第02話 領域外の存在(2)
「『不死鳥』だと!?」
女の放った一言は、ナイフのように冷気を宗次の体に刻み込んだ。彼は女から一歩距離をとり、その冷たい顔を睨み付ける。
「所属を明らかにしたと言うのに、先ほどより随分と警戒していますね。世界の治安を維持する組織に、そのような警戒は不要だと思うのですが。」
女の淡白な発言に、宗次は冗談じゃないと内心叫んでいた。
――『不死鳥』。
それはダイバーズのみで構成される、国際能力者組織である。その起源は数千年前にまでさかのぼると言われるが、現在の『不死鳥』の有り方は昔のそれとは違い、世界各国の政府機関に人道的支援または技術的な支援を行う国連の組織として確立している。
ただ、他の能力者組織と決定的に違う点が存在する。構成員の「レベルの高さ」である。
『不死鳥』に所属できるのは全世界でも強力な能力を有するダイバーズのみであり、具体的に言えば、最低でも各国ベスト3以内に入っているダイバーズでしか所属できない。例に2080年代の日本を上げるのであれば、この組織に所属できる資格を有するのは『アマテラス』『カナヤマヒコ』『フウジン』のみであるということだ。
つまり『アマテラス』と同格かそれ以上のレベルを有するダイバーズが跋扈する、全世界最強の能力者組織と言われている組織である。
そんな自分より圧倒的に上にいる存在のダイバーズが、突如自分の前に現れてこういうのだ。
『ここは監獄だ』と。
それは恐怖でしかない。
監獄とは外界から隔絶された閉じた世界。日常の全てから切り離された冷たい箱。そんな社会の暗闇に、突然理由も分からず放り込まれて「なるほど、そうですか」という人物はそうそういるものではない。
しかも監獄の中でも極め付け。世界最強の組織が管理する、世界最高の警戒網が張られた国際監獄『タルタロス』である。そのような施設に運びこまれる理由が、宗次には皆目見当がつかなかったのだ。
それゆえ、宗次の口を動かしたのはその疑問と恐怖であった。
「――ならば、何故俺を『監獄』に連れてきた。」
「……はぁ。」
女は面倒な客が来たなと言うようにため息をつくと、眼前に広がる闇を見据えながら、静かに答えた。
「あの方がお連れしたからですよ。」
◇
通された場所は会議室だった。壁も床も天井も一切の曇りのない純白に覆われた白の部屋。その中央には十字型をした白い大理石の机が置かれており、その様子は教会に安置された棺桶のようである。
宗次がその机の輪郭をこの真っ白な空間で感じ取れたのは、机のちょうど真上にあたる場所にこの部屋唯一のLEDがあったからである。強烈な光によって無駄にだだっぴろい部屋を隅々まで照らしているLEDは、十字架の机に太陽光のように降り注いでいた。それによってできた机の影が、白い床に黒々と十字を浮かび上がらせていたのである。
「こちらにお座りください。」
女が宗次にすすめた白い椅子は、十字架の最も長い部分に位置するものであった。
「……」
宗次は鼻から小さく息を吐きながら、その椅子に座す。キシリ、と乾いたプラスチック音が部屋に響き、その細い背もたれは、背を預ければ今にも折れそうだった。
「しばらくお待ちください。じきにあの方が来られます。」
「……」
宗次はこれまでたどった道のりを脳内で反復する。
闇の広がる“吹き抜け”には一本の橋が中央を貫いており、宗次はそこを歩いてこの会議室にたどり着いた。両脇にそびえる無数の牢獄からは絶えずうめき声が聞こえ、宗次の脳を耳からえぐった。苦痛の叫びは決して宗次にとって心地よくはなかったが、その声は“吹き抜け”が円筒形であることを宗次に教えてくれていた。反響する声はある一点に向かって集約するように響いており、開けた縦長の空間の造りにはなっていなかった。永遠に平行かと思えるほどの巨大な空間は、あの妙な『闇』によってそう幻視させているだけにすぎず、実際には東京ドームほどの大きさにとどまっていることも、宗次には分かっていた。
そのためこの会議室から抜け出し、来た道を逃げようとするのならば、3分あれば最初いた部屋まではたどり着けると宗次は確信した。
しかし――
(『不死鳥』、か)
宗次にとっての問題は、建物の構造よりもここにいるダイバーズであった。十字架の、宗次から向かって右側の位置に座した女は、全世界最強の組織『不死鳥』の構成員である。彼女を振り払って脱出することは不可能ではないにしろ、そう容易ではないと宗次は判断した。
そしてそう判断できたのは、この部屋に来たことで、彼女が『不死鳥』であるという事実と、その素性に確信を得ていたからでもあった。
十字架を模した机。その十字架の先に置かれた合計4つの椅子。『国際監獄』という特異な施設。そして中東系の顔立ちに淡白な表情を見せる女……。それだけの情報で、自分が対峙しているダイバーズに、宗次は心当たりがあったのである。
(全世界最大の効果範囲をもつ中東出身のダイバーズ、『エレシュキガル』。
