てるてるのおくりもの 【移】
「弱ったなぁ」
中庭の芝生を濡らす天の雫。窓の外をみやりながら、魔術師のナタリフは大きなため息をついた。
「これじゃぁカビが生えてしまうな。乾燥どころの話じゃない」
元は借家だった建物の長い廊下に、平たく編まれたかごが数枚置いてある。その中には数種類の薬草の葉が整然と広げられていた。
「ぱぱ?」
そのかごの傍に、ひとりの少女がうずくまって興味深げに中を覗き込んでいる。首を傾げた彼女に、ナタリフは静かに隣にしゃがみこんだ。
「これはね、お薬になる葉っぱなんだよ」
「おくしゅり?」
少女――ナタリフの養女であるイチゴが不思議がる。
「粉にした山わさびを一つまみ混ぜて飲むと、風邪によく効くんだ」
まだ幼い彼女には、自分の顔ほどの大きさもある木の葉が薬になるという感覚がよくわからないのだろう。並んだ葉に視線を戻すと、もう一度可愛らしく首をかしげる。ナタリフも同じように籠の中を覗き込み、手前の葉を一枚手に取った。
先週の半ば、知り合いの薬剤師の紹介で、とあるシリュエスタ分神殿から薬の注文を受けた。まったく新しい商売の口に、ナタリフは勢い込んでそれを請け負ったのだが、その後家に戻って倉庫をのぞいてみると、乾燥させた薬草の在庫が切れていた。納期にはまだ余裕があると踏んで、仕方なく生の葉を仕入れたのだが……まさかその翌日に降り出した雨が、ひと巡り以上も降り続くとは思ってもいなかった。
「弱ったな。太陽の光がないと『生薬』は作れないって言うのに」
製剤を請け負うものたちにとって、材料である薬草は天日干しが大原則。水分を抜くだけなら《脱水》などの魔法を使うという手段もあるが、原材料の元々の生命力を根こそぎ奪いかねない方法は、製剤の世界では、ことに生薬に関しては禁忌とされている。魔法を付加した生成物である『霊薬』と『生薬』は、同じ人体に用いるものでも性質が異なり、主に人の持つ生命力を正す目的を持つのが『生薬』である以上、極力魔法的な負荷を与えてはならないのだ。
「このまま晴れなかったら、謝りに行くしかないな」
請け負った品物を納められないなど、信用の根本に関わるだけでなく、これからの商売相手をも失いかねない事態だ。手に取った葉は、多少なりとも水分は飛んでいるとはいえ、まだまだ薬研にかけられる段階ではない。果たして間に合うものかと、己の軽率さを省み改めてため息をついた。
そんな父親の横顔をイチゴは見つめ、思い至る。
そうしてひとつの決意と共に、窓の外に広がる灰色の空を見あげたのだった。
*******
昼食も済んだ午後、イチゴは昼寝のためにベッドに入っていた。
すぐそばにはナタリフもいて、寝付くまで見守っているつもりだったのだろうが……今は椅子に腰掛けたまま船を漕いでいる。
ぱっちりと冴えた眼でじっと天井を見つめ、しばらくするとむくりと起き上がった。ベッドを降りて靴を履き、枕元に置いていた上掛けを着る。そうして足音を立てぬようにそっと歩いて、静かにドアを開け部屋を出た。
廊下に出たイチゴは、そのまま裏口へ向かうと、扉の脇にかけてある雨よけの外套を身に着け、外へつながる戸口に立った。幸い鍵はかかっていない様子だ。雨はまだ降り続いており、小窓から見える灰色の雲が降らせる雨は、弱まる気配がまったくなかった。
イチゴはぐっと唇を噛み、それからなるべく静かに扉を開けると、外へと一歩を踏み出した。店の裏手からすぐの路地にも石畳が敷かれており、雨粒は水の絨毯のようにその表面をさらさらと流れていた。路地に人影はまったくなく、誰に咎められることもないイチゴは、ずんずんとそこを進んでいった。
「おひしゃま、どこかな」
いつもは自分たちの頭の上に居るが、分厚い雲が邪魔をしている今は、その居場所など見当がつかない。雨でけぶる街の風景に、ほんのちょっぴり不安が湧くが――
でも、おひしゃまさがす。
ぐっと手を握り締めて自分を叱咤する。見つけて帰ればナタリフはきっと大喜びするだろう。仕事がうまくいけば、きっとまたたくさん遊んでくれる。だから、と奮い立たせてひたすらに歩いた。細い路地を抜け、広い通りを横切って。当てもなく、そして今自分がどこにいるのか、それがわからなくなるのに気づかないほど夢中になって歩いた。
