⑩ ???、目覚める/主人公、介助する
リメイク前からかなり削っております
……だから大丈夫。きっと、多分、メイビー
このとき少女は微睡みの中にいた。
微睡む少女の耳には、気を失っているときでさえも聞こえていたゴブリンたちの声は聞こえなかった。
常に背中に感じていた、冷たくて硬い床の感触もなければ、四肢を拘束されている際に感じていた痛みもなかった。
ましてや下腹部にナニかをぶつけられているような感触もしなければ、生温い液体に体の内部まで汚されている感覚もなかった。
思い出したくもない数多の痛みや苦しみに代わって感じられるのは、鼻の奥まで汚すような饐えた臭いではなく、仄かに薫る花の匂いと、全身を包み込むような暖かさであった。
ーー洗浄と治療を施され、さらに久し振りにきちんとした休息を取ることができたおかげだろうか。
少女の意識は深い眠りの底から抜け、浅い覚醒と浅い睡眠を交互に繰り返し、数日前には当たり前だった感覚を徐々に取り戻しつつあった。
そんな微睡みの中にいたときのことである。
『アッ、アッ、アッーー!』
安らかな笑みを浮かべながら眠る少女の耳に、突如として女性の叫び声が聞こえてきたのは。
(な、なにっ!?)
いきなり聞こえてきた悲鳴によって心地よい微睡みの世界から強制的に叩き起こされた少女は、ガバッという音が聞こえるくらい勢いよく跳ね起きると、寝惚けた様子も見せず、すぐに周囲を警戒した。
当然だ。いつ襲われるかもわからない中で安穏としていられるほど、少女は達観していないのだから。
そして周囲を見回し、すぐに自分に襲いかかってくる相手がいないことを確認した少女は、警戒を続けながら先ほど聞こえてきた声について考えることにした。
(さっきのは間違いなく女性の叫び声)
ゴブリンの巣で嫌というほど聞いてきた声だ。聞き間違えるはずがない。
(近くで誰かが襲われている? ならここは安全じゃない?)
そう考えると、先ほどまでの自分が不自然な程に緊張を欠いていたように思えた。
(……その理由は何?)
あのような地獄にいた自分が、何がいるか、そして何をされるかわからない場所で緊張を欠く?
(ありえない。おかしい)
一度確信してしまえば、先ほどまで自分が漂っていた心地よい微睡みの空間に対する印象は一変する。
(……まさか、クスリを盛られた?)
少女とて様々なものに興味をもつお年頃である。女性に対して使われるクスリの中には相手の意志を弱めたりするためのクスリがあるということくらいは知っている。
(もしかして、ずっと反抗的だったから?)
他の、諦めて壊れていた人たちとは違い、自分はどこまでも抵抗していた……つもりである。
(そんな私の反抗心を削ぐためにクスリを使った?)
そういったクスリの存在を知っているからこそ、少女は先ほどまで自分が感じていた安らぎが、クスリによって与えられたものとしか思えなかった。
(ダメ!)
自分たちを無理やり襲い、無理やり子供を産ませるゴブリンが、何のためにクスリまで使ってまで自分の反抗心を削ごうとしたのかはわからない。
しかし、ゴブリンが使うようなクスリに溺れて良いことがあろうはずもない。
(逃げなきゃ!)
今さら尊厳がどうとは言わない。だが心までゴブリンに犯されるわけにはいかないのだ。
(くっ!)
いまだに力が入らない四肢に鞭を打ち、出せる限りの力を振り絞った少女は、とりあえずベッドの上で膝立ちになることに成功した。
しかしそこで少女は動きを止めてしまう。
(……あれ?)
諦めたわけではない。ただ、何かがおかしかった。
(ベッドの上? 布団?)
少女がそれまで抱いていた焦燥は、自分が決して豪華とは言えないが清潔感のある寝具に包まれていることを自覚すると同時に綺麗さっぱり消失してしまった。
(え?)
少しだけ冷静さを取り戻した少女が焦燥に代わって抱いたのは疑問であった。
(なんで?)
