第06話 スパイと人質(後編)
「もしも、俺が断ったら?」
『死』はじっと宗次を見つめ返した。
そして、その夜よりも濃い闇の右腕を上げたその瞬間、宗次の全身に激痛が走った。
「――!?ガッ!アアアアア!!」
宗次は椅子から転げ落ち、胸を掻きむしる。全身は炎に飛び込んだかのように熱く、滝のように汗が噴き出る。頭の中で銅鑼が鳴り響き、ナイフを心臓に突き刺したような痛みに、宗次は顔を歪ませ叫んだ。
“もういいぞ、『ニンキガル』”
一通り叫びを聞いた『死』は『ニンキガル』にそう告げる。その冷酷な声が消えるとともに、全ての痛みが宗次の体から消え去った。
彼は息を荒げながら、置物のように座る女を睨み付ける。
「――貴様っ!」
「どうやらあなたは、私に細菌を入れられるより前にここを脱出しようと考えていたようですが、そのようなことを私が許すわけがないでしょう。あなたを治療したのはこの私。その時既に、あなたは感染しています。」
「!!」
「あなたの体内に入れた細菌は、私の能力に合わせて開発された細菌兵器。バイオセイフティーレベルはレベル1ですが、リスク群は3。つまり、私はその細菌を今のように‘活性化’させるだけで、相手を即死させることが可能です。当然、ワクチンは世界でこの私のみが所有しています。」
「……とんだマッドドクターだな……」
「――そうですね。
ですが、これで分かったでしょう。私の能力は細菌に影響を及ぼす、全世界最大級の効果範囲をもつダイバーズ。あなたがどこに居ようと、私の能力からは逃れられない。
――そして当然、彼女たちにも、同じ細菌を感染させてあります。」
その言葉に、宗次は憎悪に満ちた眼光を、二人の『不死鳥』に向けた。
「貴様ら!!!」
歯をむき出しにし、猛禽類のような宗次の瞳に殺意が宿る。
だがその殺意を全身に浴びてなお、二人のダイバーズは微動だにすることはなかった。
「あなたが我々の依頼を断ったり、3年以内に依頼を達成できなければ、あなたの後輩と、あなたが父のように尊敬する長嶋を、抹殺します。」
「それのどこが、『敵』ではないと言うのだ!!」
“敵ではないさ、我々は。
何故なら、お前は我々にとっての『境界』を超えていない。
今のお前は、我々の脅威ではない”
「な――」
宗次は言葉を失った。
敵として認識することもない、そう『死』は宗次に告げたのだ。いくら『駒』とはいえ、自分を利用するくらいなのだから、彼らにとって自分はそれなりに価値のある人間として見られているという思いが、少なからず彼にはあった。
だが、それすら、彼らは持っていない。
この二人は、ただ自分を目的の条件に最も近いただの物としてしか、認識していない。価値があるのではなく、これから価値を自らの手で付随しようとしているのだと、そう宗次は感じだのだ。
(――俺は‘料理の材料’といいたいのか、こいつらは――)
“だが、流石に1人で調査するのは骨が折れよう。故に調査は3人で行ってもらう。
一人はあの後輩だ。彼女もまた優秀な人材だ。もしかすると、我らの目的のために、働いてもらうことになるやも知れないからな”
「――!」
“ククク。そう怒るな。それに、我々の手元に置くよりも、自分の目の届くところにいてくれた方が、安全なのではないかな?ククク”
「おのれ――」
怒りが宗次の体を震わした。今にも殴りかかりたい衝動を、宗次は必死で抑えつけていた。今ここでことを荒立てても、何も解決しない。自分たちの命を『ニンキガル』が握っている以上、既に宗次は依頼を受ける以外の選択肢が無くなっていたからだ。
『死』は宗次の怒りを見つめながら、話を続ける。
“もう一人についてだが、長嶋は重傷でな。流石にあいつを調査に連れ出しても足手まといになるだけだ。
故に、馴染みの顔を助っ人として準備した。日本で合流できるよう、既に手筈は整えてある。もちろん、二人とも表向きは『不死鳥』として正式に協力を依頼することになっている。貴様の後輩には既に依頼を出して了承を得ているとも。まあ、もちろん『細菌兵器』については話していないがな。”
『死』が、ゆっくりと高笑いするように、宗次に言い放つ。
“では、体力が回復次第、日本へ帰国するがいい。
――期待しているぞ、山田宗次隊長。”