いったいどのぐらいの時間が過ぎただろう、気がつくと正面に大きな建物がある広場に出ていた。はぁはぁと荒い息をついてやっと立ち止まる。両足はもう棒のように硬く重くなっており、一歩を踏み出すにも相当の気力が必要になっていた。座って休もうかときょろきょろ辺りを見回し、そこではっと我に返る。
「おうち……?」
慌てて探すが、周りはすべて見知らぬ風景だった。知らない家、知らない店、知らない広場――それがわかった途端、急に寂しくなってじわりと涙が滲んだ。
「ぱぱ……ぱぱぁ……」
思わず父親を呼ぶが、優しい温もりが抱きとめてくれるはずもない。雨音に混じって、ぐずり泣く声が誰もいない広場に響いた。
「おい」
その直後、大きな野太い声が背後からかけられ、びくりと体を震わせてそちらを振り返った。
「あ」
イチゴの顔がほんの少し明るくなる。歩み寄ってくる男の顔に、なんとなく見覚えがあったのだ。視線の先にいたのは、雨具を着た黒い肌の土の種族――ドワーフのカガンだった。
「どうしたんだ、こんなところに一人でおるなんて。親父はどうした?」
けれどもイチゴはそれに答えず、一気に緊張の糸が切れたのか遠慮なしに泣き始めた。わんわんと声を上げて泣く様子に、カガンは困ったようにかがみこむ。
「とにかく、風邪でもひいたら大変だ」
いくぞ、と言って小さな身体をかかえ上げると、大急ぎで建物の方へと走った。そこは入り口の屋根が大きく張り出したオーマリヌ神殿の舞台だった。低い階段を上がり、石造りの舞台の上で一息つく。カガンはイチゴの雨よけを脱がせ、背中に背負っていた鞄を傍らに置いて中から手ぬぐいを取り出した。
「ほら、拭いてやるからこっちへこい」
ぐずるイチゴを膝の上に載せ、カガンは髪や涙でぬれた顔を拭いてやる。筋肉隆々としたドワーフの手とは思えない優しい手つきに、イチゴも次第に落ち着きを取り戻して泣き止んだ。
「それにしてもどうしたんだ。おまえさん一人でこんなところにおるなんて」
しかしもじもじとうつむくばかり。もとより幼い子だ、魔術師の素質がある分、他の子より言葉や知能の発達は早かろうが、理由を筋立てて大人に語るにはまだ至るまいと、カガンも追究を止めて布をしまった。
しばし広場の石畳を打つ雨音だけが耳に届き、それ以外の物音がまるで消えてしまったかのように静けさが満ちる。大理石で作られた舞台に座り込んだまま、二人は何も話すことなくただじっと雨のそぼ降るさまを見やっていた。
そんな中、イチゴがそっとカガンをうかがってくる。その気配に気づき、意味ありげに向けられた顔に、カガンも応えた。
「ん、どうした?」
「あのね……おひしゃま、どこ?」
質問の意図が汲み取れず、いぶかしげに眉根を寄せる。
「どういうことなんだ」
問い返されるとイチゴも困ったような顔を見せた。けれど今度は続きを口にする。
「あのね、ぱぱが、おひしゃまが」
いまいち状況がつかめず、カガンは言葉の続きを待つ。
「はっぱがかわかないの。だからイチね」
言葉そこに至って状況を察した。ナタリフは薬草か何かを干しており、止まぬ長雨をぼやいていたのだろう。イチゴは困っている父親の援けになろうとしたのだ。カガンは彼女が、その小さな瞳で思いのほか世界をよく見ているのだと感じた。
「おひさま、な」
ふむ、と顎に手をやって考え込む。厚い雲の向こう側にある、輝くばかりの光の源。少女の探しているもののありかはわかっているが、こればかりは人の力でどうこうなるものではない。それをどう説明したものか。投げかけられる期待に満ちたまなざしに、カガンはふと、人伝いに聞いたある話を思い出した。
「そうだ、いいまじないがあるぞ」
「まじ……?」
努めてやさしい言葉で解説を次ぐ。
「東の大陸のまじないでな、『てるてるぼうず』というやつがあるそうだ。人形を作って祈ると、わしらの代わりにおひさまをつれてきてくれるんだと」
その言葉に、ぱぁっと明るい表情が咲く。
「ほんと? ほんとに?」
「ああ。どうだ、つくってみるか」
「うん!」
先程までの泣き顔はどこへやら。一気に元気を取り戻した様子に、カガンは昔聞いたの記憶を掘り起こし、材料になるものはないかと鞄の中をごそごそと探った。その時手先に触れた感触に動きが止まる。少し迷ったが、思い切ってそれを取り出した。
「よし、こいつで作るぞ」
