第17話 来訪者(3)
「あはは。そんなに警戒しなくたって大丈夫だよ。別にとって食べようとしている訳じゃないんだ。」
長髪の男は間の抜けた笑顔を勝輝に見せる。
しかしそれでも勝輝は警戒を解こうとしなかった。彼は初日の時点でこの男を警戒していたからだ。
まず、歩き方が違った。
矢島は体の重心を常に足の親指にかかるようにして歩いていた。それは、勝輝と同じように“軍事訓練”を受けたものに特徴的な癖だった。故に、自分を知る存在である可能性を、彼は真っ先に疑った。
加えて、彼の発言にも気になることがあった。山田や大原は「今年から新たに赴任した講師」と言っていた。なのに、嶋崎や工藤は、矢島が「今年の一年生はスゴイ人たちがいる」と言っていると述べていた。それは裏を返せば、以前までの歴代一年生を知っているということだ。
去年この大学にいなかったはずの男が、何故それまでのこの大学の学生のことを知っているのか。それが勝輝の疑いを徐々に濃くしていった。
長髪の男はそんな懐疑の目をむける勝輝の前に、やれやれと肩を竦めて腰を下ろした。
「いやー、そりゃあ、僕は一応顧問だからね。大学には高校のような“教師と生徒”という関係はないけれど、それでも見過ごせないものもあるよ。」
「……」
「井上君はああいってとりあえず場を抑えてくれたけれど、君ももう分かってはいるんじゃないかい?いくら何でも、彼女にあんなことを言ったのは良くないと思うなあ。」
勝輝は“あんなこと”とは何だと言おうとして、慌てて言葉を飲み込んだ。
彼はこれっぽっちも反省などしていなかった。いや、考えてすらいなかった。彼にとって周りは鬱陶しいハエのように見えていた。
(それを振り払おうとして、何が悪い。)
彼はその言葉を飲み込み、全く心にも思っていない言葉を吐き捨てた。
「――そうですね。言い過ぎたと、そう思っていますよ。」
その言葉を放った後、勝輝は顔をしかめた。名状しがたい奇妙な苦しみが、彼の胸を襲ったからだ。ただ話を終わらせるためだけに、この怪しげな男をさっさと立ち退かせるために言った方便であるというだけなのに、この苦しみは一体どこからくるのかと、そう彼は自問する。しかしその答えは内側からは帰ってこず、その対処法の分からぬ苦しみに彼は顔を歪め、矢島から顔を逸らした。
矢島は小さく口角を上げると、静かに言った。
「ふふ。まあ、その様子なら、きっと僕の口からこれ以上何かを言う必要はなさそうだね。」
「……」
それはどういうことだと勝輝は言いたかったが、会話を続けるような行為をすることは避けたかった。今は特に誰とも会話をしたくない。だから勝輝は何も言わず、彼が退室するのを待った。
しかし、である。彼の願いとは裏腹に、矢島は退室するどころか再び話を切り出したのである。しかもその話題は、勝輝にとってあまり触れられたくない内容だった。
「ところで、君はどうしてそんなに『召喚体』が嫌いなのかな?」
「!!!!」
正気の顔に恐怖と苦痛と憎悪の表情が写ったのをみて、矢島は小さく息を吐く。
「やっぱり、ね。
初日の授業で山田君の召喚した猫を見て、随分と顔を強張らせていたからねぇ。もしやとは思っていたんだ。それに『召喚体』の授業も君は随分と不機嫌そうに聞いていたからね。それで、和田君の『ミズチ』を見た時に随分と怪訝な顔をしていたと聞いたから、確信したんだ。」
勝輝は汗を拭きだしながらも、男のつかみどころのない声色に再び警戒を強めた。矢島という男の言葉が、どこか嘘を言っているように聞こえたのもあるが、自分の触れられたくない領域に踏み込んでくると、直感が告げていた。
だからとにかく適当な解答となる“言い訳”を、高性能AIによる演算処理のように即座に叩きだした。
「昔、召喚能力者に、召喚体でいじめられたことがあるので。」
この言い訳なら、他人の過去の、しかも心の傷を開くような真似を、普通の人間ならしないはずだ。彼はそう願うような視線で矢島の目を見続けた。
だが、数秒の間の後に男の口から出たのは、予想外のものだった。
「勝輝君は、全世界最強のダイバーズが誰か、知っているかい?」
「――はい?」
嶋崎の時と同じように間の抜けた声が出たが、今回は相手の真意が全く分からなかった。
「……一つ、授業をしようか。」
矢島は足を組むと意味ありげに微笑んで見せた。
「全世界最強のダイバーズは『ザ・ファースト』と呼ばれている。
能力の概要、出身国、性別、年齢、全てが不詳。分かっているのは、初代『第二次不死鳥』のメンバーの誰かだということだけ。『不死鳥』のメンバーは素性が公表されている者もいるが、大概全員特秘能力者で“コードネーム”とおおよその能力しか公表されていない。
故に、その人物が活躍した『アトランティスの戦い』から60年が経った今でも、何者であったのか一切分かっていない。」
「……それは、知っていますが……それを何故今話すのです?」
「君はどんな能力を持っていると思う?」
「え?」
唐突な問いに、勝輝は面食らった。しかし無言になれば次に何を言われるのかわからない不安もある。故に、彼は率直な意見を思わず述べた。
「……“相手を確実に殺す能力”でしょうか……」
