睦(ちか)しき君へ 【新】
とある日の執務室。
書類仕事の合間、ひとときの休憩に茶を淹れていたアーツ・ラクティノースは、にわかに聞こえてきた歓声に、興味をそそられてそちらへ顔を覗かせた。
「どうしたんだ?」
「あっ、士団長」
士団長執務室の続き間――秘書室には、常に数名の隊士が控えており、業務管理や外部折衝をしてくれている。秘書たる彼らもまた今は休憩時間のはずだが、なにやら覗き込んで盛り上がっている様子で、声をかけると一斉にこちらを振り向いて来た。
そのうちの一人、茶色の短髪の青年――今年秘書室に配属されたホールが揚々と歩み寄ってくる。
「とうとう借りられたんですよ!」
「借りたって、何を?」
「コレです!」
ずいっと一冊の書物を差し出してくる。真っ赤に染めた革の表紙に、錦糸で刺繍された書名と薔薇の紋様が張り付いた、なんとも華々しい装丁である。
「今評判の一冊なんです。どこの貸本屋でも、なかなか順番が巡ってこないって代物で」
へぇと改めて表紙を眺め、少し首をひねる。
「『心をつかむ言葉の泉』って、どういう内容なんだ?」
「人付き合いの指南書です」
風変わりな書名からはおよそ関連づかぬ内容に、思わず怪訝に眉をひそめる。
「オーマリヌの舞台脚本家とフォルメールの事情通の共著なんですが、古今東西の文学作品や演劇、伝承から街の逸話に至るまで、様々に交わされる文句を集めたものだそうで」
「そうなのか」
「著者は遠い異国の物書きらしいです。なんでも『砂糖専売公社』とか異名がついてるみたいで。それにあやかってか、意中の相手の心をグッと掴もうって内容なんです」
差し出されたそれを受け取り、早速開いて目次を眺めてみた。
『相手の本心を探る』に『交際の切り出し方』、『同伴の注意点』、『ふたりきりの夜に』、『ここぞのキメ台詞』ねぇ。
主に男女の交際において、想定されうる場面を大分し、それぞれに使用例を挙げている。物語や史実などは、出典や背景も列記されているから、このまま引用すれば自らの博識も演出できるというわけだ。それに。
「崩し方の工夫にまで言及されているとは驚きだな。なるほど、確かによくできてる」
社交界でも使えそうだと思わず感心していると、でしょうでしょうと浮き立つホールの肩に、おもむろに太い腕が回された。
「ちなみにコイツ、幼馴染に片想い中なんスよね」
秘書室の年嵩であるドライスだ。
「ちょっと室長! 盛大にバラさないでくださいよ!」
「俺達みたいな脳まで筋肉のムサい奴らじゃ、うら若き乙女に捧げる気の利いた言葉なんて到底思いつかないってんで……カミさんにどうにかならねぇかって聞いたんですよ。そしたらコレを紹介されましてね。『いい機会だから、若手の背を押すついでに女心を勉強しなおしたらどうだい』なんてお小言つきでしたが」
「なんだ。そういうことなら、ホールと一緒に読んだらいいじゃないですか。室長ももうすぐ結婚記念日なんでしょ?」
秘書室の中堅、クリノスがニヤニヤとからかってくる。
「バカ言え。俺みたいないい歳こいたオッサンが読むような代物じゃねぇよ」
「そんなことないでしょう。事実これは老若男女関わらずよく借りられてるみたいですから、年齢問わず役立ってるってことじゃないですか?」
最後の一人、エコルもどうやら興味津々らしい。
「いくつになっても、女性は甘い言葉を囁かれたいものだって、そこにも書いてあったじゃないですか。ねぇ士団長」
「え? ああ、そうなのかな」
急に話題を振られ、曖昧に答えながら再び紙面に目を落とす。
そうか、こういう言葉が喜ばれるのか。
なるほど考えたこともなかった。ごく自然に、ありのまま飾らずに接していれば、それで充分なのだと思っていたけれど……本当はもっと気の利いた、劇的な言葉を研究すべきだったのだろうか。
なんとなく勉強心を煽られ、パラパラと頁をめくっていると、ふとある文句に目が止まった。それは長らく舞台で演じられている物語の主人公、従者たる立場から武勇で身を立て、深く敬愛し慕う相手――王女の夫にまで成った人の言葉だった。物語そのものは、誰もがよく知る有名な作品で、オーマリヌの舞台で繰り返し演じられているのを見たこともある。
