第24話 チーム?(7)
「ほう。これは驚いたな。」
胡乱な意識の中で、男の声が聞こえた。
穏やかではあるが、無機質な声。驚いたと言いながらも、全ては予想通りと言いたげな、自信に満ちた冷静な声だった。
「『門』はやはり、ダイバーズの『保存時間』を延長できる装置のようですな。ホム――被験者の体の質が変わっているのが、目に見えてわかりますぞ。」
忌々しい声。醜くしわがれた悪魔の声。
俺は飛びかけの意識の中でそいつを睨むと、しびれる体に鞭を打つ。
ここで立てなくては、認められない。
召喚体は己の意志で動くことはない。人間であると証明するには、己の意志を示さなければならない。
「フ――」
立ち上がった俺に、男は小さく口角を上げる。
「おめでとう、吉岡君。これで後は、『命樹』を獲得するだけだ。」
◇
「……」
暗い天井に、切れかかった蛍光灯が灯っている。白いベッドだけが置かれた、蒼白い味気のない部屋。その一角に、勝輝は寝かされていた。
「夢、か……」
「お。ようやくお目覚めか?」
「君は……」
「おいおいおい。まさか記憶まで吹っ飛んでないよな!?俺だよ、俺!高木勇人!!」
起き上がった勝輝に声をかけたのは、頭に氷を載せた高木だった。彼は固いベッドの上で上半身を起こし、勝輝に自分の筋肉をアピールする。
「……ああ。そうだな。それで自分だと主張する奴は、君以外いないな……」
「ははは。間違いねぇな!
しっかし、派手にやられたなぁ。」
「そうだな……」
未だにくらくらする頭を押さえて、勝輝は体を起こす。
「どれくらい寝ていた?」
「さーな。2時間くらい、じゃねーか?」
「そうか。」
長い、と、勝輝は心の中で舌打ちする。そんなにも長い間、自分は呑気に寝ていたのかと。立ち上がりもせずに戦闘を終えてしまうなど、何たる失態かと憤慨する。
「……で。どう思った?今回の試合。」
静かな余韻のある声だった。いつもの高木らしくない、平静を装うかのような緩やかな話し方だ。
だが、勝輝はそれを感じ取りつつも、それが何かを深く考えずに、端的に答えた。
「クソだな。」
「……」
高木はじっと勝輝を見つめ、言葉の続きを待っている。何が「クソ」なのか、それを答えてほしいと訴える。そして勝輝は、その視線から目をそらし、小さく言った。
「……まさか嶋崎葵が『タケミカヅチ』の孫娘とは思ってもみなかった。しかも、『命樹』を会得していたとは予想外だ。
『命樹』はダイバーズ各個人が持つ、“奥義”のようなもの。技として能力を昇華し、さらにそれを絶技へと至らしめることで到達できる、究極の能力応用技術。」
「……」
「能力を『命樹』として昇華できるダイバーズは、世界でも1割程度しかいないと言われている。確率としては少ないが、それでも特秘能力者指定される確率よりかははるかに上。」
「……なぁ……」
「俺はそれを想定できていなかった。いや、調べられていなかった。ダイバーズの戦いにおいて、情報は命だ。そこを怠っていた、俺のミスだ。」
「……勝輝。」
「それに井上健太の能力も見くびっていた。あのような活用があると、俺は知っていたはずなのに。
……そうだな、俺は慢心していた。そこがクソだった。
だが次こそは――」
「勝輝!」
突然の叫び声に、勝輝は目を丸くする。
高木は瞳を閉じ、小さく呻いた。眉の間にできた皺が、怒りにも似た苦悩を露わにしていた。
だが、彼は何故高木が叫んだのか、その気色の理由が、全く分からないでいた。
「なんだ、高木君。」
「あ……いや、すまん。驚かせた。」
「いや……だが、何か言いたいことがあるのか?」
「ああ――」
高木は大きく息を吸い込み、勝輝に言う。
「俺は、お前の考えは、少し間違っていると思っている。」
「なんだと?」