手にしていたのは、先ほどイチゴの顔を拭いたのとは別の手ぬぐいだった。綺麗にたたまれた白いその隅には、緑色の糸で蔦の模様が刺繍されている。カガンはそれをしばし感慨深く見つめ、それから広げると二つに裂いた。四角い布が二枚できたところで、片方をくしゃくしゃと丸め、残ったもう一方でそれを包み込んで布を絞る。
「ほら、これで頭と胴が出来たぞ」
布の入った丸い部分は確かに人の頭のようにも見える。押さえている首もとから下は、さながら長衣といった感じだ。たった二枚の布だけで形作られた人形。歓声を上げて不思議そうに覗き込むイチゴの表情に、カガンは少々複雑な思いを抱き、そしてはっと気づいた。
「しまった、紐がないな」
首の部分を固定するもの。代わりになるような物はないかと鞄を探ったが、残念ながら見つからなかった。どうしたものかと悩んでいると、イチゴが突然何かに思い至ったような表情を見せた。
「どうした?」
問うより早く、おもむろに自分の頭に手をやると、髪を結っているリボンの片方をするりと解く。橙色のそれを手にとってしばし見つめ、それからカガンに差し出してきた。
「いいのか?」
それは彼女が懇意にしているフォルメールの乙女がくれたものだと、以前ナタリフから聞いたことがあった。決意とともに頷く少女に、カガンは黙ってそれを受け取ると、人形の首の部分に巻き付けて結び目を整えた。
「ほらできたぞ。こいつが『てるてるぼうず』だ」
大きな厚い手の中に、小さな白い人形が出来上がった。嬉しそうに笑ったイチゴにそれを渡してやる。
「いいか、こいつに向かって一生懸命お願いするんだぞ」
「うん」
言うが早いか、てるてるぼうずを両手で握り締めると一心に祈りはじめる。
「おひしゃまきてくだしゃい。ぱぱ、げんきにしてくだしゃい」
何度も何度も同じ文句を捧げ続ける。しかししばらく続けていると、急に彼女がうとうととし始めた。
「なんだ、眠いのか?」
その声が届いたかどうかはわからない。こっくりこっくりと、そしてじきに完全に寝入って力の抜けた少女の身体を、カガンは改めて抱き上げ膝の上に抱えた。
無理もない、きっといつもなら昼寝をしている時間だろう。それを、父親の力になりたい一心で、こんな遠いところまで歩いてきたのだ。
「まったく、一途なところは親父似だな」
しっかりとてるてるぼうずを握り締めて眠る少女に破顔し、そして空を見上げる。
「天におわす父母神よ、姉たるシリュエスタよ。どうかこの子の願いを聞き届け、光をお与えください」
今日このときばかりは、シリュエスタ信徒になったつもりで祈らねばなるまい。
カガンは太陽の女神の姿をある人物に重ね、その言葉を借りて一心に祈った。
*******
ふわふわと体が揺れている。
そして頬に人の温かさを感じた。
ぱぱ。
恋しさがつのって思わず呟く。すると暗闇の向こうにぼんやりとした光が灯ったような気がし、ふっと目がさめた。
しかし目の前にあったのは父の背中ではなく、ドワーフのがっちりとした胸板だった。寝起きの上に寂しさがわきあがって、途端に涙が滲む。むずかる少女に気づいてか、カガンがかすかに窺う素振りを見せた。
「イチ!!」
その時だ、イチゴの耳に聞きなれた声が届いた。
「ぱぱ」
まどろみ半分に呟いて、声のする方へと手を伸ばす。取り落としそうになったカガンは慌てて彼女を地面に下ろし立たせた。
声の主たるナタリフは、我が子の姿を見つけるなり、足元の大きな水溜りにも構わずに駆け出した。その後方には心配げな表情の若者たちが見える。どうやら少女を探して回っていたようで、当のナタリフは、足元ばかりではなく、全身までをもひどくぬらしていた。
「ぱぱ」
今度ははっきりと目が覚めたようで、イチゴは手の中の人形をぎゅっと握り締めると、駆け寄ってくる彼を見つめた。やがて至るなり、ナタリフはがばりと小さな身体を抱きすくめる。
「無事でよかった。一体どこへ行っていたんだ。僕が居眠りしてるうちに抜け出すなんて……みんなも心配して、雨の中探しにいってくれたんだよ」
珍しく極まった声でナタリフが言った。身体に伝わってくるかすかな震えに、イチゴは強く唇を噛み、それからぽろぽろと涙をこぼした。
「ごめんなしゃい」
