第03話 領域外の存在(3)
「死は突然訪れる」と人は言うが、実体を伴って目の前に現れる時が来ようとは、宗次は思いもしなかった。
それほどまでに、彼の眼前に現れたソレは、異様で異質で恐ろしいものだった。
赤い瞳に漆黒の髑髏。その体は地獄の底を見ているかのように、純然たる黒で塗りつぶされている。突如として真っ白な空間に現れた闇は、ブラックホールのように、全てを呑み込んでしまいそうだった。
“ようこそ『タルタロス』へ、山田宗次”
一瞬で空気が凍り付く。全身に怖気が走る不気味な声が、闇の奥底から響いてくる。
宗次はその声に返事をするどころか、闇から――『死』の赤い瞳から視線を動かすことすらできなかった。ただ生きるために、その生命活動の最低限度の呼吸をすること以外に、脳はエネルギーを使うことを拒絶していた。
“おや……なんだ、まだ寝ているのか。”
静かな声で『死』はそういうと、闇でできた身体をゆらりと揺らして腕を出す。
と――
「ッ!?」
鈍い金属音が、凍えた空気の中で反響する。
宗次はとっさに掴んだ松葉づえに、ゆっくりと視線を下ろした。
――漆黒の槍。
『死』から伸びた人差し指がやすやすと金属製の杖を貫通し、心臓からあと一センチという所で止まっている。もしもこの松葉杖を“盾”として構えていなかったらと思うと、宗次は生きた心地がしなかった。
“ククク、やはり、起きているではないか。”
『死』は一切表情を変えず小さく上ずった声を発すると、その槍をゆっくりと抜き、元の『指』へと戻していく。
「……!」
奥歯を強く噛みながら、宗次はうなる。あまりの恐ろしさに、怒りも言葉にならない威嚇にしか成り得なかった。
しかし『死』は何も気にすることもなく、あっけらかんとして言った。
“オレは面倒なことが嫌いでな。意識があるのか、動けるのか、戦えるのか。それら全てを確認するにはこの方法が手っ取り早い”
「……」
“クク……さすがはその若さで特殊部隊隊長となるだけの実力者よ。
とっさの動きとはいえ、席を離れて避けようとしなかったのはよい判断だ。そんなことをしていれば、その動作1つの間にお前の心臓は穿たれていたからな。”
「……」
じっと見つめ返す宗次に、『死』は話を続ける。
“自分がどんな状況に置かれているか、まだお前はよく分かってはいまい。
だが、ここに来るまでの間で、多くの情報を入手することが出来たはずだ。お前ほどの聡明な人間なら、ある程度確信をもった推測ができているのではないか?”
その言葉に、宗次は1つの答えを導き出した。
わざとらしく付け足された抑揚、されど妙に冷静で、静かな物言い。脳を穿つかのような鋭い視線。全身に与えるプレッシャー……。
そう。『死』は、自分を試している、と。
「――お前は、第2期初代『不死鳥』の1人だな。」
“――ほう。そこまで推測するか。理由を聴こう”
宗次は震える口を一度きつく閉ざし、それからゆっくりと言葉を紡いだ。
「……まず、ここが『タルタロス』であるということは、この施設の特異性から、おおよそ確信は得た。
超小型自動翻訳機のような最先端技術を有する、対ダイバーズ用に特化した施設。そして、医療機器に示された“薔薇”の印……。
テロリストのような矮小な組織なんかじゃない。『特秘能力者』とのつながりがある、大企業レベルの組織性を有した国際的な存在が絡んでいるのは間違いない。」
“それで、『タルタロス』だと確信したと?”
「いいや。自分のいた部屋と廊下の状況、迎えに来た人物だけじゃ、どんな施設かなんてわからなかった。
確信を持ったのは、あの“円筒形の空間”に広がる牢獄だ。もちろんそこにいる人物の口から直接聞いたときは驚いたが、確信を得たのはあの牢獄の“状態”だった。」
“状態。”
「そうだ。『特秘能力者』が絡む“国際的な牢獄”なんて、多くは存在しないが――あれは、普通の牢獄ではない。」
宗次は一呼吸置いて、『死』を睨み付けた。
「――ここは、『社会復帰のための反省の場』ではないだろ。」
“何故そう思う?”