勝輝は怪訝な顔で高木を見た。鷹のような鋭い眼光。常人であればその目を見ただけで震えあがりそうな、ひどく恐ろしい瞳だ。
しかし高木は覚悟を決めたようなどっしりとした構えで、勝輝のその視線を真っ向から迎え撃った。
「あの試合は確かにクソだった。だが、その理由はそこじゃない。」
「そんなはずあるものか。ダイバーズの戦いは情報が命になる。もし敵対する相手の情報を持っていれば、あんなことにはならなかったはずだ。」
「いいや。たとえお前が嶋崎先輩や井上先輩の能力について知っていたとしても、きっとあの試合には勝てなかっただろうよ。」
「何故だ。」
「あれはチーム戦だからだ。」
高木はきっぱりと言い放つ。
「フラッグ・マッチは、一人で戦うもんじゃない。皆で戦うものなんだ。」
「……なにを……」
「お前だって分かっているだろ?先輩たちが、本気を出してないことくらい。」
「それはそうだが……」
「もしも本気で戦うつもりだったのなら、もっと密な連携をとってきただろう。そしてそうなったら、一人で立ち向かったって、さっき以上に手も足も出ずに終わるさ。」
彼は鼻から小さくため息をつき、それから続けた。
「近距離特攻型の工藤先輩に、超遠距離範囲攻撃の嶋崎先輩。この二人の攻撃を受けるだけでも至難の業だが、さらに攻守を兼ね備えた近接型戦闘員の小平先輩と、召喚体による遊撃支援のできる和田先輩が加われば、いくらお前でも同時に相手にするのは不可能だろう?反撃なんて、尚更だ。
そして彼等を相手にしている間にエーテル管理者である井上先輩がエーテルを全て支配しきってしまえば、こっちは能力が使えなくなってしまう。そうなったら王手だ。ライフポイントがゼロになるのは時間の問題だ。だから――」
「一人では勝てない、と?」
「そうだ。」
高木は強く頷き、さらに続ける。
「確かに、フラッグ・マッチはバスケやサッカーみたいなチーム戦とは少し違う。ダイバーズの能力は千差万別だから、練習しても全員が同じ役割をできるわけじゃない。どうあがいても戦闘能力と非戦闘能力の差は大きい。」
「……」
「だけどそれは、非戦闘能力は役に立たない、という訳じゃない。役割が違うと言うだけだ。確かに非戦闘型ダイバーズは肉弾戦には不向きだが、逆に言えば俺達戦闘型ダイバーズは、非戦闘型のダイバーズの役割はこなせない。エーテルの管理なんてできっこない。」
「……」
「だからこそ、チームプレーが大事なんだ。お互いに能力を理解し合って、何をするべきかを判断する。そしてどう相手チームと戦うかを皆で作戦を練るんだ。それがフラッグ・マッチだ。」
「だが……」
高木はなおも納得のいかない勝輝に、小さな笑みを浮かべた。それはあきれ果てたわけでも、蔑んでいる訳でもなかった。
彼は穏やかに、包み込むような柔らかな声で言った。
「お前の言う通り、対戦相手がどんなダイバーズか、どんな戦法を用いるのか、それを調べるのは確かに重要だ。だけどな、それでも分からないことの方が圧倒的に多い。その場で判断しなければならない状況の方が多い。今まで試合をしてきたりしているなら、分かるだろ?」
「それは――」
勝輝はかつてあった戦闘を思い返す。白井斗真との戦闘訓練、特殊部隊に入ってからの日々。そして――蜘蛛柄の女との、一戦――
「な?少しは思い当たる節があるだろ?」
「……なくはないが――」
「だったら、あとは簡単さ。分からない部分は、メンバーでカバーすればいいだろ?」
「……」
歯を見せてにこやかに笑う高木に、勝輝はそれでも納得がいかなかった。自分は己の能力を高めるためにこの大学に来たのだと、そう思っていた。飯島が言う“足りないモノ”が何かはまだはっきりしていなかったが、ダイバーズとして――人間として己があり続けるためには、能力を使いこなせなければならないと、勝輝は感じていた。であるならば、他人の力など借りてはならない。己の力のみで戦い、勝利を勝ち取らなければならない。
