はちみつとののはな 【移】※バレンタインSS
リシリタ王国王都イエンスのほぼ中央部に位置する『重石通り』。家財や日用品を取扱うその商店街の一角を、金髪の心をつなぐ風の乙女、キリム・カストゥールは白い雪を踏みながら歩いていた。
そうしてじきに見えてきたとある店。『霊薬承ります』と書かれた板が掛かるその入り口にゆっくりと近づいていき、一度深呼吸をしてから入り口の扉を押し開く。括りつけられた鈴がころんころんと可愛らしい音を立てたが、中へ踏み入るや、それをかき消すほどの騒音が全身を包みこんだ。
「いらっしゃいませ!」
店内に溢れた人、人、人。その波の向こうから聞こえたそれが、ここの店主である彼――《収集家》のナタリフのものであることを覚りつつ、キリムは小さくため息をついた。
そう、こういう状況だろうとははじめから予測していた。なにせ今日は年に一度の恋人たちの祭典なのだから。
「はい! 次のお会計の方!」
祭の主役となるべくやってきた客たちを前に張り上がる声。と同時に、店のあちこちに並べられた白い包みが、見る間に次々買われていく。
「すみませぇぇん、完売ですぅぅ」
小一時間の後、接客疲れでおかしな具合に間延びした声が報せるやいなや、客たちはすぐさま踵を返し、次の目的へと駆け出ていった。混雑から一転、あっという間に人気のなくなった店に、キリムはあんぐりと口をあける。
「毎年のことだけど……ホントすごいわ」
こと色恋が絡むとこうなるものか。底なしの情熱に本気で感心していると、乱れた茶色の髪を撫でつけながらナタリフがこちらへやってきた。
「はー、やれやれ。ようやく終わった」
幼なじみの彼は、霊薬と呼ばれる魔法を付与した薬を作り出す魔術師だ。ここに店を出したのはもう5年ほども前のことで、正規の商売人になってまだ浅いのだが、元来の温和な人柄と深い知識が幸いしてか、今では固定客も得て、通りで一目置かれる存在になっていた。
「やあキリム。今日はどうしたんだい?」
「今朝、おつかいを頼まれたの。前に施設で置き薬を注文してたでしょ? それを取りに行ってくれって」
「ああ、そうだったね。今日の準備が忙しくてすっかり後回しになっていたよ。今取ってくるから少し待ってて」
うんと返すと、背を向け歩き出した彼がふと立ち止まり「そうだ」と呟いてこちらを振り返った。
「待たせるついでに、一杯つきあっていかないかい?」
そう言う瞳には話し相手を求める心情が瞬いている。思いがけない誘いにどきりとしつつ、ひとつ頷いて返した。
「じゃぁ取っておきのを淹れてあげるよ」
向けられた笑みを受け止めて見送りながら、キリムはしんとした店の中で一人、妙な緊張感を覚えてもぞりと身体を動かした。
*******
その昔、北方の国にヴィリエという王女が居た。
一人娘であった彼女は、父王の死後若くして王の座を継いだが、周辺国の侵略行為と臣下の権力抗争に、日々頭を悩ませ心を酷く痛めていた。
しかしそんな苦心に喘ぐ彼女の元へ、あるとき小さな贈り物が届けられる。
女王様、眠れぬ夜には蜜を含むと落ち着きますよ。
名もなき働き蜂より
一輪の野花と、白い布に包まれたはちみつ色の飴玉。執務机にそっと置かれていたささやかなるものは、それだけで彼女の心を浮き立たせ、いたずらめいた名乗りは久々の笑みを、飴の甘さは心の平静と安らかな眠りをもたらした。
その後も、贈り物は何度となく届けられた。決まって疲労の濃い夜に。誰がいつ置いてゆくものか、政務への活力を与えてくれるそれに、彼女は次第にこの贈り主に会ってみたいと思うようになっていた。
一体どのような人物だろうか。
自分を『女王』と呼び、己を『働き蜂』と称するからには、きっと配下のひとりであるのだろう。
どこからか私を見、どこからか守ってくれているのか。
会ってみたい。会って……。
けれども方々手を尽くして探せど、送り主はなかなか見つからなかった。名も知らぬ、顔も未だ見ぬ『働き蜂』。実は心無い誰かにからかわれただけではないかと悶々としながら過ごしていたある日、偶然見下ろした王城の中庭の光景に彼女は目を見張った。