その能力は自身の周囲に存在するあらゆる細菌を操る『細菌操作』。その力はウィザードに分類され、対生物に対して絶大な影響力をもつとされている。その力の詳細は不明だが、2030年に起きた『アトランティスの戦い』において、彼女が味方から千の命を救った“英雄”と呼ばれ、敵からは万の命を屠った“死神”と呼ばれたという逸話からも想像に難くない。
細菌に依る、生命活動への直接介入を可能とする能力――。己の意志で万の命の生死を決定できる能力だ。)
生唾を飲み込み、宗次はさらに思考を進める。
(『エレシュキガル』は戦後、『不死鳥』再建に尽力し、初代『タルタロス』監獄長となった人物でもある。そして生涯を通して世界の平和に貢献し、己の後継者を育て上げたと言われている。
――そして、彼女亡き後、全く同じ能力を保有した人物が、『タルタロス』を継いだ。)
宗次は女に向けた視線を、さらに細める。
(『エレシュキガル』の孫娘――『ニンキガル』。
この状況を考えれば、彼女が『ニンキガル』で間違いない。そしてそうならば、確実に俺より格上の能力を保有している。普通に戦えば、確実に殺される。
だが彼女の能力と俺の能力の相性は、この状況下なら俺に軍配が上がる。
『細菌操作』は強力ではあるが、まずそもそも戦闘タイプではない。細菌を体内に入れられなければ、毒に犯されることも、体を喰われることもなく、一切効果は発動しない。
加えて、ここは建物の中だ。細菌を操れる効果範囲が全世界最大であるというのは強力だが、ダイバーズは『空間的に断絶された領域には能力を及ぼせない』。たとえ効果範囲が広かろうと、屋内でその特徴を活かすのは難しい。)
彼の視線は部屋をなじり、さらに扉の奥に広がる“吹き抜け”へと向けられた。
(さらにここはダイバーズ専用の『監獄』。そういった監獄は、『オド』が非常に少ない造りになっていると聞く。あの広い“吹き抜け”含め、各部屋の気密性が高いことも考えれば、部屋を越えての能力行使は格段に難しくなる。であるならば、彼女の能力を防ぐ手段はいくつか考え付く。)
さらに自らの存在しない脚に目を落とし、彼は己の能力について精査する。
(一方、俺の能力は自身の体にのみ影響を及ぼす『身体強化・俊足』。身体型アルケミストの最大の利点は、屋内外問わず能力を十二分に発揮できるという点。しかも、俺の能力は全身タイプだ。足だけが速くなるのではなく、あらゆる身体機能を倍速にできる。そのため、たとえ片足がなくても、あの橋の上を『俊足』で逃げることは可能だ。
体調は万全ではないが、ここまで歩けるだけの力は回復している。切断された足からの出血もない。多少の無理な能力行使をしても問題はないだろう。そして、俺は『オド』の消費の少ない身体型。たとえこの部屋の『オド』が通常の空間の半分以下であろうと、難なく能力を発動できる。
だが、今は――)
宗次の視線が、誰も座っていない椅子へと向けられる。
(――確かめなければいけないことがある。
仲間の生死、現在の世界の情勢――そして、俺を監獄という施設に連れてきた目的、ついては彼等の目的についてを、だ。それを確認できるまでは、動くことはできない。
だが万が一、彼らが『敵』に回り、俺を抹殺するようであれば、逃げなくてはならない。真実を知る前に殺されるなど、まっぴらごめんだ。
その場合、彼等のフィールドで戦闘するのは危険だ。時間が経てばたつほどこちらが劣勢になるのは明白だからな。その時は速やかに脱出を――)
「いらっしゃいました。」
女の言葉とともに、宗次は自分の思考の浅はかさを思い知った。
万が一の事態になったとしても、彼女の目を出し抜けさえすれば逃げ出せると考えていた己の傲慢さを、彼は苦々しく噛み殺した。
彼女がどんな能力をもっていようと、どんなに自分がこの施設を抜け出すための“奥の手”をもっていようとも、ここは『不死鳥』の管轄である。
『強者』は、彼女一人だけではない。
宗次の全身に、悪寒が走った。
『アマテラス』や『カナヤマヒコ』、『フウジン』のような格上のダイバーズにこれまで対峙していた彼にとって、ある程度強いダイバーズと対峙してもそれなりの自信を持った行動が出来た。最初に『ニンキガル』と対峙した時、相手が格上のダイバーズだと分かっても、臆することなく対処ができた。不死鳥と知った時はさすがに肝を冷やしたが、“そこまで”であった。あの凶悪な犯罪者、『銀狼』と対峙した時ですら、恐怖で足がすくむことはなかった。
だが、目の前に突如として現れたダイバーズだけは、別格だった。
その存在を目にした瞬間、全身が強烈な拒絶反応を示した。
絶対に勝てない。
相手の能力が何か、そもそも相手が何者かもよくわからない。情報としての根拠は何もない。しかし、直感が、感性が、全神経が確信をもって宗次にそう告げていた。
『絶対に、コイツからは逃げられない』
宗次の片足が、ガタガタと震える。熱があることを急に体が思い出したのか、汗が滝のように噴き出てくる。
“ようこそ、『タルタロス』へ――”
ソレの地獄の底から響く冷たい声を聴いて、宗次の生命としての本能が、強く叫んだ。
『死』には、抗えないと――