小さな謝罪を口にする。抱き締まられたまま戸惑う少女の姿を見て、カガンはやれやれとばかりに息をつき、ナタリフの背を優しく叩いた。
「この子がひとりで家を出たのには、それなりの理由があるそうだ。おぬしも親ならば、それをちゃんと聞いてやらねばな」
「理由?」
ナタリフが身体を離し、いぶかしげな表情を見せた。ああ、と今度は小さな頭に手を載せる。
「おまえさん、おひさまを探しに出たんだったな?」
イチゴがナタリフの顔色を窺いつつ遠慮がちに頷く。
「この子はな、父親が雨で困った顔をしているのを見て、おひさまを連れてこようと思ったんだとさ」
その言葉にナタリフはもとより、追いついてきた皆も驚大いにいたようだった。
「本当なのかい?」
うつむいたままで顔を上げない娘にナタリフが問うと、その首がこくりと縦に振られた。
「イチね、おひしゃまさがしたの。そしたらおぃたんが、てるてるでおひしゃまくるよっていったの。だからね……」
強く握りすぎてくしゃくしゃになったてるてるぼうず。その頭に、こぼれ落ちる涙が染みを作った。
「そうだったのか。ありがとう、イチ」
ナタリフがうなだれる。しかし次の瞬間顔を上げた彼は、いつものやさしい笑顔に戻っていた。
「嬉しいよ。イチは僕のためにおひさまを連れてきてくれたんだね」
そういうなり、再び力いっぱい抱きしめる。それから勢いよく彼女を抱き上げた。
「ほら、ごらん」
ナタリフが明るい声で空を指差す。イチゴはそこで初めて気がついた。いつの間にか雨が上がって、雲の間からまぶしい太陽の光が差し込んでいた。見事な光芒、その美しさに皆で見惚れる。
「おひしゃま、きたの?」
イチゴがカガンに向かって問う。ああ、と答えてカガンも空を見上げた。薄らいだ雲の幕の向こうには青空もところどころに見えている。久しぶりに対面した爽やかなその色に、胸をすっきりとすかれる思いがした。願いが叶い、わぁいわぁいと無邪気に喜ぶ娘を抱きかかえながら、しばし空に見入っていたナタリフだったが、ふと傍らに立ったカガンに視線を移した。
「すまない、カガン」
申し訳なさそうに謝罪する彼に、なぁに気にするなとカガンは答えた。
「昔はよくおぶって歩いたものさ。別に苦にはならんよ」
「おぶったって、一体誰を」
彼に子供は居ない。しかしナタリフはしばらくしてからはっと思い至った。
「久し振りに、昔のことを思い出したよ」
そう言ってかすかに微笑む。その思い出の主が誰であるか、ナタリフはそちらを見ずとも察していた。
『わたし、カガンがだいすき。とうさまとおなじくらいだいすきよ』
ふと耳に蘇った幼い声に、カガンは目を細めた。
父親と同じくらい好きだと、無邪気にそう言って笑う少女を、いつも忙しく家を空けている親友の代わりに、よく背中におぶって歩いたものだ。
その重みが、いつの頃からか離れてしまった。それが、自分よりも背が高くなったというだけの理由ではないことも知っている。視線を向けられる背中の持ち主が、自分ではなくなってしまったことも。
「娘が離れていく理由など、この世にたった一つしかありゃせんわい」
カガンはそう言って苦笑すると、ナタリフの腰の辺りをばんと叩いた。
「だから今のうちに精一杯父親面しておくことだな」
大きな厚い手で思い切り叩かれ、ナタリフは腰の骨が砕けるのではないかと思った。力強いその言いように反した寂しげな台詞に、複雑な思いが胸に湧いて少々困った顔をする。
「出来ることなら、そういう試練は回避したいんだけどねぇ」
それは無理な話だ、とカガンは声に出さずに表情に出した。少女の手の中の人形は、空の青色をつれてはきてくれても、いくら願ったところで、決して、自分にすがる青色を取り戻してはくれないのだ。
「そんなもんさ。仕方あるまい」
苦い笑みを交わし合い、それから緑色の刺繍が裾に踊るてるてるぼうずに、カガンもそしてナタリフも強く心の中で願った。
ならばせめて。
せめても長く。
共に見上げる青い空を、どうかこのまま――と。
到大地のアイドル、ナタリフの養女(そして幼女)のイチゴちゃんと、気のいいカガンのおっさんが主役の小話。
【設定厨のつぶやき】
女神オーマリヌは演劇の神様でもありますので、街には神殿の規模に応じた大小様々な劇場があるんですよ。広場に面した舞台だと、無料で観劇できたりしちゃうんです。文化の花咲く都ですね。