第27話 ダイバーズの修行(3)
――合宿 3日目 夜――
「ふー!生き返る~!」
白い湯気の中、露天風呂で星を見上げる少女が一人。肩までどっぷりと湯につかり、一日の疲れを癒している。
「やっぱり露天風呂っていいわね~、開放的で!」
「あ、優華ちゃんもそう思う?」
山田の隣に足を入れたのは、頭の上に手拭いを載せた足立であった。
「わたしも好きなんだよね~、露天風呂。特に山の中にある秘境みたいなとこが!
夜には満点の星空が、朝にはきれいな朝焼けが空一杯に広がっていて、その下でぬくぬくとお湯につかっているのが心地いんだぁ。」
「ほんとうにね。……ふふ、陽子はそのまま寝ちゃいそうな気がするわ。」
「ええ~さすがに寝ないよう~。……た、多分……。」
視線を逸らす彼女に、山田は笑う。
「あはは。やっぱり寝るんだ。」
「うぐぐ。だ、大丈夫だよ!」
「そう?陽子、今すぐにでも寝そうな顔してるよ?」
「だって〜」
足立は頬を膨らませ、不満を口にする。
「あの修行、本当に体力持っていかれるんだもん!
ただ座っているだけだと思っていたのにぃ〜!
……ね?典子ちゃんもそう思うでしょー?」
「えっ?」
シャワーを流していた大原は、足立のその問いに一瞬面食らった。それは話が聞き取れなかったからという訳ではなく、その内容に答えづらかったからである。
「ん?典子ちゃん?」
「え?ああ、ええと……そう、ね……。とっても疲れるわ。だからわたしも湯船に浸かってもいいかしら?」
「うん。はやくおいでよー。お話しよー」
「……」
長い髪を結い上げ、白いうなじを艶やかに輝かせる彼女は、その美しさに似合わない不器用な笑みを浮かべていた。そして、山田はどうして大原がそんな表情をしているのか、なんとなくその“悩み”を理解した。
「……まぁ、確かに結構疲れるわね、“瞑想”って。」
山田は空に向かって言葉を吐く。
「ただ足組んで座っているだけかと思ったら、バランスとるのが大変で肩やら腰やらバッキバキになるんだよねー。私ももう筋肉痛がひどくって……」
「いや、優華ちゃん、乗れるだけでもすごいよ。わたしなんて、もう2日目なのにバランスボールの上に乗れないんだもん……」
足立は肩を落とし、ぶくぶくと水面に顔を沈める。
彼等はダイバーズの“修行”と呼ばれるものを既に2日間行っていた。その内容は精神肉体ともになかなかに堪えるものだった。本格的な武道の修練に比べれば優しいものの、それと並行して行う“瞑想”という仏門修行のような内容が、慣れない修練者の肉体と精神に多大なる負荷をかけていた。一日の修練が終わる頃には皆口数は少なくなり、各々の部屋で早々に眠りにつく。新入生で夜8時頃まで眠りにつかないでいられるのは、ここで湯船に入っている一握りの人間だけである。
「あははは。陽子もそのうちできるようになると思うよ。」
「ううう~。優華ちゃんの余裕の笑顔が今は痛い……」
「そう?何事も練習だよ。練習!」
そういってから、山田は素朴な疑問を口にした。
「……まぁ、でもなんかなー。なーんでこんな“型”でやっているんだろうって。」
「何か、気になるの?」
大原の問いに、山田は言葉を足す。
「うん。まぁ、そもそもダイバーズの修行が瞑想ってだけでも驚きだけど、剣術をやっている時の瞑想とは大分違うんだよね、アレ。」
「……まぁ、そうね。剣術での瞑想は雑念を払い、迷いを断って究極の集中力を求めるものよ。それで無我の境地に至る人もいるって聞くけれど、ダイバーズの訓練としての“瞑想”は、そもそも目的がちょっと違うもの。」
「ええと……カラダを知る、だっけ?」
腕を寄せる陽子を見て、山田は苦笑する。
「なんかスンゴイ違う意味に聞こえるんだけど……まぁ、合っているっちゃぁ合っているか。能力を使っている時のバランス感覚をつかむ――要は、自分が集中している時の体の感覚を知って整えるってことよね。」
「集中力が大切なのは言うまでもないわ。
和田先輩が言っていたように、ダイバーズは自身の“イメージ”を基に能力を発現させている。そのイメージが精密で具体的であるほど『含有率』が上がっていくの。けれど緻密なものを再現しようとすれば、あらゆる情報を思い浮かべエーテルに伝達するということが必要になる。それには、集中力が必要不可欠だわ。だって必要な情報が途切れてしまったら、能力は発現しないもの。」
大原の言葉に、足立は頬を膨らませる。
「うー。でもそれだったらさぁ~、わざわざバランスボールになんて乗らなくったっていいんじゃないかなぁ。」
「それをいったら修行にならないでしょ。」
「だってぇ。」
「あらあら、お風呂でも“修行”の話なんて、熱心ですね。」
露天風呂の奥、白い湯気の中から現れたのは、湯気よりも白い肌をした女性。大原と同じく長い黒髪を結い上げ、そのほっそりとした体が月に照らされて輝いている。
「ほえー。嶋崎先輩って、ホントに天女様みたいですね。」
「あらあら陽子ちゃん、ありがとう。」
微笑みを浮かべているのは、島崎葵であった。
彼女は3人に近づくと再び湯船の中に腰を下ろし、話に加わわる。
「ダイバーズって、体のバランスがとっても大切なのよ、陽子ちゃん。」
