第29話 ダイバーズの修行(5)
「!?」
大原は目を見開き、同時に身構えた。
白く揺れる湯気の向こう側から、獣がじっと自分を見つめている。気を許せば自分の喉元に喰らいついてくる……そんな殺気に似た圧を、大原はその瞳から感じ取った。
「それは――」
「まって、典子。」
山田は大原の前に手を出し、彼女の言を止める。
「工藤先輩、なんとなく先輩が言おうとしていることは分かります。けれど典子は『特秘能力者』です。特秘能力者の能力は、親族と自分が認めた人間にしか――」
「詳細は言えなくても使えるだろ?」
工藤は一度山田を睨み付け、それから大原にナイフのような言葉を向けた。
「特秘能力者は確かにその能力の情報開示には制限がある。だが、公表することができないだけで、使用制限まではかけていない。なのに、何故お前はたった一人で修業を続けている?」
「待ってください、先輩!そんなの、人前で使ったらどんな能力なのか分かってしまうからに決まっているじゃないですか!」
「お前には聞いていない。オレはこの大原典子に聞いている。」
「先輩、それ――」
「黙れ。」
工藤の冷徹な言葉に、山田は口を噤んだ。
「単刀直入に言う。オレはな、気に食わねーんだよ。
大原典子、テメェはあの試合、最初から能力を使う気がなかっただろう。」
「それは……」
「ふざけ過ぎだ。」
大原の言葉を遮り、工藤は立ち上がった。
「テメーは、一体何のためにこの部活に入った?ここは能力競技部。能力の技を磨き、己の力を鍛える部活だ。能力を使いもしない奴のためにある場所じゃねえんだよ。」
「…………」
「だがお前はオレ達が用意した“技”を学ぶための“交流会”には参加している。いや、参加しているなんて言葉は適切ではないな。お前は、ただの盗人だ。」
「先輩!」
たまらず声を上げたのは、山田である。
「いくら何でも、言い過ぎです!」
「そんなことはないだろう。何しろこいつは、先輩たちからの助言だけを欲している。
アレは交流会だ。己の意見を出し合う、コミュニケーションを基にした場だ。なのに、コイツはインターネットの検索をするみてーに、得たい情報を得たら何も返答せず、そのままとんずらだ。それのどこがコミュニケーションだ?己のことは何も言わず、己の意見を一言も話さず、他人の懐の内だけ覗き見て帰るなんざ、ただの盗撮だろうが。」
「でも!」
「でも、じゃねえ!言ったろ?ここは部活動なんだよ。同じ目標のため、個々人が切磋琢磨する集団だ。皆が練習している中で、我関せずでいるなんて不和を創りだす奴、この部長が許さねぇ。一人で練習したきゃよそへ行け。」
温かな露天風呂に、異様な静けさが広がっていた。湯に浸かる背中は寒く、まるで湯船に氷が張っているかのようだった。
「まぁ、藍の言い方はともかくとして、私もあなたの態度は問題だと思っています。」
「嶋崎先輩まで……」
「山田さん、あなたがお友達を大切にしていることは分かりますが、だからと言って甘やかしていいわけではありませんよ。」
「あたしは、別に……」
言い淀む山田に嶋崎は微笑むと、つづいて大原に言った。
「あなたは『特秘能力者』。おそらく、私達にはない特殊な能力を持っています。そんなあなたが一人で修業し、自らの意見を開示せず、ただ人の意見を聞いているだけの状況を、他の人がどう思っているかは、あなたが一番よく分かっているのではないですか?」
「それは……」
再び口を噤んだ大原に、島崎は少し間を置いてから言った。
「……大原さん、何故私達がここにいるのか分かりますか?」
「……」
「理由は二つありますが、一番の理由は、あなたが何故一人で修業をするのか、聞きたかったからですよ。」
「……」
「特秘能力者はその能力が極めて異質です。それゆえ、あなたが一人で修行をする理由を聞くのに、もしそれが特殊な理由であるならば、他の人がいる場所では聞けません。
かといって“一人の新入生”であるあなたに、学生会会長である私や、部長である藍が特別に個別指導をするということもあまりよくありません。そんなことをすれば皆を公平に教えるということはできませんし、“贔屓にしている”などとあらぬ噂が発生しかねません。私達は構いませんが、ただでさえ不協を買っているあなたへの影響が心配です。
なので、他の人に言えないような内容であれば、誰もいないここできこうと思ったのです。」
「…………」
「そしてもう一つ、先ほど藍が言いましたが、私達は誰であれ、自ら考え己の力を磨き上げたいと思っている人を見捨てはしません。もしもあなたが能力を使う上で困っていると言うのであれば、藍が山田さんに示したように、私達はあなたに合ったアドバイスを提供できます。」
「…………」
「あなたは瞑想も一人で行っています。それでは、山田さんにしたようなアドバイスは、一度ももらったことが無いでしょう?」
「それは、そう、ですが…………」
「私達は決して秘密を口外するようなことはしません。祖父が特秘能力者であった私はその苦労を知っていますし、それがいかに危険なことかも承知しています。私達をいきなり信じろとは言いませんが、それでも一歩でも近づけるのであれば、それはきっと新しい扉を開くことができると、そう思うのです。」
「……」
押し黙る大原に、島崎は言った。
「大原典子さん。あなたがどうして一人で修業をしているのか、私達に教えてくれませんか?」
それはとても優しく、穏やかで温かみのある言葉だった。人の心を揺さぶり、解凍するのには十分な熱量があった。
けれど――