――人間とは、なるものだ――
あの冷静沈着な特秘能力者はそう言った。人の化身。理性の権化たるその人物は、人間を種としては見ていない。その男はどんな生き物であれ、人間成りうるものだと説いた。そして同時に、彼はダイバーズを「理性によって力を駆使できる存在」とも言った。
“ダイバーズたるもの、力に溺れてはならない”
その人物の口癖には、力があった。勝輝を魅了させるだけの、力を持っていた。そして、であるならば自分がすべきことは決まっているはずだと、勝輝は思う。
(理性で己を律するのが人間。そして、ダイバーズはその理性によって力を駆使する存在。ただ能力を使うのではなく、どう扱い、どう発展させるのか。それがダイバーズであるならば、ダイバーズであるはずの俺は、能力を使いこなさなければならない。)
彼はそう考えていたのだ。能力を使いこなすのは自分なのだから、一人ですべてを解決しなければならないと。
しかし、それを言おうとした勝輝の口は、高木の発言によって閉ざされた。
「難しく考えなくったっていいだろ?だって、俺達は人間だぜ?人間なんて、一人でできることはたかが知れている。だから、人は助け合うんだろ?」
「――――」
目を見開く勝輝をみて、一瞬高木は驚いたような顔をした。しかしすぐに穏やかな笑みを浮かべると、立ち上がって言った。
「さてと、そろそろもどろうぜ。もう昼休みが終わっちまう。このままじゃ俺達だけ飲まず食わずで先輩たちの講義を受ける羽目になっちまうぜ?」
「……」
扉に向かう高木を、勝輝はずっと同じ表情で眺めていた。
全てが信じられないと、そう言いたげな顔をしていた。お面を顔に貼り付けているのではないかと思うほどに、微動だにしないその表情は、恐ろしくもある。
しかし高木はその表情を見ても、一切恐れることはなかった。彼はその表情を見て何かを確信し、そして再び穏やかに微笑んだ。
「なぁ、勝輝よ。」
「?」
「俺の思い過ごしだったら別にいいんだが……もしも、もしも何か悩んでいるんだったらな?ちょっとくらい頼ってくれてもいいんだぜ?」
「……え?」
「だって、俺達、もう友達だろ?」
無音。
高木の言葉は、勝輝の五感の全てを遮断した。脳髄にまで響く衝撃が、勝輝の全身を駆け巡った。思考は停止し、何が起きたのか彼は理解できなかった。
――『友達』なんてこの世界には存在しないはずだ。
だから、俺は化け物なんかじゃないんだ――
彼の脳で、かつての思考が再開される。
自分が出した結論は完璧だと、そう彼は何度も言い聞かせる。
だから高木の言葉は全くの見当違いで、意味不明で、理解不能な発言だった。高木の言葉の真意が、全く分からないでいた。
しかし、勝輝は高木の言葉に、異論を唱えることが出来なかった。
どんな言葉を返せばいいのか、何も分からなかった。それどころか、異論を唱える気が起きないでいた。口を開こうとすれば嗚咽が走る。反論しようとすれば心が痛む。そのことに、勝輝は理解が出来なかった。反論しようとすることに体が拒絶反応を示すその理由が、勝輝には分からなかった。
「……ま、先にいってるぜ。」
高木は何も言えない勝輝を見て、一瞬悲しそうな笑みを浮かべた。そしてそれ以上彼は何も言うことはなく、扉を静かに閉めて出ていった。
「……」
一人きりになった医務室で、勝輝は己の手を見つめる。そこにあるのは自分の手。まぎれもない、人間の体である。だが――
「『友達』、なんて―――」
勝輝には、得体のしれない何かが、そこにあるように思えていた。