「んー?そうなんですか?」
「ええ。『ダイバーズの10原則』その7を知っているかしら?」
「原則7、ですか?確か、『ダイバーズの能力の起点は必ずダイバーズ自身』というものだったと思いますけど……?」
「そう、それよ。じゃぁ――」
「……」
大原はふと、体に寒気が走った気がした。湯船に五体を浸けているにもかかわらず、背中から四肢へと妙な鳥肌がたった。
これは直感だ、と、彼女は思う。彼女はこれから嶋崎が言う言葉が、自分にとって耳の痛い話だと、そう直感したのである。
「――あなたたちは“ダイバーズが体のどこから能力を発動させているか”、知っているかしら?」
「能力を発動させている……エーテルに情報を伝達させている体の器官はどこか、ということですか?」
「ええ。」
「それは……手、かな?」
山田は両腕を見つめ、自分の能力を思い浮かべる。
「あたしの場合、アンは基本的に腕の中だったり、手を伸ばしたその先にいたりするから……」
「うーん、わたしは頭かなぁ。ほら、こんな感じで『耳』が出てくるから。」
「ふふ。つまり、あなたたちは“ダイバーズが情報を伝達させる器官は、能力によって異なる”と考えているのね。」
足立の狐耳を眺めながら、島崎は微笑みを浮かべる。
「でも、実はそうではないの。」
「えっ!?」
「実は理論上、ダイバーズは全身のどこからでも情報を伝達可能なのですよ。」
「そうなの!?」
足立と山田は驚き、お互いに顔を見合わせる。
「い、いやでも……あたし、脚の先とか自分の頭の上とかにアンを召喚したことないし……」
「ふふ。山田さんが手の先に召喚体を召喚するのは、イメージがしやすいからだと思いますよ。」
「イメージがしやすい、ですか?」
「ええ。」
首を傾げる二人に、島崎は言う。
「ダイバーズの能力は“能力者のイメージ”が形になることで発現する現象です。つまり、ダイバーズのイメージが全ての基本になっています。ですので、“能力をどう使うのか”も、イメージに引っ張られます。
例えば火を操るダイバーズがいたとして、どうやって操るのかと考えた時、人は物を扱うのは手であることが多いので、自然と“手”が能力の起点になることが多いのだそうです。」
「なるほど。陽子は『音声識別能力』だからイメージは“耳”。“耳”がついているのは頭だから――」
「情報を伝達している器官は頭部、ということになるってこと?」
「ええ。その通りです。
しかし、先ほど私が言ったように、ダイバーズの情報伝達器官は理論上全身です。ですので、自分がイメージしていた情報伝達器官が手だとおもっていても、実は全く違う器官からも情報を伝達していた、という可能性があるのです。」
「つまり、能力を使うのにイメージしていた器官以外の器官を使ってしまっている、と?ええとそれは――」
「あっ!分かった!」
答えに気が付いた足立は手を上げ、それを口走った。
「つまりその状況は、能力を使うのに無駄があるってことなんですね!!」
「……」
――お前、やっぱり能力を使いこなせていないな。
大原の脳裏に、あの雨の中で言われた言葉が甦った。
青年は彼女に言った。「相手に直接触れて能力を行使するタイプのダイバーズならば、能力を行使する自身の体の部位は手の平だけでいいはずだ。だが、お前は腕全体で能力を行使している。余計なところに力が入りすぎている証拠だ。」と。
「そうよ、足立さん。私達ダイバーズが能力を発動させるとき、その起点となる部位には力がはいる。だから、能力を行使すると体の重心がずれるの。」
「へええ!」
「ふーん、そういうことだったんだ。ダイバーズが能力を使用するとき重心がずれるってこと自体は知っていたけれど、そういう理由なのは知らなかった。
……ということは、今の“瞑想”は単純に集中力と体のバランス感覚を鍛えるってだけじゃなくて、能力を行使した際にどう重心が動くのかを把握しろってことなんですね?」
感心する山田に、島崎は頷く。
「ええ。この重心のズレはこと戦闘――まぁ、私達の場合は試合に大きく影響するわ。だから、今あなたたちが能力を使ったときに体のどこに力が入っているのかを知るために、わざわざバランスボールに乗ってもらっているの。
これは本当にいろんなことが分かるのよ?
まず、もし能力を行使してバランスを崩したのならば、それは“能力行使の際に重心がずれている”ことを示すわ。
次にどこの方向に倒れたのかを、何回も確認していく。すると、自分が体のどこに力を入れているのかが分かるわ。すると、能力行使の際にどこの筋肉――器官を使っているのかを知ることができる、というわけ。」
「ふうん。あ、島崎先輩、それなら、もしも能力を使ってもバランスボールに乗っていられるのなら、それはどういう状態なんですか?」
「それは――」
「そいつぁ、簡単だ。」
彼女の問いに答えたのは、島崎ではなかった。
その言葉は獣のように荒々しく、覇気をまとって湯船の端から彼等の脳を駆け抜けた。
「どういう状態かって?それこそお前たちの目的が達成された状態、そう――」
Aランクダイバーズになった、という状態だ。