「ほう。それは何故かね?」
「2090年代の今、ダイバーズの強さは単純な“戦闘能力”では決まりません。
今はエーテルに情報を入れて置ける『保存時間』がどれだけ長いか、どれだけのエーテルを支配できるかを示す『含有率』の大きさがどれだけ大きいかで、ダイバーズの“レベルの高さ”が競われる時代。どのような能力であれ、それを磨き上げて精度を増し、応用させる……それが今の時代の“強さ”です。
ですが、『ザ・ファースト』が活躍したのは戦時中です。
戦場では、相手を殺せる者が――生き残れる者が強者です。」
勝輝は拳を握りしめる。
「なるほど。だから、戦争で敵を確実に殺せる者が最強のダイバーズと呼ばれたのではないか、と君は考えたわけだね。」
「ええ。」
「そうなると、あれかな?君の中では『ザ・ファースト』の候補は戦闘能力が桁外れな『火炎のサラマンダー』や、生死にかかわる能力を持つ『死神タナトス』、あとは『破壊神シヴァ』あたりだと想像しているのかな?」
「……ええ、まあ。」
しかし、そうはいいつつも、勝輝の中ではその3名はあまり“最強”というイメージはなかった。それは自分にとって強者のイメージが、『白井斗真』という白銀の鬣を揺らす男の背中だったからだ。
根拠はない。理屈で言えば、生き残った者が強者なら、それは違うはずだと勝輝自身思いながらも、彼にとっての強者は、白井斗真だった。
炎のように赤くも、死のように黒く冷たいモノでも、破壊のような騒々しいモノでもない。
ただ、白く熱く、そして静かに響く、そういうモノだった。
「確かに、君の考え方は理に適っているし、私もそう思っている。
戦時中の強者とは生き残った者のことだ。
死者は英雄視されるか悪人にされるかだが、生存者は“強者”になり善人とされる。
それが戦争だ。
一方で、『ザ・ファースト』の能力はそういった戦争特化のモノではないとする意見もある。理由は単純に、『ザ・ファースト』が戦場で行ったことが――まあ、所謂“英雄譚”が、どれも人を救ったり守ったりと心を打つようなものばかりで、殺人能力とは考えづらいものがあったからだ。
しかしただでさえ謎の多いメンバーに、さらに二つ名がつけられては、もはや誰かなんて想像の産物で根拠に乏しく、その能力なんて人々の妄想が生んだ出鱈目で信用できないものだ。だから僕はずっと前者のものが、『ザ・ファースト』の能力だと、そう思っている――
けどね。」
意味ありげに、矢島は笑った。
「最近、こんな噂を耳にしたんだ。」
「噂?」
「『ザ・ファースト』の能力は、“召喚能力”だったのではなか、というね。」
「!?」
勝輝の顔が、一気に曇った。「そんなことがあってたまるか」と、そう言いたげな顔だった。
「まぁ、一瞬にして噂は消えたけれどね。なんせ召喚能力者が最強と言われてもピンと来ないし、戦場でどんな風に活躍したのかさっぱり想像できない。それに何より、『不死鳥』のメンバーに召喚能力があるとは記載されていなかった。人々は直ぐに有り得ないといってその案を棄却した。
だが――それは、ありえなくはない。」
「……」
「何故あり得なくはないのか。それは、ダイバーズの能力は、たとえどんな能力であれ、その根幹は“イメージ”の強さ、つまりはどれだけ想像力があるかという点に帰結するからだ。」
「……」
「それで言えば、想像力の頂点に位置する能力は間違いなく『召喚能力』だ。例えモデルがないとうまくできないとはいえ、そこに存在しないモノを創りだすんだ。同じように君の複合創造の能力もかなりの想像力が必要になるが、“生命体”よりかは複雑ではない。」
「…………」
「それに、『召喚能力』は間違いなくダイバーズの中でも異色の能力だ。
あれはもはや魔法に近い。22世紀になろうというこの時代になっても、あの能力だけは完全に未知の領域。神の御業とまで言われた能力だ。」
「……あれは、命なんかじゃ………」
「確かにね。学術的には『召喚体』は命ではない。だが、人はそう簡単に物事を割り切れるものではないんだろう。」
矢島は何故か肩を竦めて、それから再び口を開いた。
「異色な能力の中でも極めつけは『伝承召喚』だ。能力でモデルの存在しないモノをつくれるのは『伝承召喚』だけだ。原因は依然見た何かを脳が無意識化で再現しているとか、記憶の遺伝とかもう滅茶苦茶な推測があるが、大げさに言ってみれば究極の想像だ。感情を作品として形にする造形アーティストのようなもの。
故にこそ、『召喚能力』がダイバーズの能力を解明するヒントになる――と考えている学者は少なくない。」
「…………」
「では、僕の考えを言おう。」
矢島は立ち上がり、扉に向かって歩きだした。
勝輝はこの男が一体何のためにこんな話をしているのか一ミリも理解できなかったが、その“考え”を聴くことに異様な恐ろしさを覚えた。
銃口を向けられたときのような、逃げ場を失って追い詰められたときのような、絶望的な何かが待ち受けている気がした。
そしてドアノブに手を置くと、矢島はニヤリと笑って勝輝に言った。
「もしも “本物の人間”を召喚できたなら、それは“神”だとは思わないかね?」




