ね』と、唾を呑み込み、そして『書類をしっかり確認しよう』という覚悟を決めた。
彼女としては行太になら騙されても良いと考えているのだが、同時に「今はそういう話ではない」ということもわかっている。
(もしかしたら書類にワザと変な要項を付けていて、私がそれに気付くかどうかのテストも兼ねているかも)
元々家族全員の今後が関わっていることなのだ。元々確認するつもりであったが、こうして指摘までされた以上、絶対に気を抜かない。
そんなシズカの覚悟を見届けた行太は満足そうに頷いて締めに入ることにした。
「では契約の話はこの辺でいいでしょう。今日は服を買ってきてもらったら帰宅してもらって大丈夫です。そのくらいには娘さんたちもくるでしょうからね。出迎えてあげてください。あぁ、それと雇用契約書は借金とは別なので、先ほどお渡ししたものをそのまま確認してください。その上で内容に問題が無ければサインを、問題があるようならご指摘願います。それと当面の生活費を振込みますので、こちらもあとで確認をお願いしますね」
「わかりました」
娘を出迎えるという言葉からもわかるように、木下一家が移り住む先は行太が住んでるマンションと同じ建物の下の階にある部屋である。
つまりシズカがハウスキーパーとして働く場合、職場までの所要時間は驚きの徒歩0分となる。……実際はエントランスを歩くのとエレベーターを使うので多少の時間はかかるが、結局は同じ建物内であるので基本的にかかる時間は秒単位でしかない。
敷金も礼金も初回の家賃も既に行太が支払っていて、保証人も行太である。今後の家賃は給料から10万円を天引きし、不足分は行太が支払うと決めているので、家賃に関しての心配は無い。
文字通り至れり尽くせりの好待遇である。
(この幸せだけは絶対に手放さない!)
待遇を省みたシズカは覚悟を決めた。
なにせつい先日までは家族四人でエアコンもない1DKのアパートに住み、パートの仕事と借金返済に追われ、件のギルド職員に体を赦さなければ娘に満足にご飯も食べさせてあげることもできなかったのである。
それが今後は娘の仕事のサポートとハウスキーパーをするだけで4LDKのマンションに住めて、さらに固定給まで貰えるのだ。まさしく天国と地獄の差と言えよう。
「はい、何から何まで本当にありがとうございま……んっ!」
「これから働いて返してもらいますから、ね?」
「……はい」
玄関先でも頭を下げ、感謝の言葉を告げようとするシズカの口が、やや強引に塞がれた。急なことに驚いて一瞬目を見開いて体を硬直させるシズカだったが、すぐに脱力して自分の口を塞いだものを受け入れた。
「これからはビジネスパートナーとしても、よろしくお願いします」
「……はい。よろしくお願いします」
優しく頭を撫でられ、言外に「もう感謝の言葉や謝罪の言葉は要らない」と告げられたシズカは、無言のまま両腕を行太の背に回して、体を密着させることで無言の返事とした。
玄関先で二人の影が重なってからどれくらい時間が経っただろうか。
「シズカさん。そろそろ…」
「んっ。……そうですね。では今日はこの辺で失礼します。……明日、また来てもいいですか?」
数秒か、それとも数分か。全身で行太の体温を感じていたシズカは、名残惜しそうな様子を隠さぬままそう尋ねた。
「えぇ、私は明日事情が有って学校を休みます。お仕事のこともあるでしょうし、診察もありますからね。娘さんを送り出したら来てください」
「はい!」
診察や仕事の内実はさておくとして。とりあえず明日もこの部屋を訪れるという約束を取り付けることに成功したシズカは、それまで見せていた名残惜しさ満載の憂いた感じを一転させ、ウキウキ気分で行太の部屋を後にしようとした。のだが……
「あと、明日来る前に、頼んだ服のことも忘れないで下さいね?」
「服? ……あっ!」
浮かれているシズカを見て不安になった行太から「服、頼んだよね? 明日じゃなくて今日持ってきてね」と釘を刺されることになったのだが、その辺は御愛嬌。と言ったところだろうか。
――――
そんなラブコメ時空が生み出されてからさらに数時間後の夕暮れ時。とある高級マンションの付近において、とある一家に属する少女たちがとある事件を起こしていた。
「……ねぇお姉ちゃん。ほんとに。ほんとーにここなの?」
「おー! すごーい! ぱなーい!」
「え、えぇ。お母さんからの連絡ではこのマンションで間違いない、です。間違いないんですよ? ……だけどお母さんが電話に出ないんですよねぇ。どうしましょう?」
「いや、私にどうしましょうって言われても……」
「……君たち、すこし話を聞かせて貰えるかな?」
「「うぇ!?」」
「んん? おまわりさん?」
「そうだよー。だから逃げないでね」
「わ、私たちはあやしいものじゃないです!」
「そうです! あやしくないんです!」
「あやしくなーい!」
「みんなそう言うんだよねぇ。ま、とりあえずあっちに行こうか? 話はそこで聞くから」
「「……はい」」
「はーい!」
――この日『マンションの前になんとも場違いな空気を醸し出す少女たちがいる』という通報を受けた警備員が、通報通りマンションの前でウロウロしていた不審な少女たちを発見、そして連行したという事件があったらしいが、その詳細は明らかにされていない。
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