ベッドも布団も、毛布もシーツも、当然一般の家庭なら珍しいものではない。しかしそのどれもがゴブリンの巣では見たことがないもの。というか、ゴブリンの巣にあるはずがないものだ。
さらに今自分がいる部屋も。
(汚く、ない)
思い出したくもないあの部屋とは比べるのが失礼なくらい――事実失礼である――整っている。
当然部屋の中にゴブリンの声が響くこともなければ、彼らが放つ異臭もない。
(それに……)
違いは他にもあった。
「……動くし、声も出る」
ゴブリンの巣では拘束されていた四肢も今は自由に動かせるし、助けを呼んだり恨み言を叫んだり、泣き叫んだりしたせいで枯れ切ったはずの喉も痛くない。
多少のだるさは感じるが、それはクスリのせいというよりは、自分自身が弱っているからだろうと当たりをつけることさえできた。
(ん。私にしては冷静すぎる? でも、当然かも?)
少女は「自分はこんなに冷静な人間だっただろうか?」と考えるも、すぐに考え直した。
ゴブリンの巣で文字通り地獄を見たのだ。
あの地獄では泣いても叫んでも誰も助けてくれなかったのだ。
拒否さえできず、ひたすらに貪られたのだ。
あんな経験をしたあとで、人間性が変わらないなんてことがあるだろうか? いや、ない。
(それに今、大事なのはそこじゃない)
もはや昔の自分がどんな人間だったかも思い出せなくなりつつあることを自覚しながらも、少女は考える。
重要なのは、今自分がいる場所がどこなのか?
そして自分がどんな立場に置かれているか? ということだ。
(……喉乾いた)
少なくとも今のところゴブリンが襲ってくる様子はない。そう判断した少女は、先ほどから継続的に聞こえてくる女性の声を敢えて無視しつつ、ベッドの横に置かれていたテーブルの上にあった水差しを手に取り、これまたテーブルの上にあったコップに一杯分の水を入れ、喉を潤すことにしたのであった。
――――
それからどれくらい経っただろうか。
(声が、止んだ)
水を飲んで体を休めているうちにこれまで努めて無視していた女性の声が聞こえなくなったことで、どうやら向こうは終わったらしい。と当たりを付けた少女は、今後の展開を予想する。
(普通に考えたら次は私。だけど、もしも相手が人間だったら。もし相手が一人だったら、このまま終わる可能性も、ある)
自分でも淡い期待だとは自覚している。だが今回に限り、彼女の期待は裏切られることはなかった。
「やぁおはよう。待たせて済まない。体調はどうかな?」
「……っ」
そういいながら自分が寝ていた部屋に入ってきたのは、なんとも普通な感じがする黒髪黒目の少年であった。しかし少女にとって重要なのは少年の外見ではなく、その声であった。
(この声、多分、いや、絶対……)
最初は(狸寝入りをしていようかな?)などとと考えていた少女であったが、少年の声を認識すると同時にその考えを地平の彼方へと捨て去った。
それは少女の耳が、否、魂が、少年の声を『あの地獄の中で最後に聞こえた声と一緒だ』と認識したからだ。
(そうか。助けてくれたんだ)
少年の存在を認識することによって、少女はようやく自分があの地獄から救われたことを自覚した。自覚することができた。
死にたい。でも死にたくない。
死にたい。でもこのままでは死ねない。
死にたい。自分を殺してほしい。
死にたい。彼女を殺してあげてほしい。
死にたい。でもアイツも殺してほしい。
絶望があった。
怒りがあった。
悲しみがあった。
哀れみがあった。
恨みがあった。
そして『生きたい』という渇望があった。
あの地獄にあって尚、壊れることがなかった少女は、己の中に渦巻く様々な感情を自覚し、そして飲み下す。
「おはようございます。助けてくれてありがとうございました」
絶望に溺れず。怒りに飲まれず。悲しみを乗り越えて。哀れみを忘れず。恨みを抱え込んで。
言いたいこともあるだろう。聞きたいこともあるだろう。
しかし地獄から生還した少女はそれらすべてを飲み込んで、真っ先に目の前にいる己の救世主に感謝の気持ちを伝えたのであった。