隣国との和平交渉に向うべく、城門を出てゆく隊列の末尾にあって、隊帽を風にさらわれた一人の青年。そのそよぐ髪の色が、まさしく届けられるあの飴玉と同じ色だったのだ。
『働き蜂!』
バルコニーから身を乗り出し思わず上げた声に、彼はふと振り返ると、穏やかな笑みを口許に浮かべて礼を返してきた。
『必ずや、御許に甘露をもたらしましょうや!』
そうしてマントを翻した名も知らぬ青年。しかし数年の後、二人は謁見の間で再会することとなり、功績と共に読み上げられたその名を、彼女は二度と忘れることはなかった。
『ルテッサ・セルディリオ。和平の功労者たるそなたに褒を授けよう』
他ならぬ自身の命にて彼に下されたもの。
ひとつは、花びらが封じられた蜂蜜色の飴玉。
そしてもう一つは――
輝くばかりの笑みを湛えた彼女のすべてだった。
*******
「以来この祭りには飴が欠かせなくなった。男性ははちみつ色の、女性は花びらの入った飴を意中の相手に渡す。己が想いを写し取ったそれが見事交換されれば、二人は両想い、めでたく結ばれるというわけだ!」
手にしたカップを掲げ、ナタリフが芝居がかった口調で昔話を締めくくる。祭りの前夜祭にフォルメールの舞台で必ず演じられる『ヴィリエの愛歌』。もう何度となく繰り返し聞いてきたそれをはいはいと受け流し、キリムは香り高い紅茶を一口啜った。
「ものがものだし、需要も需要だから、小売界隈でも等しく懐が潤って有難いんだよね」
「まあね。それにしても今年は随分お客が増えてたじゃない。何か手を打ってたの?」
「いやぁそれがね……ひと月ぐらい前から噂が流れてたみたいでさ」
「噂?」
「そう。去年ウチで飴を買った女の子が、かなりの割合で想いを成就させたらしいんだよ。その話に尾ひれがついて、『この店の飴にはよく効く惚れ薬が使われてる』ってまことしやかに流れたらしい。そんな都合のいいものが作れるくらいなら、僕はとっくに小売から足を洗ってるだろうに」
苦笑しながらお茶のおかわりを注いでくれる。
「それだけみんな必死ってことでしょ」
「それは分からないでもないけどね。でも」
「でも?」
「愛情、特にも男女のそれを薬でどうにかしようなんて、それこそ偉大な恋人達を辱める行為だと僕は思うな」
突如放たれた至極真面目な口ぶりに驚き、注がれたばかりの熱い茶を思わずごくんと飲み下す。
「うっわびっくりした。あんたの口から、そんなまともな恋愛観が聞けるとは思わなかったわ」
「ひどいなぁ。僕だって時には真面目に語りたいことだってあるさ。もちろんそれを真剣に聞かせたい相手がいれば言うことないんだろうけど。まったく、こんな日に傍観者なのは幸か不幸かな」
そう続けて茶を啜る。その目を閉じた横顔を見ながら、キリムはふとかすかな疼きを胸に覚えた。
やっぱり、魔術師でも恋とかしたいのかな。
一般的には色事への関心が極めて薄いと言われている彼らだが、全くの不能というわけでもなかろう。身体の一部が少し変わっていて魔術に秀でているという以外は、自分と同じ人間なのだから。
けれどそれをいうなら、と己をも省みる。
育った養護施設を出てから今日まで、なんとか生活を立てようと働いてきたせいか、異性との出逢いを意識したことはほとんどなかった。同期の中にはいい人がいたり、若くして結婚退職し子育てに勤しんでいたりという者もいるけれど、正直自分に同じことができるとは思えない。
けれど自分ももう17歳だ。一緒にいてあたたかな気持ちになれる、ヴィリエにとってのルテッサのような存在が傍に居たなら、きっと世界も今までとは違って見えてくるのだろう。
そんなふうに考えながら、ふと隣に視線が流れた。二十歳でいい年頃、知識も深く見た目も性格も穏やか――もっとも霊薬集めの趣味はいささか手に余りそうだが――なら引く手数多のはず。白い湯気の向こうにある表情がことのほか意識され、次第に顔が熱くなっていくのがわかった。
……あれ?