そういえば、いつか見たその時にふと思ったのだった。少し、自分の置かれた状況に似ているのかもしれないと。
「私は」
だからか思わず解け出た。最後の場面、対峙した二人の間で交わされる言葉、彼の身の内の『告白』が。直後、舞台の上に見た、華やかに開いた女優の微笑みに、彼女のそれが自然と重なる。
あんなふうに笑ってもらえるのなら。
喜んでもらえるのなら。
そして、もしも受け入れてもらえるというのなら。
この胸に抱くそれを、言葉に、声に載せて――
「士団長」
声をかけられて我に返り、はっと顔を上げる。いつの間にか集中していたらしい。見やると、秘書の4人が揃って驚いたような表情でこちらを凝視していた。
「どうしたんだみんな。俺の顔に何かついてるか?」
呆けたままの部下たちに首を傾げていると、ドライスが照れくさそうに頬をポリポリと掻いた。
「その……士団長」
「なんだ?」
「自らお手本になってくださるのはありがたいんですがね」
「え?」
その言いように、はっと気づいて慌てて口元を押さえる。
「もしや、声に出てたか?!」
部下たちが照れくさそうにあちこちに視線を彷徨わせる様子に、思わず顔が熱くなる。
「いやぁ、若いというのはいいですなぁ。美丈夫が言うとなおのことサマになります」
「俺、なんか感動しちゃいました! 士団長って、男前なイイ声ですね!」
「あの、その」
こういうときの褒め言葉というのは、正直言って聞くに耐えない。賛辞を受けるほどに、身の置きどころがなくなるというものだ。
「品格が伴うっていうのは、まさにこういうことですねぇ。僕も、言葉と身の丈が合うように精進しないと」
「本当に。実例がこんなに身近にあるなんて、とても幸福なことですよね。見習わないと!」
「あの……頼むから、そのぐらいにしてくれないか」
俄然意気揚々としだしたクリノスとホール。穴があったら入りたい、とアーツは片手で顔を覆いながら切に思った。
「エコル?」
そうしてドライスの言葉で気づく。呆けた顔のままずっと立ち尽くしてした彼は、皆の視線を一斉に浴びるとやっと我を取り戻したふうで頭を振り、直後もじもじと肩を狭めた。
「どうした。あまりの堂の入りように圧倒されたか」
「あ、はい。ハマり過ぎてて、そのなんていうか……うっかり」
えっ、と場がざわめく。
「お前、まさかとは思うが」
「ご、誤解しないでください! 俺はただ」
「男も惚れる男前な台詞ってことですかね。激しく同意」
「俺も同意です! ちなみに士団長、折角なのでほかの例も読んでもらえませんか? 実践の参考にしたいんです!」
「あのなぁ」
半ば頭を抱えながら、話の種を得て――というより、つつく相手を得て盛り上がる部下たちを見やって思う。
やはり『言葉』は慎重であるべき。
そして『その時』までは留めておくべきだな。
特にも内なる想いをのせたそれは、とアーツは強く自省し、向けられる期待混じりの視線に、休憩時間はいつ終わるのだろうと、諦めに似たため息をついた。
アーツと、彼の部下たる秘書室の日常会話。
到大地ボイスドラマで、アーツ役をお願いしている呉丸寿樹さんのつぶやきから着想を得た小話です。
元ツイはこちら↓
https://twitter.com/kure104x/status/1140573165329850368?s=20
「私は」のあとで何を言ったのかは……皆さんのご想像におまかせします(投げ)
ぜひボイドラもお聞きいただき、脳内でイケボ変換して楽しんでください!(ダイマ)
【MQube 水成のページ】
https://mqube.net/user/miz_na_ri?page=2
【設定厨のつぶやき】
騎士団の上役をサポートする秘書室の面々ですが、完全なる事務方というわけではなく、ひと通りの技能訓練を積んでいて、出張時のSPも兼ねています。3役には8名、士団長職には4名配置されていますが、隊員の中でも比較的エリートな集団なんですよ。