第04話 領域外の存在(4)
数秒の沈黙ののち、『死』はそのない口を開いた。
“ククク……いいじゃないか。そういう直感も、大切な思考の材料になる。直感するということは、それなりの理由があるからな。
――クク。お前の言った通り、俺のコードネームは『タナトス』だ。
そう、コードネームは、な。”
「――どういう意味だ?」
“そのままの意味だとも、山田宗次。俺のコードネームは『タナトス』だ。お前の見当は正しいものだ。
――だが、俺は『タナトス』であって『タナトス』ではない”
「……世襲制、ということか?」
“ククク。さてな。
だがいずれにせよ、お前はいつか俺の正体にたどり着くだろう。俺が何者か、それを知る時を楽しみにしているがいい。”
宗次は髑髏をじっと見つめ、次に自分が言うべき言葉を導き出す。
(――『特秘能力者』はたとえ同一能力でもそのコードネームは人によって個別に付けられ、同一名は決して使用されない。こいつが『タナトス』なら、それは『不死鳥』の『タナトス』であることに間違いないはず。だが、コイツは……?
いや。今はそれを考える時ではない。――問題は、こいつらが信用できるか否か、だ。)
「――それで、初代不死鳥の1人、『タナトス』が何故今俺の前にいる?」
“……ああ、そうだな。”
つまらない、と言いたげな口調であった。『死』は背もたれに体を預け、その赤い視線を宗次から外した。
“俺がお前を、新硫黄島で拾ったからだ”
「――拾った、だと?」
“ああ。日本能力者特殊部隊と『黒箱』との戦闘ののち、あの焼け野原となった新硫黄島から、な。”
「……つまり、あの戦闘後に、『不死鳥』が介入してきた、ということか?」
“いいや”
宗次は目を細める。
「――なるほど。
つまり、これは秘密裏な会合もしくは非合法的な処置、というやつだな。」
“その通りだ。
俺は秘密裏にお前を回収し、この『タルタロス』に連れてきた。当然、日本政府の許可など得ていないし、報告もしていない。お前が生きていることを、彼らは知りもしない”
宗次の言葉に、『死』は悪びれずに答えた。
宗次は赤い瞳を見据えたまま、さらに質問する。
「――俺の仲間は、どうなった。」
“俺が回収したのはお前を含め3人だ。それ以外は、たどり着いたときには皆死んでいたな。”
「――」
宗次は歯を食いしばった。
たとえ覚悟はしていても、仲間の死はどんな痛みよりも重く、そして深い。
だが、それでもそれは一瞬であった。決して彼等の死を軽んじているからではない。彼等の死を無駄にしてはならないと、彼等の隊長として、彼等の死の真相を暴き出さねばならないと、山田宗次という男が、その一瞬で覚悟したからである。
「――3人、といったな。誰だ。」
覇気のこもった声。炎の宿った瞳。
そこにいるのは、もはや眼前の『死』に恐れを抱く優男などではなかった。
“――フ”
彼の表情をみて、『死』は明らかに満足げな声ではっきりと答えた。
“お前の後輩である板橋美穂、そしてお前と同じ隊長に所属する長嶋王司だ。”
「そうか――」
“会わせろ、とは言わないのか?”
「随分と回りくどいな。」
“というと?”
「『ニンキガル』から、‘我々は介入するつもりもなく、敵でも味方でもない’と聞いている。それなのにこうして俺をこの『タルタロス』などという閉鎖空間に連れてきた。しかも日本政府に知らせずに、だ。それはつまり、お前たちは、俺個人に政府に知られたくない用件があるということだ。そこまでしておいて、俺が断れないようにしていない訳がないだろう?」
『死』はじっと宗次を見つめていたが、しばらくするとその虚ろな体を揺らして笑いだした。
“素晴らしい。素晴らしいぞ、山田宗次!
その通りだとも!
オレたちは――いや、オレは、お前に依頼がある!しかも、とびきり危険で、断ってもらっては困る依頼がな!そのために、わざわざあの裏切り事件の後に貴様を回収したのだから!”
宗次の『死』を睨み付ける瞳が、一層細く、鋭さを増す。
――『裏切り事件の後に』。
その言葉が、宗次の研ぎ澄まされた脳細胞を駆け巡った。
(『死』は、俺が生きていることを日本政府は知らないと言った。それはつまり、日本政府が新硫黄島に軍を再び派遣するより前に、俺を回収したということだ。
だがそれは、俺達が裏切られることを、事前に知っていなければ行動できない。そうでなければ、あの絶海の孤島に着くことは物理的に不可能だ。
能力を使っても結論は同じだ。この地球にはテレポーテーションのような能力はないし、いかに素早く移動できようと、大海を渡るという離れ業は『疲労限界』が許さない。
そうなると、コイツは『黒箱』の動向について、日本軍よりも情報を掴んでいるということになる。
それなのに――『裏切りの事実』を知りながら、コイツは日本軍に警告を出さなかった。放置していた。
それは、一体何故だ?)
「――用件は、なんだ。」
宗次は赤い瞳を睨み付けたまま、その瞳の奥底を読み解こうと、思考を止めることはなかった。
(……ダイバーズにおいて世界最強の組織が、俺の仲間を人質にして、自分に一体何を依頼しようと言うのか。
介入すれば即刻解決に導けるほどの実力と権力と情報を有しておきながら、それをせずあまつさえ人質をとるという反社会的行為を見せる組織……。
これが、“人道的支援組織”、だと?
冗談じゃない。こいつらは一体、何を考えている?)