どきどきどきと、早鐘のように打ち出した心臓。なぜこんなに煩く騒ぐのか、その理由は分からない。そうしてにわかに湧き上がる、今まで感じたことのない衝動が、唇を侵し言葉に載って吐き出されようとした。
「あ……あのね」
「ああ、そうだ」
言ってしまうと反射的に思った瞬間声が重なり、キリムは半ばむりやり口をつぐんだ。それに気付いた様子もなく、彼は小さな木の器をこちらに差し出してくる。
「はい、これ茶菓子代わりに」
「なにこれ」
「炒り豆だよ」
「豆?」
「そう。海を隔てた東の大陸では、冬のこの時期、炒った豆を撒いて悪霊を追い払うって地方があるらしいんだ」
言いながら、獣のようにとがった爪で器用にひとつ取りあげる。
「で、この豆を年の数だけ食べると、向こう一年間健康で幸せに過ごせるそうだよ」
「へぇ、そんな風習があるの」
ぽりぽりと美味しそうに噛む音に、いつもの自分を取り戻しつつ豆を眺めてみる。
「君も食べなよ」
「いいの?」
「遠慮なくどうぞ。君は僕がこの街に来てからの長い付き合いだからね。大事にしないと」
「え」
「きちんと礼を尽くしておかないと、お得意様が減ったら困るしさ」
ああ、そういう意図か。覚った後、ほんのりと色づき膨らみかかっていた気持ちが、あからさまに音を立ててしぼんでゆく。入れ替わりに虚しさに襲われ、キリムは器に手を突っ込むと豆を数個一気に口に放りこんだ。
「そうよね! 普段はこっちが気を遣っていろいろ頼んでやってるわけだし。そうじゃなきゃ、こんな小さな店なんてとっくにつぶれちゃってるわよ」
「あのねぇ、最後のひとことはあんまりだと思うけど?」
明らかにやけばちな体を見やり、ナタリフは少々複雑な心境を抱いてため息をつく。
まったく、鈍感にも程があるだろうに。
内心ひどく消沈し肩を落としたその時、気まずい空気の中に援けとばかりのノックの音が響いた。
「ごめんください」
戸口から届いた子供の声に「ああ、入っておいで」と促す。すると10歳ぐらいの黒髪の少年が、衣服にまとわりついた雪をはたいて中へ入ってきた。
「先生、こんにちは」
「あら? この子」
キリムにとっても見た顔だった。確かナタリフが非常勤講師として出向いている教習所の生徒で、名前を――
「こんにちはお姉さん。アーツ・ラクティノースです」
こちらに気付くや、帽子と外套を外し礼儀正しく名乗ってきた彼。この年齢にして空気を察するとは賢い子だと、こちらも挨拶を返す。
「今日はどうしたの?」
「養母が先生にお願いしていたものがあって、それを取りに来たんです」
「そう。アタシもあんたと同じ、おつかいの途中よ」
皮肉たっぷりの口調にアーツが首をかしげる。かすかに苦笑したナタリフが、立ち上がって会計机の方へと歩き出した。
「実はカガンにも頼まれものをしていてね。すまないがそっちも一緒に持って帰ってくれるかい?」
そうして再び商売人の顔を取り戻し始めた姿に、キリムはそろそろ帰ろうかなと思い始めていた。これ以上長居するのも、なんとなく居心地が悪い。傍に置いていた頼まれものをちらと見やって、せめてもの景気付けだと、炒り豆の入った器に再び手を伸ばした。
「……ん?」
そのとき、差し入れた指先に豆とは別の何かが触れた。怪訝に思って豆を避けてみると、器の底からはちみつ色の小さな飴玉がひとつ出てきた。
それは今日という日こその特別なもの。何故ここに入っていたのか、その理由を勘ぐった途端、一気に身体が熱くなった。
まさか。
まさか!
そうして勢いよく立ち上がる。
「あ、あ、ああ、あたしもう帰るからっ!」
居ても立ってもいられず、キリムは荷物を手にするとすぐさま外へと駆け出した。
自分の勝手な解釈なのか否か。
その真偽を問う余裕はもとより、もう後ろを、彼を振り返るのも恥ずかしくて、女神もかくやの風となって冬の通りを走り抜けた。
一方、嵐のような出来事に遭遇し目をぱちくりさせたアーツは、店に漂うなんとも複雑な空気に思わず店主を振り返る。
「何かあったんですか?」
あのような不可解な行動、驚くのも無理はないなと思いつつ、ナタリフは彼の義母からの頼まれものを差し出しながら楽しそうに答えた。
「ま、はじめの一歩にしては上々かな」
豆の入った器にちらと視線を流し、それが消えていることをひそかに望む。
「先生」
「ん?」
「あの、『はじめ』ってなんですか?」
不思議そうに見つめてくる鳶色の瞳に、少しばかり得意になって肩を叩いたその口許には、今までになく満足げな笑みが咲いている。
「君にもいずれわかるさ」
大切なひとに届けたい想い。
それが伝わるかもしれない期待と幸福。そのひとはしが素直に表れた笑みだった。