第32話 コードネームの真実
-- 数年前 --
「『リセット』。それが、君の能力の名前なのだね。」
「はい。」
少年の自信にあふれた言葉が、広い部屋にこだまする。
「能力の名前は“技”を創る上で重要だとお聞きしました。なので、最も簡素でイメージのしやすい名前にしました。いかがでしょうか、草薙隊長。」
「ふむ。能力体の破壊だけでなく、ウィザードが施す自然現象への干渉も無効化する能力。この私の『風刃』すら無効化するとは。」
草薙は少年の周りを眺め、冷静に状況を分析する。
鉄筋コンクリートで覆われた修練場は、見るも無残な廃墟と化していた。壁は斬り割かれ、床はえぐれ、天井は吹き飛んでいる。そのすべてが特秘能力者『フウジン』、草薙敦という男が放った“風”によるものだ。
だが、ただ一ヶ所だけ、元の綺麗な床をとどめている場所がある。それが、特秘能力者『サイセツ』という少年の足元だった。
「――フ。」
草薙は笑みをこぼし、眼前の光景に静かに高揚した。
「私の『風刃』は空気を圧縮した刃を繰り出す技。故に刃そのものはエーテルではなく、単純に空気の塊だ。故にこれを君の能力『能力破壊』で無効化するには、私が気体を圧縮させようとするエーテルに対して能力を行使し、情報伝達を阻害するしか方法がない。」
「はい。草薙隊長の『風刃』は発動してしまったら最後、圧縮された空気は物理現象ですので止められません。なので、発動そのものを阻害させるべきだと考えました。」
「その通りだ。だがそれは容易いものではない。私の能力対象である“気体”は目に見えない。当然エーテルも、だ。そのような見えない対象をとらえ、しかも私よりも先に能力を発動させなければ無効化できない。思考を先読みした能力行使が必要となるのだ。
だが、君にはそれが出来ている。目覚ましい進歩だ。」
「……いいえ。」
少年は瓦礫の積み上がった部屋を見渡し、小さく答えた。
「まだ、ボク――いえ、オレは、自分に向かってくる『風刃』に対してしか能力を無効化できていません。草薙隊長が同時に創り出す無数の刃すべてに対して、情報伝達を阻害させることはできていません。」
「いや。それで十分だとも。」
草薙は微笑み、静かに言う。
「自分以外の被害など、今は考えなくてもよい。できるようになればそれに越したことはないが、不必要な能力行使は『疲労』を蓄積させる。君の『疲労現象』は肉体に影響するからね。『門』を使用したとはいえ、まだ我々も完全にあれを知り尽くしたわけではないし、君の体の保存時間も永遠ではないのだから。」
「はい……」
『門』。それはいつ聞いても不思議な響きだと、少年は思った。何らかの文字のような紋様が刻まれたあの二本の柱を、草薙と大島は『門』と呼んでいた。少年はその外観から到底『門』には見えないと思っていたが、それでもその二本の柱の間にある空間は、確かに異質だった。何ということもないただの空気がある狭間なのだが、そのたかだか1,2メートルの隙間が、自分を引き込んでしまいそうな、底なしの別世界に繋がっているのではないかという奇妙な恐怖を覚えるのだ。
「しかし、『ブレイク』ではなく『リセット』とはね。少し、意外だ。」
「そう、でしょうか?」
草薙の言葉に、少年は思考を戻す。
「なんとなく、ですが、『能力を壊す』というものとは違う気がするんです。うまく言えませんけど……能力を壊すというのなら、きっと能力が不全になるのではないか、と思うんです。」
「ふむ……ダイバーズの能力を無効化するのではなく、能力を完全に使えなくしてしまう能力が、能力を破壊すると言うふうに感じるということか。」
「はい。」
「……ふむ。……その発想は、無かったな。」
「?」
少年は少し驚いた。草薙が思案する様子などこれまで何度も見てきたが、その姿はいつもと違った。何か重大なことに気が付いたというような、けれどもそれが何か分からず苛立っているかのような、そんな表情だった。といっても、はた目からみたら眉の1つも動かさない氷のように冷徹な表情があるだけで、感情が表に出ているとは到底言いづらいものであるが。
しばらくして、草薙はある結論にたどり着いたようだった。そしてそれは、彼が満足のいく回答であったのか、それとも意外なものだったのか、理路整然とした彼に似つかわしくない、感情的な響きをもって口を出た。
「まさか――『ラセツ』、なのか。」
「え?」
「ああ、いやなに、たいしたことでない。以前見た『アトランティスの戦い』における資料の中に、“『ラセツ』と対峙しただけで敵はすくみ上り、能力が使えなくなった”という記述があったのを思い出してね。その文面は『ラセツ』がいかに覇気を纏った人物なのかを表現するものであったのだが……今君の話を聞いて、もしやそれが誇張表現でなく何らかの能力による効果なのだとしたら、と思ってね。
まぁ、『ヤシャ』にも似たような記述があるから、私の思い過ごしかもしれんがね。」
「……」
何か違うな、と少年は直感した。別に嘘を言っている訳ではないが、それでも草薙は真意を語っている訳でもないと、少年は感じ取った。その程度の内容で、草薙が“苛立つ”とは考えにくかったのだ。
「しかしそうなると、やはり君に『サイセツ』という名を与えたのは間違いではなかったようだな。」
「何故です?」
「似たような能力を持っている可能性があるから、だよ。」
「……」
その時、些細ではあるが、かねてから疑問に思っていたことが、少年の頭をよぎった。