◇
――現在――
「先輩、聞いています?」
「えっ?ああ、すまない。少し考え事をしていた。」
宗次は自分の顔を覗き込む後輩に、作り笑いを浮かべた。
(――決して悟られてはならない。彼女が狙われているということを。
彼女は責任感が強すぎる。自分が人質になっていると知ったら、どんな無茶をするか分かったものではない。そんな危険を、大事な部下にさせてたまるものか)
「ええと、それで、なんの話だったかな?」
「もう、ちゃんと聞いてくださいってば!こんなんじゃ、ホントにあと1年以内に解決できるのか不安になってきますよ!」
「はははは、すまんすまん。」
頭を掻く宗次を見て、板橋は自分にしか聞こえない小さな声でつぶやく。
「……まあでも、私はこの生活、悪くはないんですけどね。」
「ん?何だ?」
「いーえ、何でもありません。それより、さっきの話ですが――」
板橋が会話を続けようとしたその時、宗次の通信機が冷たい部屋に鳴り響いた。
「――あの人、ですか?」
「……ああ。」
二人の間に、緊張が走る。
宗次は通信機を机に置き、通話をオンにする。それは、宗次と板橋とともに『死』からの依頼を受けて調査をする、3人目のメンバーからの通信だった。
「「宗次、奴らが動いた。」」
「!」
「場所はどこです?」
「「ああ。宗次、お前が報告にあげていたあの場所だ。――つまり、ビンゴだよ」」
通信機の声を聴いて、宗次と板橋は互いにうなずく。
「承知しました。現場に急行します。
――赤坂隊長。」
◇
◇
「ほんとうに、よろしかったのですか?」
“何が、だ”
「このような方法をとってしまっても、です。」
『ニンキガル』の質問に、『死』は宗次のいなくなった椅子を見つめながら答える。
“構わぬ。我らの目的の達成のためには、彼のような人間が必要なのだ。”
「であれば、もう少し別な対応をしてもよかったかと。」
“ほう?それは、どういう意味だ?”
「私は……政府を通じて、正式に依頼を出した方が、計画を遂行するには最適かと……思いまして……」
“かまわん。本心を言え。”
『ニンキガル』は一度『死』から視線を外し、再び『死』へと戻した。
「……瀕死の彼をここに連れてきたとき、あなたは私にこう言いました。
絶対に死なせてはならない、と。」
“そうだな”
「……お言葉ですが、私には彼に手間を省くだけの価値があるとは思えません。
何故、彼なのです?彼の能力はSランク。能力の実力では、来たる時に戦力としては不十分です。必要であれば、それこそ『カグツチ』や『ミヅハノメ』のような有力なダイバーズを選択するべきではなかったのか、と思いまして。」
“……ククク、それが本心とは、言うようになった――いや、染まってきたと言うべきか、『ニンキガル』。お前はオレの立てた計画に、反対している身であろうに。”
「!――それは……」
『ニンキガル』は狼狽し、視線を机の十字架に落とす。純白の十字が、視界いっぱいに広がるその様を見て、彼女は肩を落とした。
「私は――祖母とは違い、自信が無いのです。」
“――そうか。”
『死』は『ニンキガル』を向き、言葉を紡ぐ。
“俺の目的はただ一つだ。そのためならば、ありとあらゆる手段をとる。それが、どんな非道な手段であったとしても、たとえお前がどう感じていようと、だ。”
「――故に、あのようなことを彼に言ったのですね。
あなたの言葉に嘘はありません。しかし、繋がっていません。彼を選んだ理由を、あなたは答えていない。あなたは真実の断片を語ったに過ぎません。それも――あたかも、一つのストーリーのように……」
“そうだ。山田宗次に語った言葉は、真実であって事実ではない。
確かに、奴は必要だ。
確かに、『黒箱』の目的は脅威だ。
確かに、全てを公表すれば、人類の消滅に繋がるものだ。
だが、人類の消滅は『黒箱』の本当の目的ではもちろんないし、奴を必要とするのは『黒箱』を止めるためでも人類を救うための最善手でもない。
彼を必要とする理由は、もっと単純だ。”
『死』は宗次の座っていた椅子を見ながら、静かに言った。
“では何故彼が必要か?それはな――”
あの、怒りを抱いた猛禽類の瞳を『死』は思い描く。
そう、それは、彼が――
俺と、同じだからだ。




