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虎とナースと旅に出る  作者: 長月 悠
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プロローグ


 国道二十五号の三角標識が瞬く間に過ぎてゆく。

 乱立した木々の中を貫く一本の道を沿い、蛇の如く流れるガードレールとすれ違う。前にも後ろにも車は見えず、薄暗い闇を地平線から昇る陽が払っていく。

 朝に気づいて、わたしは体を起こした。

 小鳥さえ鳴いていない静かな車道、光を反射し垣間見える無数の埃。全く知らない世界に迷い混んでしまったようで、一抹の不安と幼い冒険心が身体中に滲んでいく。

「おはよう、起きた?」

 心地いい声が聞こえてきて、わたしはん、と短く答える。ミラー越しにお母さんがこちらを覗いていた。

 固まった体を伸ばす。こきこきと間接が鳴り身体中に血液が回り出す。大きな欠伸を右手で隠しながら、空気を入れ換えようとスイッチを押して窓を開ける。

 ーーぶわぁっと、風が舞い込んできた。

 ムササビが顔に飛びかかってきたような衝撃に襲われ、眠気がいつのまにか吹っ飛んだ。息も忘れ、眼前に広がる景色に取り憑かれる。


 川だ。


 橋の上を走る車と交わるように流れている川は、木々が開けたため見晴らしがよく、地平線まで一直線に伸びているのが分かる。

 囁くような水音が響き、朝焼けが水面に弾かれ、天の川の如く輝きを放っている。ところどころに露出した岩肌の上で瞼を開く亀。すいすいと軽やかに泳ぐ鴨。水底の砂利がはっきり見えるほど川は透き通っていて、微かに掛かった霧が辺りを包んでいた。

「きれい」

 ぽつりと、無意識にわたしは溢していた。

 別世界への入り口。踏み行ってしまえば、一生戻ってこれない幻影。そんなファンタチックな言葉が浮かんでくる。

 ただの川に魔法じみた力さえ感じ始める自分が自分で馬鹿馬鹿しく思えるけど、それでも体は正直で、鳥肌がさっきから治まらないでいた。

「春及ちゃん?」わたしの名前が運転席から聞こえた。

「なぁに?」

「ずっと窓の外を食いつくように見てるけど、なんかおもしろいものでもあったの?」

「川がすごいきれいなの。ほら、お母さんもみて」川から目を離さないままわたしは答える。陽が地平線から出掛かっていて、影が徐々に濃く、長くなり始めていた。

「……川なんてないわよ?」

 ーーそこで、ようやくわたしは視線を川から移した。

「え?」頭のなかが真っ白になって、お母さんの座る運転席に体を向ける。ミラーに訝しげな表情を浮かべるお母さんが映り、冗談でもなんでもなく、本当に「川なんてない」と思っているようだった。そんなはずないのに。

「ほら、左に見えるじゃん」信じてもらおうと、わたしは川へ指を差した。お母さんは一瞬そちらに目を移すが、益々首を傾げる。

「やっぱりないよ?」

 そんな馬鹿な! からかっているのだろうか。

「あるよ、ほら! きれいで透き通ってーー」

 川の方へ顔を向ける。

 再び、頭の中が真っ白になった。


 川はなかった。

 代わりに、木々とガードレールが視界を埋め尽くしていた。


「大丈夫?」

 声を掛けられて、わたしは現実に引き戻された。大丈夫じゃない、頭が「?」でパンクしそうだった。

 とても幻覚には思えなかった。あそこまで透明な川なんてテレビですら見たことないし、そもそも幻覚でも見間違いでもない川を拝むことなんてあるわけがない。

 なにより、体が、本物なんだと訴えている。

 瞼を擦る。指を一本、二本、三本と立て、近づけたり遠ざけたり、わしゃわしゃと動かしてみる。目はきちんと動きを追っていて、正常だと確認する。

 もう一度、窓の外を覗いた。

 木々の葉が嘲笑うかのように揺れていた。

 

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