「“非人道的”な扱いだからだ。
あの牢獄は、牢屋から出られるような造りになっていない。」
宗次は、『死』が一瞬笑ったように見えた。そしてそのわずかな髑髏の陰影の動きが宗次の考えを確固たるものにするのと同時に、そのおぞましさに全身の毛がよだつのを感じ取った。
「――――」
“どうした?続けたまえ。”
宗次は『死』に促さられるまま、口を開く。
「……普通の監獄では、“牢屋”と“労働をする場”と、場所がいくつか分けられる。だが、ここは牢屋が積み上がって牢獄になっている。生きるための最低限の生活すらもない牢獄の中に、人が入っている。
つまりここは牢獄ではなく、処刑場だ。
生きたまま小さい箱に押し込め、当人が死ぬまでそのまま放置する――死刑囚のみが入れられるダイバーズ専用の処刑場。それが――国際監獄『タルタロス』だ。」
白い部屋の冷たい空気が、一層凍てついた。
「――『タルタロス』は死刑囚の入る監獄とは聞いていたが、まさかこんな実態だったとは知らなかった。
が、確かに処刑するだけなら、あれほど効率的なものはないのだろう。
何しろ、国際指名手配になるような凶悪なダイバーズたちだ。従来の処刑方法では殺せない。そうなると、当人に《・》勝手に死んでもらうしかない。
それを目的とするならば、牢屋から出す必要もなく、個々を監視する必要もない。水もなければ人は3日しか持たないから、監視する人間も少なくて済む。」
宗次には、やはりうっすらと『死』が笑っているように見えた。しかも、楽しんでいる、というよりも、『うれしい』と言いたげだと、彼は感じた。
“――それで、オレが初代『不死鳥』だという根拠は?”
「……国際監獄『タルタロス』は、“十字架を背負う4人の『不死鳥』”によって管理されている――と、言われている。
彼等は『不死鳥』の中でも特に対人に特化したダイバーズだと言われるが、その中でも『エレシュキガル』の存在は有名に過ぎる。『全世界最大の影響範囲』を持つダイバーズのコードネーム、一度は聞いたことがある。
そして、その孫娘が『タルタロス』にいる、ということも、な。
ここが『タルタロス』であると分かった以上、そこにいる彼女が現監獄長官、『ニンキガル』であることは間違いない。そして――」
宗次は大きく息を吸い込む。
「そんな監獄長が、“あの方”と呼ぶような存在だ。
全世界最高位SSSランクダイバーズ、『ニンキガル』が敬意を表するダイバーズで、この施設のトップが、その権威を表すことが出来ない相手――。俺は、現在の『不死鳥』で、それに該当するダイバーズは思いつかない。そして、お前のような――得体のしれない能力を、俺は知らない。
となると、能力の詳細が知られていないSSSランクダイバーズで、尚且つ『不死鳥』とのつながりのあるダイバーズということになるが……それに該当しそうな人物は、俺の知る限り、世界に12人しかいない。
『アトランティスの戦い』の後、現在の『不死鳥』体制を築いた、第2期初代『不死鳥』のメンバーだ。」
“なるほどな。状況から得られた情報では、そこまでの推測が妥当――いや、限界、といったところだろう。なんせ、全く世界に知られていない秘密組織のダイバーズ、なんて可能性もあるのだからな。それ以上は推測の域を出ない……だが――”
『死』は、首を傾ける。
“お前の直感では、もうオレが何者か、そのコードネームくらい見当がついているだろう?”
「……」
宗次は一瞬口を紡ぎ、言葉を出すのを憚った。
『死』は、自分を試している。故に、ここで確証のない発言をするのは、非常に危険だと感じていたからである。
ダイバーズ同士の戦いにおいて、情報は生死を分ける。
相手がどんな能力を持っているのか、確たる証拠と精緻な思考によって判断し、行動をとらなければならない。見た目からは想像もつかない能力を有するダイバーズなど、この世界にはごまんといる。故に、ただ見ただけの印象で、自分の知っている『能力』と結びつけるのは安直で、試されている中でその禁忌を犯すのは危険すぎたのである。
しかし、それでも彼は自分の考えを確かめるしかなかった。情報の少ない中、この目の前にいるダイバーズが、信用できるのか――もっと言えば、『不死鳥』を信用できるのかを探るために。
「……第2期初代『不死鳥』メンバーは『エレシュキガル』のように、ある程度素性が知れた『特秘能力者』たちだ。――だが、たった一人だけ、現在に至るまでコードネーム以外何も知られていないダイバーズがいる。それが――」
宗次はまっすぐ『死』を見つめ、その名を口にした。
「死の神の名を持つダイバーズ、『タナトス』だ。」