宗次の問いに、『死』は待っていたと言わんばかりに、低く、大きく、言葉を発した。
“『黒箱』の真実に、たどり着け”
「――たどり着け、だと?」
“ああ。あの組織が何者で、誰とつながり、何をしようと企んでいるのか、そのすべてを洗い出せ。”
「……それ、だけか?」
“そうだ。これはテストだからな。”
「テスト?」
宗次は『死』の言葉に、本当に要求しようとしていることは、“『黒箱』に関すること”ではないと直感した。
だがその直感を思考へと落とし込む前に、『死』の言葉に、彼の意識は蒸発した。
“しかし、時間はないぞ。奴らは近々、大虐殺を行うつもりでいるからな。”
彼の脳に、電撃が走った。
「貴様――」
“なんだ?”
「貴様は、それでも世界を代表する国連組織の人間か!?
多くの人命が危険に晒されていることを知りながら、それをただ見ているだけ、だと!?」
“そうだ”
宗次の顔に、怒りが映る。だがそれを見てもなお、『死』は冷酷だった。
“あの裏切りも、その理由も、『黒箱』の本当の目的も、あの『蜘蛛柄の女』の正体も、お前たちの知らないすべてを、この俺は知っている”
(『黒箱』の本当の目的――!?)
“お前はあの赤坂美桜の愛弟子だ。薄々感じているのだろう?今度の『黒箱』は、今までとは違うと”
「……貴様は、それを知っていて、何故動かない?何故、世間に公表しない!」
鬼気迫るその問いに、『死』は驚くべきことを口にした。
“公表すれば、間違いなく人類が消滅するからだ。”
宗次は、半ばあきれた。突然の突拍子もない発言に、全ての思考が吹き飛んだ。どこに、そんな‘人類が消滅する’なんて事態が生まれるのか、想像できないでいた。
「は?何を言って――」
“お前は、この世界に善悪が存在すると思っているか?”
「何?」
『死』は、ゆっくりと椅子から浮かび上がる。
“俺は、この世界には、善も悪もないと考えている。その概念は、時代によって、人によって変わるものだからだ。
故に、あるのは、『境界』だけだ。”
「境界、だと?」
“そうだ。
光が有るところを『光』と呼び、存在しない場所を『闇』というように、この世界は『有』と『無』の二つで構成される。何が善で何を悪と見なすのか、何らかの基準を基に境界を引き、その線を超えるものを悪、あるいは善と人は呼んでいるに過ぎない。
今の地球上の国家は、その境界に『法』を選んだ。これを超えるものを悪とし、罪人に罰を与える。
そして、この『境界』がなければ、人類は人としての生活を、尊厳を保つことが出来ない。
では、問おう。
その『境界』とは、どう認識する?”
「――」
『死』は、ゆっくりと十字の上を浮遊する。
“では、質問を変えよう。
山田宗次、お前は自らの体である片足を失った。
では、失ったその片足は『山田宗次』なのか、それとも、今ここにいるお前のみが『山田宗次』なのか、どちらだ?”
宗次は、即座に答えた。
「それは、俺が山田宗次だ。」
“何故だ”
「俺という存在が、ここに有るからだ。」
その言葉を聞いて、『死』は歩みを止める。
“いい答えだ。
そうだ。我思う、ゆえに我あり。デカルトの言葉にある通り、思考している自分という存在を、否定することはできない。
だがな、それは、どこまでが自分という存在なのかまでは決定できない。”
「――」
“では、なぜお前はもともと自分の身体であった失われた片足ではなく、いまここにいる自分が『山田宗次』であると答えたか。それは、お前が自分という存在の領域を、自分の意志で動く肉体を『境界』として確立させているからだ。”
『死』は、十字架の真ん中で、羽を広げたカラスのように、両腕を広げる。
“肉体の無い領域を自分ではないとし、肉体の有る領域を自分として認識する。これが普通の人間の、自己領域の確立方法だ。つまり、自らの感覚、意識の届かない領域を確認してそれが自分ではないと区別しているのだ。
これはいわば、『無』を認識して『有』の『境界』を得る方法だ。”
「――貴様は、『無』を認識して、『境界』が生まれると言いたいのか」
“そうだ。
法はどうやって作られるのか。
それは、人間が尊厳を失う‘領域’を認識して作られる。何をすれば社会は回らないのか。何をすれば他者を傷つけてしまうのか。
そういった逸脱した、‘人間としてあってはならないモノ’を認識して、法という『境界』は作られる。”
『死』は、視線を足元の十字架へと落とす。
“この部屋の机も同じだ。
このすべてが白い部屋で、白い机の形が十字架だと視認するためには、その輪郭を認識しなければならない。そう、この部屋の明かりに照らされてできる机の影、側面に落ちる微妙な陰影こそが、我らにこの机が十字架であることを認識させるのだ。光の『無い』領域が、十字架を十字架として存在させている。”
『死』は再び十字の上を、ゆっくりと宗次に向かって浮遊する。
“我らはこの影だ。”
「影?」
“そうだ。我らは、形を決定する、影。光無き『闇』だ。
『境界』を認識させる存在だ。
人間が、人間であるために、その存在を認識させる、領域外の存在だ。
犯罪者を殺す、人として――倫理から外れた矛盾した行為を我らが行うのは、人が人として最後まであるための『境界』を保つためだ。
我ら『タルタロス』を管理する『不死鳥』は、人が人としてあるために、必要なあらゆる手段をとる。そのためならば、我らはその手を血で染めることを、あらゆる倫理に反することを――十字架を背負うことを、厭わない。
故に、お前を利用することすら、躊躇しない。”
『死』の瞳が、一層赤く輝く。
“我らは人類の『闇』、人類が人類であるための、最後にして原初の砦。
故に、我らはこう呼ばれる”
『死』の顔が、宗次の正面でぴたりととまる。
“人間の罪を認識させる十字の影――『黒い十字架』と”