「あの、一つ、よろしいでしょうか?」
「何かね?」
「重要な話ではないのですが……何故、『サイセツ』という名前なのでしょうか?」
「うん?」
「いえ……以前いただいた資料には、日本の特秘能力者の名前は、基本的に古事記または日本書紀にある八百万の神々の名を用いると書かれていました。しかし、ぼ……いえ、オレの名前は『サイセツ』。これは陰陽道における八将神の名前であり、体系が異なる存在です。何故、そこから名前を?」
「ふむ……」
鉄仮面の眉が一瞬動いたことに、少年は焦った。そこまで草薙が何かを感じるのは“ふつう”ではないからだ。彼は不安とはやる気持ちを抑え、ゆっくりと頭を垂れ、平静を装って言葉を連ねた。
「気に触ったのであれば無視してくださって構いません。」
「いや。そんなことはない。それに、その疑問は重要だ。何しろ我々ダイバーズの名前は能力のイメージに直結する。名は体を表すからね。」
「……」
「君の疑問への答えだが、一番の理由は、やはりイメージのしやすさだ。
歳殺神は破壊の神であり、万物を滅する存在だ。それは君の『リセット』能力に非常に適している。加えて歳殺神は武神でもある。君は武具をはじめとして様々な道具を創りだす能力、『複合創造』をも有している。この両者を併せ持った『ラセツ』『ヤシャ』と同じ系統の神にあやかろうと言うのは、自然な流れだろう。」
「……」
「まぁ、君の疑問は恐らく『ラセツ』と『ヤシャ』もなぜ古事記や日本書紀から出ていないのか、という所も含めるのだろうね。それの答えは二つある。
一つはそもそも古事記や日本書紀から絶対に名前を考案せねばならないというルールはないからだ。皆なんとなくで使っているにすぎないし、そもそも古事記や日本書紀に語られる神は多種多様ではあるが、有名どころは基本的に司る領域が同じなのだ。農耕や豊穣といったね。そうなると、実際の自分たちの能力のイメージに合致する神の名がなければ、別に無理して使う必要がないのだよ。」
「そういうもの、なのですか。」
「まあ、な。だが――」
草薙は目を細め、自分にも語りかけるように言った。
「『ラセツ』と『ヤシャ』は、もともと古事記・日本書記に記載のある神の名を冠していた。」
「えっ!?」
驚くべき発言に、少年は目を見開いた。
「それは、途中で変更された、ということですか?」
「いや。そうではない。そもそも古事記・日本書記にある神の名をコードネームとして呼ぶという慣習は、特秘能力者ではなく『強制徴収兵』に端を発するものだ。」
「では、『強制徴収兵』10名にも特秘能力者と同じように、神の名がつけられていると?」
「そうだ。そして強制徴収兵である『ラセツ』と『ヤシャ』も、戦時中はその古事記・日本書記に記載のある神の名をコードネームとしていたらしい。
しかし、だ。戦争が終わり、この『特秘能力者制度』を彼等が考案した時、“その名前はあまりに能力を特定しやすい”ということで別の名前で登録することにしたそうだ。それが、『ラセツ』と『ヤシャ』であり、これが理由の二つ目だ。」
「あまりに能力を特定しやすい?」
「ああ。『アマテラス』曰く、だがね。
だがそんな能力を特定しやすい神の名前など、果たして日本の八百万の神たちの中にどれだけあるというのか。『カグツチ』や『ワタツミ』でさえイメージは湧くが詳細までは知り得ないというのに、だ。」
「……」
「『アマテラス』の言葉に嘘は無いようであったが、にわかには信じがたい。おそらくここに、あの二人の能力を知る手がかりがあると思っているのだが……」
「……」
草薙の顔は、少年がこれまで見たこともない表情になっていた。高揚している、と一言で済ませるのは何か違う。“よくないことを考えている”――そういう得体のしれない恐ろしさがその口元に現れ、彼の口角を吊り上げていた。
「おっと、すまない。少し物思いにふけりすぎたようだ。他に何か質問はあるかね?」
いつもの冷静な表情を取り戻した草薙は、穏やかな微笑みを少年に向ける。少年はその顔を見て、一瞬、誰と話をしていたのか分からなくなった。
だからか、どうしてそれを疑問に思ったのか少年自身よく覚えていないが、口をついてその問いが出た。
「あの、ではひとつ。」
「言ってみなさい。」
「なら、何故草薙隊長は『フウジン』なのですか?」
「……………」
草薙は微動だにしなかった。仮面をつけたまま、一ミリも表情をかえなかった。
ただこれまで以上に異様な静けさと長い沈黙を纏い、最後に言った。
「それは、いずれ話そう。」
「……」
「さて、そんなことよりだ。」
草薙は相変わらずの表情を浮かべたまま、少年に言う。
「確か、報告では君の能力『複合創造』の方で新たな技を獲得したと聞いたが?」
「……!はい!」
「よし、ではそれを私に見せてくれたまえ。それを持って本日の演習は最後としよう。」
「分かりました。」
少年はすぐさま思考を切り替え、己がやるべきことに注力した。
彼が草薙の異様さを即座に思考の埒外に追いやったのには、理由があった。彼は、その新たに獲得した技を、気に入っていたのである。
それは、強さの証。
それは、彼にとっての“能力”の象徴。
「では、行きます!」
それは己を人として認めた、唯一の男が使っていた“技”。故にこそ、彼はこの“技”を、早くこの草薙という“新たな男”に見せたかった。
それが何を引き起こすのか、分からずに。
「武装――『銀狼』」