――少女を助けた少年が目を覚ました少女に目覚めの挨拶をし、少年に助けられた少女が、助けてくれた少年に感謝の言葉を述べる。
一見すれば普通の光景ではある。しかしつい先日まで少女が体験してきた地獄を思えば、この『普通が』がどれだけの奇跡の上に成り立っていることか。
「うん。凄いね、君」
そのことを誰よりも理解している行太は、内心で少女の精神力に感嘆しつつもあえて軽い口調で声をかける。
「そう、ですか? ありがとうございます」
いきなり褒められた少女は、当然のことながら自分が何故褒められたか理解できていなかった。
「それで、ですね」
「ん?」
「いくつかお聞きしたいことがあり、ます」
「ほほう」
少年が自分に向けた反応を見て『悪い感情を抱いていないっぽい』と感じ取った少女は、目が覚めてからずっと気になっていたであろうことの確認をしようとするではないか。
明らかに年不相応な冷静さである。
「……ふむ。君の立場ならそうだろうね。うん」
そんな冷静さと合理性を兼ね備えた少女に対し、行太は理解を示しつつも、最初に彼女が起きたら提案する予定だった提案をすることにした。
「こっちとしても色々話をしたいところだけど、ね。まずは汗を流したい。君も一緒にどうだい?」
そう。行太はシズカとの〇〇〇の最中に少女が目覚めたことを知覚したため、一連の接触を終わらせた後、直接少女の下を訪れていたのである。
一応『放置したら少女の精神がどうなるかわからなかったから急いできた』という理由はある。だがデリカシーに欠けるのは否めない。
よって行太は話の前に風呂に入ることにしたのだ。
ついでに自分と一緒に入浴することを少女に提案したが、これとて別に下心からの提案ではない。偏に『寝ている間にそれなりに洗浄したとはいえ、自分でも汚れを落としたいだろう? でも今の彼女が一人で風呂に入ったら溺れるんじゃないか?』という(言葉足らずな点は否めないが)言わば親切心から出た介助の申し出なのだ。
――もともとこうした介助のためにシズカを雇ったのだが、そのシズカは現在リビングのソファーの寝心地を確認している最中なので、呼ぶことができない状態である――
(お風呂? 一緒に? あぁ。そうか。一人だと危ない、かも)
一見セクハラと勘違いするような提案を受けた少女だが、彼女は自分を見る少年の雰囲気やその視線に性的な気配を感じなかったことから、この提案の本質を勘違いすることなく『自分を心配してくれているんだな』と、受け取ることができていた。
(心配してもらえたのは嬉しいけど、お断りしなきゃ……)
さりとて、彼女もお年頃の身である。介助目的とは言え異性と一緒に入浴するのはさすがに恥ずかしいものがあった。また、向こうにこれ以上迷惑をかけたくないという気持ちもある。そのため彼女は「自分は後で良いから貴方だけでどうぞ」という……つもりであった。
「あっ」
だが「ありがとうございます。でも大丈夫です」そう告げようとした瞬間。彼女は気付いてしまった。
何に? もちろん自分の状態に、だ。
具体的に言えば『私、一度も体を洗っていないんじゃない?』と自覚してしまったのだ。
(……もしかして、臭い?)
重ねて言うが、あんな目に遭ったとはいえ彼女もお年頃の少女である。さらに目の前には――たとえ性的な目で見られていなくとも――同年代の異性がいる。
そんな同年代の異性が『話の前に一緒に汗を流そう』と提案してくるほどに今の自分は臭いのかもしれない。
(むぅ……)
一度考えると、どうしても気になってしまうのも無理はない話だろう。
「あの」
「ん?」
「……宜しく、お願いします」
「はいよ」
最終的に、介助で少年に迷惑をかけること(及び多少の羞恥心)と、臭いを撒き散らすことでかけてしまうであろう迷惑(及び自分の心象と乙女心)を天秤にかけた少女は、己の羞恥心に蓋をして、介助を受け入れることにしたのであった。
――数分後
『ア゛ァ゛~~~』
マンションの風呂場になんともオッサン臭い声が響いたとか響かなかったとか。
閲覧ありがとうございます




