雪の妖精(1)【移】※年越しSS
朝起きると外は銀世界だった。
今年初めての寒気の訪れより一月と数巡りが経ち、朝日にまぶしく輝く銀色を見るのにも慣れてきた。
早いもので今年も年越しの日を迎えた。月日の経つのは遅いようで、けれどもいざ最後の日を迎えてしまうと矢の如くに早く感じる。
今日はリシリタ王城で納めの儀式が行われる。王族と老院それに騎士団及び術師団の上役が顔を揃え、一年の為政を省察し、新しい年の国の安寧を祈念する。当然士団長である彼も今頃は謁見の間にいるはずだ。
それゆえに、二人で住んでいる家の埃払いは、一昨日彼がいるうちにすべて済ませてしまった。おかげで今日一日はゆっくりと年越しの準備をし、そして彼の帰りを待つ時間に使える。
夕食のご馳走の下準備も済んだ午後のひととき、シリア・アス・ノーマは居間のソファに腰を下ろした。暖炉には未だ火が残っていて、暗くなる前には薪をくべておかねばなるまいが、昼間のうちは日の光も入ってくるのでさほど苦にならない。太陽の光で解けた屋根の雪が、ひさしからぽたりぽたりと滴る音を聞きながら、暖炉の陰に置いていた袋を手に取った。
「なんとか間に合いそうね」
中から取り出したのは編み棒と毛糸。既に九分方出来上がったそれは、一年の感謝を込めて今夜彼に渡そうと思っていたものだった。大陸の北部に位置するリシリタは寒さが厳しい。多忙な毎日を過ごす彼の、ほんの少しの暖代わりになればと、毎年欠かさず贈っているものだった。
窓の外の雫の音が、手を動かすのに丁度よい律動を刻む。時折最後の誇示のように爆ぜる薪の音が、単調な時の流れを飽きさせない。そうして次第に手元が陰り、それが太陽が森の向こうに沈んでいこうとしているせいなのだと気づく頃、シリアの手の中に濃紺の襟巻きが完成した。
丁度その時だ、玄関の扉が打ち鳴らされたのは。
「はい」
浮き立つ心をひと時押さえ込み、出来上がった襟巻きを急いで台所に隠す。そうして軽い足取りで扉に駆け寄ると、戸板の向こうに彼の姿を想像して扉を開く。
「お帰りなさい、アー……」
「こんにちは、シリアちゃん」
華やいだ声を遮って発せられた声。そこに居たのは彼ではなかった。彼によく似た風貌に黒髪の長髪の青年、ウィラード・ヴォーリュックは優しげな笑みを浮かべた。けれどもそれがすぐに苦笑に変わる。
「あいつじゃなくて、すまなかったな」
その言葉にはっとする。慌ててかぶりをふりつつ頬がかぁっと熱くなった。
「ごめんなさい。そんなつもりじゃなかったの」
「わかってる。全然気にしちゃいないさ。ちょっといいかな」
「ええ。どうぞ入って」
彼を居間に案内し、適当に座ってと声をかけてからシリアは台所へ向かった。
カップに注いだお茶を盆に載せ居間へと戻る。ウィラードは手にしていた袋を床に置いて外套を外し、暖炉の前に立っていた。背格好もその立ち姿も彼にそっくりで、反射的にどきりとする。
「ん……いつものと違う茶葉かな?」
残り火で暖を取っていた彼だったが、すんと小鼻をひくつかせて振り返る。驚いていると彼がにこりと笑った。
「あいつの執務室に毎日通ってれば、自然に身につく特技だ。流石にあいつと違って、産地までは判別できないけどな」
「彼は執務室でもお茶を?」
「ああ。『沸騰鍋』を持ち込んでさ、時間の空いたときなんかに愉しんでるみたいだぜ」
『沸騰鍋』というのは、ドワーフの工芸職人が作った持ち歩き用の鍋のことだ。燃料に《火炎》の魔法石を用いるため、野外活動などで余計な荷物を増やしたくない場合に重宝される。今年の初秋に小型のものが開発され、燃料も安価な固形燃料で代替できるようになり、一般の家庭にも普及し始めている。
「それでさ」
「なぁに?」
ほんの一瞬罪悪感を滲ませたウィラードの表情に胸騒ぎがする。
「シリアちゃん、今夜は旨いもんを用意してるんだろ?」
「え、どうしてそれを?」
「帰り際にあいつと会ってさ。急遽待機命令が出ちまって、今夜は戻れそうにないって伝言を頼まれたんだ」
嫌な予感が的中した。
「そう」
気落ちして返すと、ウィラードがおもむろに頭を撫でてきた。
「勿論、ただで食わせろなんて言わねぇよ」
え、と怪訝をあらわにするや、玄関の扉がコンコンと鳴った。
「早かったな」
にやりと笑った彼に応対を促される。言われるままに玄関へと向かった。
「はぁい、シリア」
扉の向こう側に居たのは『心を繋ぐ風の乙女』――キリム・カストゥールだった。その隣には彼女の相棒とその娘が居る。
「どうしたの突然」
「今日さ、あの子帰ってこないんだって? さっきウィラードから聞いたからさ、折角だから皆で来たの。一緒にぱーっと年越しの宴会でもしようよ」
「アーツがいないからって言うのは口実で、本当は自分が騒ぎたいだけなんだろ」
魔術師がぼそっと呟いた言葉に、キリムがこめかみに青筋を立てて反応する。
「あんたはだ・まっ・て・て」
低い声で制されたナタリフは、手を繋いでいた娘の影にこそこそと隠れた。
「どうせあたしたちも暇だし。ね、宴会しようよ」
「しりあおねぇたん、えんかいしようよ」
茶色の髪の少女イチゴが可愛らしい笑顔を見せて言う。まるっきりママと同じ口調のそれに破顔して、シリアはその頭を撫でた。
「そうね。折角作ったんだもの、皆で食べたほうがきっと何倍も美味しいわね」
皆が自分を元気付けてくれようとしている気持ちがわかって、シリアは笑顔を見せた。キリムとナタリフが安心したような顔で互いを見やる。
「そうと決まれば、早速準備にとりかかるわよ! 飾りつけはこのあたしに任せて頂戴!」
「イチもー!」
キリムの腕まくりに、両手を上げてはしゃぐ少女の笑顔。それは赤く変わり始めた空の光を映し、夕焼け色に染まった雪よりもなお一層輝いていた。
そうよね、元気ださなくちゃ。
寂しがってばかりは居られない。今日は今年最後の日なのだ。皆で楽しく過ごせるのなら、それは何事にも変えられない財産のはず。
あたたかな友人たちを招きいれ、シリアは冷たくなった風の吹き込む扉を閉めた。